銀河鉄道の夜 

219 :通常の名無しさんの3倍:2006/02/20(月) 00:08:32 id:PwkjfF5a
7    『     銀河鉄道の夜     』    アムロ・レヰ

 

概要    長編。童謡的な作品。長いので、途中一部省略したが、下にほぼ全文抜粋した。


・・・・   ・・・  ・・・・・・・




かたたん、かたたん。




かたたん、かたたん。




少年は気がついたとき、電車の中で、かたたん、かたたんと彼の身体は小気味いいリズムで揺れておりました。
かたたん、かたたん。電車は、線路の上を音をたてて走っています。

 (ここはどこなんだろふ)

不思議でならない様子で、少年は、せわしなくきょろきょろとあたりを見渡しました。
よくある連絡電車の三等車両だということに少年はすぐに気がつきました。窓の外は夜で、美しい星が沢山見えました。
      
「ようやく気がついたのか。」
いつのまにか目の前に、一人の男が、だいぶまえからそこにいたように座っていて、こちらをみてそう言いました。
「あの、ここ・・」
どこなんですか、と聞こうとした少年でしたが、其の声は其の後に続いた彼の声にかき消されました。
「随分長いこと寝ていたよ。けれど、起きてくれてよかった。」
そういって、彼はそれ以上しゃべることはないといった風に、口を閉じると、窓から景色を眺めました。
少年は当惑しきっていて、何か質問したかったのですが、
彼の態度は話し掛けられるのを暗に拒絶していました。
話し掛ける勇気もなかったので少年は黙っておかしいなぁ、と思いながら外を見つめました。
「時間が迫っていたからね・・・」暫く後に、彼はそう続けました。
その唇は、紫色で、血色が悪かったのが少年は、不思議に思いました。


「あの・・・貴方は、・・・・・?」
少年は、そうつぶやくようにいうと、彼は、こちらを向いて怪訝そうな顔をしました。
その彼の顔は何処かでみたことがあるな、と少年は思いました。どこかでみたことがあるのです。けれど、わかりませんでした。
「まだ寝ぼけているのか?長く寝過ぎたせいかな。しっかりするんだ・・。君はもう・・しっかりしないといけない。
 もう寝てはいけないよ。景色でもみるといい。ほら、もうじき、星の川原につくみたいだぞ。」

彼はそういって窓から指を出して、外を指し示しました。
その指の先をたどってみてみると、確かに何やらキラキラしたもの、乳白色をした液体が其処ではさらさらと流れているのでした。
そのなかに、きらきらとしたものがあってそれは、何かというと、星なのでした。水素のように透き通った星なのでした。
牛乳のような其の川の中に、きらきらと豆電球のように輝く小さな星が集まって、そう見えるのでした。
「うわぁ・・綺麗だなぁ」少年は感嘆の声をあげました。青年も、目を細めて、満足そうに川の中にある星の粒子をみていました。
川原の石は、星でできているんだ、と少年は思いました。


少年は、その美しい風景をみて、あぁそうだ、ボクはこの電車にのっていて眠ってしまったんだ、ということを思い出した気がしました。
けれど、ボクはいつからのっていたのだろう?少年はそう思いました。
電車からくる涼しい風が少年の頬を優しく撫でていきました。電車は順調に、進んでいます。
 

かたたん、かたたん。



相変わらず窓の外では、川がさらさらと流れておりましたが、少年はあたりをまた見渡しました。
少年と少年を呼んだ青年のほかには、誰もおらず空洞のようにがらんとしていて、天井の白熱灯が静かにともっているだけでした。
「他には、誰もいないんですね。」少年が男に尋ねました。
「あぁ、この連絡電車は不人気路線だからね。いまどき、こんなのに乗る奴はいない。」
そんなものなのかな、と少年は思いました。


かたたん、かたたん。


「この川にはね、鳥を捕まえる男がでるらしい。」と、彼が話し掛けてきたので、少年は再び窓の外を見ました。
「何処?」
「其の男は、ここで、ほらあそこに茂みがあるだろう?あそこで姿勢を低くしてじっと待っていてね、
鳥が水を飲みにきたところをすばやく手で捕まえるんだ。それは、あっというまで、鳥はつかまったことさえ気がつかないほどでね。
触られた鳥は勝手に死んでしまって、動かなくなるから、袋にいれてもってかえるんだ。」 
「もってかえってどうするんだろう。」
「売るのさ。きまってるじゃないか。元手がかからないから、真似をする人が後をたたないようだ。乱獲は禁止されてるのにね。
 まったく困ったものさ。あ、話をしていたら、ほら、あそこをみてみるといい。ちょうど、取っているところみたいだ。」

そういわれて、彼のいったところを少年は見てみました。
なるほど、帽子を被った背の高いすらっとした男が、川の真中にある茂みに立って鳥を捕まえていました。
鳥は、しばらく抵抗していましたが、彼が両手で足首を掴んでしまうと、すぐに固まって死んでしまいました。そして袋に入れられてます
よほど遠くなのか、電車は進んでいるのに、目線はあまりずらさくてよかったので、少年は其れを食い入るようにみました。
面白い光景でした。鳥はまるでその男に吸い寄せられているようでした。
    
「あれは、きっと鷺だろう。この川原ではあれがよく取れるから。近づいたらどうなるか考えないんだよ。あの鳥は。」
男はサングラスをはずしてながら、いいました。其のサングラスは、何処かで見覚えがあったようでしたが、少年はわかりませんでした


「ええ、そうですよ。」
そう返事したのは、今、川原の向こうでで鳥を取っていた男でした。いつのまにか少年の横に座っていたので、少年は吃驚しました。
「これは鷺です。他の鳥も取れることは取れるんですが、労力がかかりましてね。疲れるんですよ。
それを考えたら手を伸ばしたらよってくる鷺ほど楽なものはありません。一時間もあれば袋いっぱいとれます。」
「やっぱりそうですか。」
突然現れた男と、青年はそんな会話を交わし出しました。少年は、それに驚いてたずねました。
「今、向こうで鳥を取ってましたよね。どうしてここにいるんですか。」
その質問に、その商人らしき男は、こちらを不思議そうにみたあと質問の意図がわからない、といった風の顔をしました。
「どうしてって・・そう私が望んだからですよ。」
そう答えたので、少年はますますわからなくなりました。商人の男は、そんな少年の様子を見て、自分の子供に諭すように言いました


「望めば、なんでもできるんですよ。其れに気がついてない人には、それがわからないだけです。
 もしくは、そうすることを諦めているんです。初めから無理だと思ってるんです。それは、ひどく悲しいことです。」
     
そういいました。


「それじゃあ、僕も望めばそんなことができるようになるの?」
そう尋ねると、商人は、困ったような顔をして、
「できるといえば、できなくはないですよ。けど、今は止めといたほうがいい。危険ですからね。」
そんなことをいうので、残念ですが、少年は挑戦するのをやめました。それに望む必要がないことに気がつきました。
どこにも行きたい場所が思いつかなかったからです。どこからきたのか、どこにいくのか思い出せませんでした。
「さて、それじゃあ、私はもうひと稼ぎしてきます。」
商人はそういったかとおもうと、また初めに現れたのと同じように、姿を消しました。
慌てて、外をみると、また先ほどのように川原の中央に、男がいて、こちらに手を振ってました。
少年は、手を振り返そうとしましたが、青年が其れを止めました。

「鷺をあんなにとるのは、いけないことだ。だから、手を振っちゃ行けない。」
少年は、よくわからなかったのですが、そんなものなのかな、と思って、手を振るのを諦めました。
     


(中略)


  

電車は緩やかな渓谷を抜けて、新しい場所にいきました。そこには、大きな野原になっていて、りんどうの花が咲き乱れていました。
星も燦燦と輝いていました。
「ほら、あそこが白鳥座だ。綺麗な星の集まりだろう。大きく蒼く燐のように燃えている星たちが、そうだよ。」 
青年はそういって、少年に満天の夜空に、一際大きく輝く星を指差しました。
確かによくみれば、星を線でつなげばということですが、白鳥のようにみえないこともありませんでした。
その白鳥の嘴(くちばし)の部分。橙色と三等星の星と、青みがかった五等星がかさなりあっていて、美しい二重星となっていました。
Albireoだよ、と青年は続けて言いました。アルビレオ白鳥座の、北十字の一角をつかさどっていました。
星の川原の中で泳いでいるように見える白鳥座は、とても美しく、躍動的でありました。



少年は思わず息を呑みました。
其れはα星に比べれば幾分ひそやかな光でしたが、アルビレオには、哀光があり、背筋にぞくっとした

感覚が走るようでした。
     
「あそこではね、一匹の白鳥が泣きながら、ずっと身を焦がしているんだよ。
 ある二人の男のために、この世から消滅した白鳥は、魂となってね。いまでもあそこにいるんだ。
 其れは事故みたいなものだったんだけど、男達は白鳥が死んだ後どちらも責任のなすり付けをしていてね。
 ひどいもんさ。どっちも白鳥を殺したのは、相手だって言い張るんだから。彼女の供養もしないでだよ。
 その所為で、白鳥は未だに安らかになれないんだ。ただ、悲しげに眉をひそめて、二人を見守っているんだよ。
 白鳥は、今でもあの二人の男のために祈ってその身を焦がしているのさ。彼らの幸い(さいわい)を祈って、ずっと。
 その白鳥の思いが、あぁいう閃光のような光を放っているんだよ。自分の身を焦がしながらね。
 それはとても苦痛なんだけど、白鳥は、そうすることが幸いだと信じてるんだ。彼らの幸いのためになると。」

「その男の人達は、その白鳥のことをどう思ってるんですか。」
少年は、それを聞いて、少女があまりに不憫に感じてかわいそうに感じたので、思わずそう言いました。
  
「・・その男達も、考え方は違ったとはいえ、・・彼女の幸いのためなら、身を焦がしてもいい、と祈っていたよ。」
「だったら・・」
「だけど、彼らには、それをするに至るには、遠回りをしすぎていて、結局、それはできなかった。白鳥は、二人に仲良くしてもらいたい、と思っていたのだろうけど、それは彼らにとって無理な相談だった。
・・・いや、今考えると無理じゃなかったのかもしれない。
だけど・・彼らはわからなかった。仲良くしなかった。
それどころか、彼らは互いに殺しあったんだよ。周りの人間を沢山巻き込みながらも、彼らはそうすることを望んでいた。」
「そんな・・」
「ひどく馬鹿な話だろ?」青年はそういって、また白鳥座に視線を向けました。星は、きらりきらりと瞬きました。
呼吸しているみたいだ、と少年は思いました。

青年は、言いました。
「だけど彼らにとって、いつかしなければいけないことだったんだよ。子供が成長するのと同じように。星が、瞬くのと同じように。」
正当化するわけじゃないけどね、青年は、最後に笑ってそう言いました。けれど、少年は笑えませんでした。


「お話中、失礼ですが、切符を拝見させていただきます」


濃いねずみ色の外套を着た車掌が、帽子の所為で顔ははっきりとみえませんでしたが、いつのまにか通路にたっていました。
「あぁ、どうぞ」男の方が、胸ポケットからオレンジ色の切符をだしたのをみて、少年はそわそわしました。
「はい、どうも。・・・・結構です」
そういって車掌が切符を男に返すのをみて、少年は慌てて自分も持っていないか切符を探しました。
すると、後ろポケットに堅いものがあたったので、ええいと思って出しました。


「はい、どうも。おや、貴方は次の駅で下車するんですね。
お忘れないように願いますね。この電車は行きしかありませんので乗り過ごすと大変ですよ」
 そういって、車掌はさらに少年の差し出した切符をまじまじと眺めて言いました。
「それにしても、君は随分長くこの電車に乗っていたんですねえ。こんなに長時間乗ってたらさぞ退屈だったでしょう。」
少年は、その意味がわからないので、曖昧に頷きました。
「だけど、ようやく目的地についてよかったですね。よい旅を」車掌は、にっこりと笑って、切符を返してくれました。
「ありがとう」
ほっとしながら、少年はそう答えました。


車掌が、去った後に、青年はいいました。
「今、車掌さんがいったとうり君は、次でおりなけりゃいけないよ。この電車は、下車する場所を間違えるとみんなが不幸になるんだ。」
「ボク、降りたくないな。このまま、この電車にのって僕も幸いをみつけてみたいんだ。」
少年は、そう願って言いました。すると、青年は困ったように首を振りました。
「幸いっていうのは、電車に乗ってればみつかるもんじゃないよ。君にとっての幸いは、また君が探すべきものなんだ。
白鳥にとっての幸いが、自分の身を燃やすことだったようにね。それは他人からは、理解できないものの場合が多いんだ。
すぐに見つかる人もいたし、ずっと見つからない人もいる。僕も僕自身にとっての幸いに気がついたのは、ほんの少し前なんだ。」
「その、貴方にとって、幸いってなんなんですか?」少年は、切符を大事そうにポケットにしまいながら、質問しました。

「ボクにとっての幸いは・・・」
そこで、青年は急に言葉を止めたので、少年はどうしたのだろう、と思いました。
青年は、窓からまだ遠くで蒼く燐と輝いているその星を見て、感慨深そうに目をとじていいました。


     「あの白鳥の火を、とめて、やすませてあげることだよ。」 

その優しい声色に、少年は、青年がとても白鳥を愛しているのだとわかりました。それでひどく照れく

さくなりました。


     
『ピピ・・ガー・・まもなく、銀河ステーションでございます。お降りの方は・・』 

そう、汽車に備え付けられた古ぼけたスピーカーから、到着駅をしらせる声がしました。
少年は降りないといけません。少年の切符で行けるところは、ここまでなのでした。
少年は、悲しくなりました。この電車での旅ももう終わりかと思うと、涙がほろほろと零れ落ちるようでした。
まだまだ色々とめぐってみたいと思ったのです。もっといろんな景色をみて、目に焼き付けたいと思いました。
そしてなにより、この青年の話をもっと聞きたい、と思いました。
徐々に電車は、スピードを落としていくのが、流れていく風景の移り変わりでわかりました。


     
「残念がることはない。この電車での旅は終わっても寧ろ君の旅はこれから始まるんだから。」
 そういって青年は、ポケットから、もういっこのまっさらな切符を取り出すと、大事そうに少年の手のひらに渡しました。

「これを君にあげる。これは、どこにでも行ける切符だよ。僕は、その切符をもらっても、結局使うことはできなかった。
これはとても便利だよ、どこにでもいけるんだ。けれど、どこにもいきたいところは僕になかった。だから使わなかった。君にあげるよ。 
今、この電車に乗れて僕は本当にほっとしているんだよ。この電車にのっていれば、白鳥のところにいけるんだからね。」
青年は本当にうれしそうにそういったので、少年はこの人が白鳥を休ませてあげることができればいい。
そのためには僕はなんだってしてあげたい、と心の底から思いました。幸いを掴むということはそれだけ素晴らしいことなんだ、と思いました。

その感情が伝わったのか、青年は、微笑むと言いました。

「こうして、君と一度話しておきたかったんだ。君は、僕の昔によく似ていて、あの頃から心配だった。
こうして、話すことができて本当によかった。彼が君に期待したように僕も君に期待するよ。あの時は、残念な結果だったけど。
今度は、君は大丈夫だと思う。もう電車は君を置いていってしまうし、二度とはこれに乗ることはできないんだから。」
「彼・・・?」
少年は聞き返しました。
「彼は、ここにはこなかった。きっとけれど、別の方法で白鳥のもとに行っていると思う。
連絡バスなのか、飛行機なのか、蒸気船なのかはわからないけれど。絶対に僕と同じ場所にいっている。
僕と彼が目指すものは究極的には同じなのだから。手段は違えど、ね。
それは、最初は嫌だったけど、とてもいいことだったんじゃないか、と今なら思えるんだ。
そして、このサングラス・・これは彼が依然愛用していたものなんだよ。どうしてここにあるのか、それはわからないけれど。」

青年は、そういってサングラスをかけると、少年にさよなら、といいました。
少年は切符を大事そうに握り締めると、同じように、さようなら、といいました。
さようなら。

電車が停まりました。少年は立ち上がりました。ずっと座っていた所為か、立つとちょっとだけ眩暈がしました。
最後に青年が言いました。
「君に全てを託すのは、卑怯だと思う。
だけど、人というのは結局そうやってしか進んでいけないんだと思う。連続性の繋がりが、僕らをつなげているんだ。
僕は、僕なりに、進めたんだと思うんだ。君も君なりに進めばいい。そして、後の世代に託すんだ。
君は、君たちは、僕と白鳥のようにはならないでほしい。それは幸いというには、あまりに遠回りしすぎているから。
・・・そんな少年の姿のままの君には、わからないかもしれないけど、戻ればきっとわかる。君なら、僕と彼にできなかったことができるよ」

そして、青年は、もう思い残すことはない、という感じに目を閉じました。



少年は、ホームに降りました。そこには多くの人でごった返していました。
小さな子供がホームを走っていたり、大人が煙草をせわしなく吸っていました。老人は新聞を読んでいたり杖にもたれたりしてました。
すぐに、ドアがしまって、電車が動き出しました。すぐに遠ざかっていきます。少年は、それを黙って見送りました。
青年は、窓から顔をだして、最後にこちらに向かって軽く手を振りました。少年も負けずと手を振りかえしました。
彼の姿はホームからみると淡く光っているようでした。まるで、さっき少年が見たアルビオンのように。
みえなくなるまで、少年は手をふっていました。電車が、芥子粒のようにみえなくなっても、まだ振っていました。
     
さぁ、僕はどこにいこう、白い切符を握り締めて、少年は漠然と思いました。
僕は、何処にでもいける。けれど、一人というのは寂しいな、と少年は思いました。どこにいったらいいかわかりませんでした。
幸いなんて、本当にみつかるんだろうか。そう思うと、不安でなりませんでした。
ふと、後ろから少年を呼んだ人が、いる気がして、後ろを振り向きました。途端に、白い閃光が少年を一瞬にして包み込みました。



      ・・・・  ・・・・   ・・・・・



そこで、少年は目を覚ましました。
いえ、もう彼は少年ではなく、成長した大人の姿でした。
立派な、蒼い綺麗な髪をした大人でした。ホームではなく、柔らかいベットの上にいました。
夕暮れなのか室内は暗く、薬品の匂いが漂っていました。部屋の中は、まるで海の底のような、暗い膜がかかっていました。
ベッドの脇には備え付けのテレビがついていて、興奮したアナウンサーが隕石の落下は食い止められた、といっていました。
彼が、その中継の映像をみてみると、そこには宇宙が映し出されていました。地球の近くの映像でした。
大きく巨大な隕石が、緑色に発光しながら、地球を離れていっていました。ふわりふわりと何処か別の場所に向かっていました。
けれど、あまりに突然過ぎてそれが何を意味するのか彼にはよく飲み込めませんでした。これは、何の映像だろう、と思いました。
彼のベッドの傍には、一脚の椅子が置いてあって、その上に、ナイフと剥きかけの林檎が置かれていました。
そのとき、ドアが開いて、見なれた少女が花瓶を持って顔を出しました。いえ、其の顔は、少女じゃなくて、成熟した女性の其れでした。
少年は、その少女の名を呼びました。少女は、一瞬呆然としていましたが、やがてその顔は泣き笑いに

変わっていきました。
そして、少年、いえその青年の名を呼びました。
自分の名が呼ばれるのを聞きながら、少年は、あぁ、僕の名前を呼んでくれる人がいるんだ、と思いました。
それが、幸いなんだ。と、思うと、なんだか涙が出てきました。
テレビでは未だに隕石が映っていて、それは、美しい残光を放っていました。白鳥座アルビレオのように。
アナウンサーの声が病室に響き渡りました。極度の興奮でその声は震えていました。
「地球は助かったのです!隕石の落下はおきませんでした!信じられない!奇跡です!これは神の奇跡なのかもしれません!」
少年は、それは、違う、とつぶやきました。みると、隕石が一際大きく発光していました。其れは美しい美しいものでした。
少年は、暫くそれを眺めて、そして、そのあとにああ、そうか、そうなんだ、とだけ呟きました。そして一筋の涙を流しました。


白鳥座は、いまでも、輝いています。だけど、その光は、以前より、柔らかくなっているのです。いずれ、ふわっと消えることでしょう。

『きゃすばるくん、地球を救う』 −前編

199 名前: きゃすばるくん 1/6 [おひさしぶりですsage] 投稿日: 04/09/23 09:25:43 ID:???


         『きゃすばるくん、地球を救う』 −前編




朝、起きると台所に少年時代のシャアがいた。たぶん十歳くらいの頃だとおもう。
僕はなんでこんなところにシャア・アズナブルがいるかわからずに「お、おはよう」といった。
シャアはにっこりとわらうと、鮭の切り身と、豆腐の味噌汁と、ササニシキのご飯に梅干と沢庵の入った小鉢を添えて
テーブルに並べた。とても美味しそうだったので、僕は条件反射的に椅子に座ってしまった。箸を掴み、むしゃむしゃと食べた。
美味しかったので三杯もおかわりしてしまった。
なにせ昨日は会社の残業が終電ぎりぎりまで長引いた所為で、ろくに物も食べていなかったのだ。
僕は味噌汁を飲み、シソの味がよく染み込んだ梅干を齧り、沢庵を小気味よい音を立ててかみ締めた。
あらかた食べ終わった後、僕の脳はようやく動き始めた。おいちょっと待て。どうしてこんなところにシャアがいるのだ?
そしてどうして僕は彼のつくった朝食をなんの疑問もなしに食べているのだ?
僕は箸を置くと洗面所に向かい顔を洗った。入念に歯を磨いた後、シェービングクリームをたっぷりとつけて髭をそり、
あたたかいタオルで拭いた。そして、使い捨てのコンタクトレンズを嵌め、目薬をさした。すると、ようやく物事がくっきりと見え始めてきた。


台所に戻るとシャアはまだいた。僕は溜息をついた。
やれやれ、これは現実なのだ。シャア・アズナブルは実際にここにいるのだ。
いつのまにかテーブルの上は綺麗に片付けられていて、食後のコーヒーが湯気をたてて僕を待っていた。
僕は観念して座った。こうなったらどうにでもなれだ。


「まず、最初に確認しておきたいんだけど」と、僕はいった。
「なにかな?」とシャアはいった。結構高い声だ。すくなくともCV:池田 秀一の声ではない。
「これは現実だよね?」
「もちろん」
「やれやれ」
僕はコーヒーを飲んで、海よりも深い溜息を吐いた。




※       

僕は28で、都内にあるわりかし大手のシステム会社に勤めている。
最近ではUFJ三井住友銀行が合併するのでその基間であるプログラムの変更作業に携わる仕事を中心にしている。
彼女はいるが最近はお互い仕事が忙しくてあっていない。SEXを最後にしたのは3ヶ月前だし、電話をしたのだって2週間前のことだ。
血液型はA型で、3歳下の妹が一人いる。趣味は特にない。履歴書の趣味欄に『読書。音楽鑑賞』とかくタイプだ。
目はやや乱視だし、右の奥歯には金歯がひとつ埋まっている。車はいま話題の三菱カローラだが、最近トヨタに替えようかと思っている。
つまり、ごく平凡などこにでもいるタイプの人間である。幻覚をみるようなことはいっさいしていない。


200 名前: きゃすばるくん 2/6 [sage] 投稿日: 04/09/23 09:32:51 ID:???

「わたしはきゃすばる・れむ・だいくんです」と少年はいった。
「つまり機動戦士ガンダムにでてくるシャア・アズナブルだね?」と、僕はいった。わりと細かい性格なのだ。
彼はこくんと素直に頷いた。「そうともいいます。そっちのほうが皆さんには有名かもしれません。
けれど、ここではぼくはきゃすばるなんです。ここをしっかりと理解していてください。
だから僕のことをここでは『きゃすばるくん』とよんでください」
まるで大事な呪文を唱えるようにいったあと、彼は僕の目をじっとみた。僕はその言葉の意味をしっかりと考えた。
「つまり、君はシャアではなくキャスバルのほうで呼ばれたいということかな?」
「そのとおりです」シャア、いや『きゃすばるくん』はそうこたえた。そして、熱いお茶を一口すすった。
「僕はきゃすばる・れむ・だいくんです。クワトロでもエドワウでもアズナブルでもなければ、赤い彗星でもありません。
ジオン・ダイクンの子であり、アルテイシアの兄であるきゃすばるです」
「なるほど」
僕は頷いた。けれど、正直な所シャアとキャスバル・レム・ダイクンとの違いがどこにあるのかよくわからなかった。


「とつぜんお休みの所お部屋にあがりこんでしまったのはおわびしなければいけません。こうするより他なかったのです。
驚かせたことはたいへん申し訳ないとおもってます」と、きゃすばるくんは実に礼儀正しくあやまった。
「いや、それは特にかまわないけれど。朝食をつくってもらったことだし。
ところでその、いったいきゃすばるくんは何のようがあってここにきたのかな?」と、僕はあつあつのコーヒーを飲みながらいった。
「話せばながくなりますけれど、お時間のほうはよろしいですか?」

僕はちらりと時計をみた。もうそろそろ部屋をでなければ間に合わない時間だった。
だいたいここは駅から少し遠いのだ。契約書には駅まで十分とか書いていたのだがそれはまるっきりの大嘘だった。
確かにうまくいけばそれくらいでつくが途中にある踏みきりがインドの牛みたいにまるっきり動かないのだ。
「わるいけど、そろそろ会社にいかないといけないんだ」と僕はいった。
「どうぞいってきてください」ときゃすばるくんは言った。「ぼくはここで洗い物をすませてから帰ります。
話は今日の夜にでもまたすることにしますから。何時ごろにはございたくですか?」
僕はちょっと考えた。昨日、だいぶ作業は進んだから今夜はそれほど残業しなくていいだろう。
「九時ごろには帰りついているとおもう」と僕はいった。
「それじゃあそのくらいに」ときゃすばるくんもいった。そして、彼は洗い場に向かい、僕は会社へと向かった。



僕の机の上にはうんざりするくらいの仕事が山積みされていた。僕は昼休みも取らずに仕事をせっせと
こなした。途中、上司が僕のところにやってきて仕事を更に1つ追加していった。
「明日までに頼むよ」と上司は何の配慮もない検察官みたいに僕に宣告した。
冗談じゃない。そんなの別に僕じゃなくたって他のそのへんにいるやつにやらせればいいじゃないか。
けれど会社での僕の立場は中東におけるロバのようにか弱いものだったので黙って頷いた。SEなんてそんなものなのだ。
おかげで僕は今日も終電に乗る羽目になった。



部屋に帰ると彼はいなかった。テーブルの上には逆襲のシャアのDVDが置かれていた。


201 名前: きゃすばるくん 3/6 [sage] 投稿日: 04/09/23 09:42:17 ID:???
※   ※

僕はガンダムというものをあまりよく覚えてなかった。子供のころはわりと熱中してみていた記憶はあるし、
プラモデルもつくっていたのだが、ZZの頃になるとなんだかひどく幼稚に感じて全て捨ててしまった。確かそれから僕は
もっとリアリティのあるアニメをみるようになっていったとおもう。けれど何をみていたかさっぱり覚えてない。
ガリアン?レイズナー?そんなものをみていたかもしれないし、まったく何もみなかったのかもしれない。
そもそも現実的なアニメなんていったいどこにあるというのだ?

※   ※





翌日、夕方ちかくに再びきゃすばるくんが尋ねてきた。土曜日だったので僕は家にいた。
「DVDみてくれましたか?」と、あがってくるなり彼は聞いた。
「あぁ、みたよ。まさかアムロとシャアがあんなことになっているとは思わなかったな。
あれって結局のところ、最後二人とも死んだのかい?」
「みてくれたならようやく本題にいきます」と、彼は僕の質問をまるっきり無視していった。
「本題?」
僕は反芻した。彼は頷いた。

「ぼくは隕石から地球を救いにきたんです。」
と、彼は握りこぶしをしながら断固たる口調でそう言った。
                 

♯    ♯      


「隕石?」と僕はすっとんきょうな声をだした。
「はい」
「ちょっと確認したいんだけど、それが地球に落ちるということ?」
「そうです。とてつもなく巨大な隕石です。落下してきたら人類は滅亡してしまいます」
きゃすばるくんはとても真剣な顔をして、かたちのよい眉をきゅっと潜めた。

僕は彼がDVDの話をしているのだとおもった。昨日みた「逆襲のシャア」というのは地球崩壊というカタストロフを
目的とするシャア・アズナブル総帥が軍を組織してアクシズという巨大隕石を落す話だったからだ。
「アニメの話をしてるのかな?」
「違います。100パーセント現実としての話です」
「暗喩でも隠喩でも逆説でも脱構築でもなく?」
「もちろん」
「やれやれ」と、僕は溜息をついた。大変なことにまきこまれたようだった。「やれやれ」僕は2度言った。
一気に疲れがでてきたようだった。

202 名前: きゃすばるくん 4/6 [sage] 投稿日: 04/09/23 09:47:47 ID:???

僕があんまり溜息をつくものだから、きゃすばるくんはとても不安そうな顔をしていた。きっと僕があんまり乗り気そうじゃなかったからだろうとおもう。
その不安そうな顔をみているとまるで自分が悪いことをしているような気になってきた。
「一つ質問して良いかな」と僕はいった。どうも気になることがあったのだ。
「どうぞ」
「その隕石なんだけど。それを落すのは君なんじゃあないか?隕石から地球を救うのは君の立場じゃないとおもうけど」
それはアムロの役目のはずだった。ごぞんじのとうりガンダムの主人公の少年。もっとも映画版では大人になっていたけれど。
きゃすばるくんは首をしずかにふった。まるで融資をことわるときの銀行員みたいな柔らかな振り方だった。
「昨日ももうしあげたとおりぼくはきゃすばるくんです。その映画にでているシャア・アズナブルとは違います」
「だって、君はキャスバル・レム・ダイクンだろう?だったらシャア・アズナブルじゃないか」と、僕はいった。
「ぼくはきゃすばるです。だけどシャアじゃありません」


僕は彼の目を見た。彼も僕の目を見た。曇りのない綺麗な目だった。少なくとも隕石を落すような瞳ではない。
「とりあえず話を聞いてください」と、彼はいった。
「どうぞ」と、僕はいった。
「西暦2004年9月25日夜にここ、東京都世田谷区に直径三十キロメートルの巨大隕石が落下してきます。
その衝撃は広島長崎に落ちた原爆のゆうに数十万倍あります。東京にいる人の半数、葯500万人以上はその衝撃により
瞬時に死んでしまいます。死んだことさえ気がつかないくらいの一瞬の出来事です。都庁は崩れ落ち、皇居は粉々になり、
東京ドームで巨人対阪神戦をみていた観客は、代打で登場した清原のホームランの直後に人生のゲームセットが訪れます。
人々は自分たちに訪れた悲劇を理解することもなく、消えていくのです。最初は衝撃波によって、その後は大爆発によって。
結果的には関東圏一帯にすむほとんどの人は一両日中に死んでしまいます。それはとてもかなしいことです」
きゃすばるくんはそういって哀しそうに唇を噛んだ。
「被害は日本だけにおさまりません。その衝撃の際にまいあがった粉塵は大気圏にまで舞いあがり、偏西風に乗って
地球全てを覆い尽くします。太陽光はさえぎられその結果、地表の温度は極端にさがり、農作物は育たなくなります。
人々は氷河期の再到来の事実に恐れおののきます」
「核の冬ってやつだね」と、僕はDVDでみたフィフス・ルナがラサに落された光景をおもいだした。あれと同じことがここにおきる?
「そのとおりです」ときゃすばるくんはいった。「やがて世界規模な食糧危機がはじまります。最初に暴発するのは中国です。
あれだけの人口を抱えた国ですから仕方ありません。こうして泥沼的に第三次大戦が始まります。核が使われ、大陸が焼きつくされます。
一年戦争なみに人が死ぬでしょう」


中国が戦争をおこすことはありえそうだった。この前のサッカーから考えて彼らが僕らを嫌っているのは明白だったからだ。
そして仮にそうなったら日本は一体どうなるのだろう?国家として果たして存続できるのだろうか?それは僕の想像の範囲を超えていた。
ただ僕のこの世田谷区での安穏として生活はなくなってしまうのは間違いないということだけはわかった。
「ひどいね」と僕はいった。
「ひどいです」ときゃすばるくんはいった。「実にひどい」
重い沈黙が続いた。僕らは圧倒的な暴力の予兆のなかにいるのだ。そして、誰一人そのことに気がついていないのだ。


203 名前: きゃすばるくん 5/6 [sage] 投稿日: 04/09/23 09:51:54 ID:???

僕は口を開いた。
「けれど政府は何も発表してないみたいだけど。そんな隕石が近づいてきていたらニュースで流れるんじゃないかな」
「それはありません。そんなことを公表したら世界中がパニックになってしまいます。
政府の首脳はあたまを抱えてウンウンと唸ってますよ。小泉首相が国連にいったのも実はそのためなんです」
きゃすばるくんは当然といった風にしてこたえた。
「けれど何もきまらない?」と僕はいった。
「きまるわきゃありません。そんなの。アメリカが核をぶつけるしかないなんていってましたが、それも土台無理な話です」
やれやれ。僕は溜息をついた。そんなのまるっきりアルマゲドンじゃないか。
「非現実すぎるね」
「そうです。現実はハリウッドでもディズニーでもワーナーでもフォックスでもありません。スピルバーグもいなければ
ジョージ・ルーカスもいないしジャン・リュック・ゴダールもいないのです。彼らはあくまで想像のなかでしか世界を救えません」
「世界のハヤオでも無理かな?」
「もちろん無理です。救えるのは僕らだけです。僕とあなただけです。いいですか?

              ぼくと あなた だけなんです。

シャア・アズナブルが地球に隕石をおとすまえに彼を倒さなければいけないんです」


♯    ♯   

「ちょっとまってくれ。シャアが隕石を落す?それはアニメだろう?」
僕はびっくりしていった。きゃすばるくんは残念ながらといった感じに首を振った。
「シャアです。宇宙世紀0059年11月17日の蠍座でAB型の彼です。誤解の無い様にいっておきますが、ぼくじゃなくてシャアです。
彼はとても現在の地球にたいして怒りくるってます。どうして怒ってるのかは僕にもわかりません。
ガソリンが一リットル130円台になりそうなのからかもしれませんし、児童の犯罪が多すぎるからかもしれません。
ララァへの哀しみに突然囚われたのかもしれないし、地球の将来にいいようのない不安を感じているからかもしれません。
もしかしたらテレビでガンダムシードの続編の噂を耳にした可能性だってあります。
僕にはしょうじきなところそれは全くわからないのです。わかるのは彼が隕石を落すという事実だけです」

そこで彼は僕がちゃんと理解しているかどうか確かめるように言葉をきった。僕が続けるように促すと、彼はまた口を開いた。
「実のところ、こんなことをいってもすぐに信じてもらえるなんておもってません。けれどこれは真実です。
シャアなんてのはアニメの存在だというのかもしれませんが、それはちがいます。宇宙というのはあらゆる可能性のカオスであり、
ドグマであるいうことを僕らは再認識しなければなりません。そこにはシャアがいてラピュタがありダースベイダーが存在しています」
「ラスコリーニコフもいる?」
「もちろんもちろん」ときゃすばるくんはいった。「ジュリアン・ソレルだって、マイケルジャクソンだっていますよ」

僕はダースベイダー率いる闇の軍勢と地球連邦軍が戦い、ジュリアンが貴婦人と寝て、ラスコリーニコフが老婆を殺し、マイケルが無罪を主張し
そこにラピュタの雷が落ちるシーンを想像した。かなりシュールな場面だ。
版権をとるのだって大変そうな気がする。きっといろんなところの重役にあって許可を取る必要がある。きっとディズニーがからんだら無理だろう。


204 名前: きゃすばるくん 6/8 [sage] 投稿日: 04/09/23 09:59:49 ID:???

「けれどいま現実として戦わなければいけないのはシャア・アズナブルですから他のはとりあえずおいておきましょう」ときゃすばるくんはいった。
「それがいい」と僕はいった。まさかスパイダーマンゴジラジョン・マクレーン刑事と戦うような余裕はない。第一、僕はただの会社員なのだ。
「それで僕は何ができるんだろう。知ってるかもしれないけど、僕はただのしがないプログラマーだよ。
給料だって少ないし、残業代だってほとんどでない。ボーナスだってカットされまくりなんだ。車のローンだってあと2年残っているし。
君が金銭的なめんで僕に何か求めているんだったら・・・」
「それは問題ありません。ぼくはあなたにお金の面での援助を期待しているわけじゃないです」
「それじゃあ僕はいったい何をすればいいんだろう」
「共感です。わかりあいたいという気持があればいいんです」
「共感?」とぼくはおうむ返しに問うた。「それはいったい具体的にはどういうものなんだろう?」
きゃすばるくんは僕の質問に暫く考えていたようだったが、やがて口を開いた。

「ぼくから一つおききします。最初ぼくにあったときあなたはどうしてぼくがシャアだとおもったんですか?」
そういえばなんでだろう。僕はどうして彼がシャアだとわかったのだ?僕はガンダムにそんなに詳しくないし、第一彼はいま子供の姿なのだ。
はっきりいってガンダムマニアとよばれる連中でもきっとわからないと思う。

「それが共感なんです」彼は僕の目をじっとみた。
「あなたは僕を一目みてシャアだとわかった。だからあなたをえらんだ。そういうことなんです」
その言葉には不思議と納得させる何かがあった。どうしてかはわからないけど、僕はきゃすばるくんに選ばれたのだ。それならやってやろうじゃないか、と
僕はおもった。いままで生きてきて特に何をしてきたわけでもないし、そしてこれからも何をする予定もないのだ。

「僕になにができるかわからないけれど、できるかぎり協力するよ」と僕はいった。
「ありがとうございます。あなたじゃなければならないんです。正直言ってとてもほっとしています。
なにしろあと二日しか猶予はありませんし、それまでにしなければならないことは山積みされてますから。たくさん、たくさんあります。
万が一にも僕らは負けるわけにはいかないのです。
僕らはまだ死ぬわけにはいきませんし、シャアもまた隕石を落すべきではないんです」
きゃすばるくんはそこまでいってしまうと、目を閉じて一旦深く息を吐いた。ほんとに張り詰めていたのだろう。額には汗が浮かんでいた。
「すいませんが、お茶を一杯頂けますか」と彼はいった。
「コーヒーでいいかな」
「お願いします」

僕は立ちあがりキッチンへと向かった。薬缶に水をいれ火にかける。お湯がわくまでの間、僕は窓から外を眺める。
月がぼんやりと霞んでみえた。星はあたりまえだけどほとんどみえない。東京では星をみるひとなんてほとんどいないのだ。
あそこにシャアがいるのだな、とおもうとどこかいつもと違って見えた。隕石はみえない。


コーヒーと角砂糖の入った瓶とクレープをお盆に入れて部屋に戻ると、きゃすばるくんは「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の
DVDをセットしているところだった。
「もう一回みましょう。よく相手の仕草を研究しておかなければいけません」と彼はいった。
「そうだね」と僕はいった。


205 名前: きゃすばるくん 7/8 [文字は中では見辛いとおもいます・・sage] 投稿日: 04/09/23 10:08:03 ID:???
※  ※  ※  ※


Zガンダムをリアルタイムでみていた子供の頃、いつも不満に思う事があった。それはカミーユという主人公がやけに暗く、また精神的に
ちょっと歪んでいるというようなことでも、クワトロのファッションセンスのひどさでも、ファのパンチラシーンの少なさでもなく、
純粋にモビルスーツに対する不満だった。それも味方のではなく敵の機体に対するものだった。
どうしてザクが全然といっていいほど出てこないのだ?あれほど完成されたデフォルメのMSをどうして使わないのだ?
それはある意味神への冒涜ではないのか?ハイザックなんかどうでもいいのだ。
僕は常にそう思い、それをひどくストレスに感じたものだった。しまいにはイライラしてテレビを消した事もあった。

僕はガンダムよりザクの方が好きだった。それは只単に僕がアマノジャクだったからだということではなく、
ザクにはどこかドイツ軍の匂いがあったからだと思う。僕はドイツが好きで、大学時代にはドイツ語も専攻した。
英語とまったくちがう文法形式にはいささかうんざりとさせられたが、それでも新しいことを学ぶという事は決して厭なことではなかった。
僕はいつもドイツ語を勉強しながら、どうしてこんな美しい言語を持つ人種が二回も世界大戦を引き起こしたのだろうか、ということを
考えざるを得なかった。そこには愛国心国益以上の何かの理由がある気がした。そんな理由ではないはずなのだ。
もっと口では説明できない『なにか』がそこには胎動していたのだと僕はおもう。そうでなければあんなに人が死ぬ戦争なんておこるわけがない。
ヒトラーだけに責任をなすりつけるドイツ政府のやりかたには首をひねらざるをえなかったし、ハーケンクロイツにたいする過激な弾圧はどこか本筋と違うように感じた。
人はどうして戦争を起こすのか僕にはさっぱりわからなかった。戦争なんかなくたって世の中はありとあらゆる災厄に満たされているのだ。
ぼくらはいつも死の予兆のなかに存在しているのだし、圧倒的な暴力の鼓動のなかで絶えず呼吸を繰り返しているのだ。
どうして更に暴力を増やす必要がある?そんなことをしていったい誰が得をするというのだ?
ハイネのドイツ・ロマン派論を学びながら僕が考えたのはそんなことばかりだった。おかげでいまではドイツ語なんて全く喋れない。
ワールドカップにドイツに行ってそこでザウアークラウトと黒パンとウィンナシュッツレルを食べようという計画はもうすっかり過去のものだ。


それはそうとしてザクのどこが好きだといわれると口元にあるパイプだろうと思う。あれはどういうわけか僕には巨大な
コンドームに包まれたペニスを想像させてくれる。ガンダムはそのてん、性的な観点からみると実に無個性にみえる。ゲイみたいだ。

※  ※  ※  ※  ※




「彼は自分のことが嫌いなんです」

画面の中で地球がきらめく緑色の虹に包まれ始めた頃、きゃすばるくんはぽつんといった。
雨やどりをしている少年が灰色の空にむかって呟くような、そんな感じの哀しげな言い方だった。
「自分のことが嫌い?」僕は聞いた。
「ええ。シャアは実際はこんなことをしている自分が大嫌いなんです。だけど、こうするしかないんです。だからまた嫌いになる。
経済活動みたいなものですね。デフレ・スパイラル。いったんはまってしまうと、もう2度と抜けられない。DNA螺旋のようなものです。
だからこんなことをしてしまったんです。実に馬鹿な男です。本当にめもあてられない」
けれど、言葉とはうらはらにきゃすばるくんの口調には怒りというものがなかった。まるで出来の悪い生徒にたいして
おこっているときの教師のようなあたたかみが感じられた。


206 名前: きゃすばるくん 8/8 [sage] 投稿日: 04/09/23 10:14:32 ID:???

「君はシャア・アズナブルのことが好きなんだね」と、僕はいった。
「とても」と少し迷った後にきゅすばるくんは恥ずかしそうにいった。「こんなこというとナルシストみたいですけど」
「そんなことはないよ」と僕はいった。「誰だってシャアのことが好きさ。いまでもガンダムで一番愛されてるキャラクターだとおもうよ」
僕の言葉にきゃすばるくんは安心したように笑った。が、すぐに唇を引き締めた。
「僕は彼のことが好きです。彼の弱さや気丈さ、思いこみの激しさやナイーブさ、妹思いな所も、そういったすべての要素が僕は好きです。
けれどこれとそれとは話が別です。隕石を落とす事は間違ったことです。僕は彼をたたきのめさなければいけません」
「シャアがロリコンってのは本当かな?」
「それは僕の口からはなんともいえません」ときゃすばるくんはいった。「ただ彼は自分の内なる暗黒が嫌いでした。
シャアとして何かしら行為をする度に、淀みのようなものが自分の中で増殖しているのがわかりました。それは年を経るごとに巨大に黒くなっていきました。
彼は自己の暗黒を意識し、それゆえに自分が人類の革新のモデル・ケースになれないと理解していました。父の思想を体現することは無理だと。
なぜならニュータイプというのは究極的にピュアであるべきだというのが彼ら2代の一貫した主張だったからです。
そこで彼は少女に絶対的な善性を求めたのです。白い無垢な魂です。ことわっておきますが、それは処女性とは関係のない魂の問題です。
少女の魂、そこにニュータイプの思想や人類への希望、更には個人的な母への思慕、そういったあらゆる要素が入っていたのではないかと
僕は想像しています。いうなれば少女というものは澱みのない純粋な思想なのです」
「彼は思想としての少女を愛し、肉体としては愛してなかったのかな」
「そこまでは僕にもわかりません。彼と僕はあくまで別個の存在ですから」
きゃすばるくんは残念そうに首をふった。「僕としては彼が性的にノーマルだったと信じたいですが」


それから僕らは具体的にどうやってシャア・アズナブルの隕石落下計画を阻止するか話し合った。
きゃすばるくんはとても綺麗な金色の髪をしているので、暗い部屋の中でのぽぅっと浮かんで見えた。
テレビからはTMネットワークが「BEYOND THE TIME」を唄っているのが聞こえてくる。小室哲哉?そう、小室哲哉だ。

「全ての物事は意識下の中で行われます」ときゃすばるくんはいった。「そこはあらゆる三次元的な制限から解き放たれた世界です。
宇宙であろうと東京の世田谷区であろうと問題はありません。僕らは意識の中のモビルスーツにのり、意識の中の宇宙で、
意識の中のシャアを打ち破らなければならないんです。彼のサザビーを破壊し、隕石の落下を食い止めるんです」
「そうすれば地球に落ちる隕石の落下を食い止められるんだね?」
「そのとおり。何故ならばあらゆる物事は全て想像力のなかでおこなわれるからです」
アムロララァのように?」
僕は昔見たガンダムの光景を思い浮かべながらいった。
「そのとおりです」ときゃすばるくんはにっこりと笑った。「あれが理想です」




                                                    『きゃすばるくん、地球を救う』 後編へ続く

きゃすばるくん、地球を救う ー後編

285 名前: 地球を救う 1/15 [お待たせしてすいません。本当に…sage] 投稿日: 04/11/07 15:53:11 ID:???

 朝起きるときゃすばるくんがせっせと朝食を作っていた。
テーブルのうえにはこの前と同じように、こしひかりと味噌汁と卵焼きと鮭の切り身と納豆と漬物が置かれていた。
朝の挨拶をしてから椅子に座りNHKの朝のニュースをみながら黙々と納豆をかき混ぜていると
自分がなんだかとても遠いところに行ってしまった気がした。まるで平凡な郵便配達夫が赤紙をもらって数日後には
サイパン行きの輸送船の甲板上で三十八式歩兵銃を握り締めながら海を眺めているみたいに、自分と現実との間がうまくコミットできない

でいた。
どうしていったいこんなことになってしまったのだろう?
どうして僕はきゃすばる・れむ・だいくんに食事をつくってもらっているのだ?それは果たしてコレクトなことなのか?
けれど当たり前だけれど、価値相対化が極度に進んだこの日本社会で何がコレクトで何がコレクトじゃないかなんて誰にもわからない。
ありとあらゆることは『人それぞれ』といった言葉で肯定され、容認され、是認されているからだ。
だから僕がこうしてアニメキャラに食事をつくってもらうこともきっとコレクトな行為なのだ。たぶん。





                         『きゃすばるくん、地球を救う ー後編』





 きゃすばる・れむ・だいくんについて何かをここで詳しく説明する事はあまり意味がないので避けようと思う。
そんなのはガンダム関連の本を2、3冊読めば少なからず載っているからだ。インターネットで検索してもいい。そこには
知るべき情報やとりたてて知らなくていい情報(たとえばシャアの載った機体の製造番号)までありとあらゆることが載っている。
わざわざ僕が数少ないガンダム知識で説明することなんて何一つない。話したところで笑われるだけだ。
にもかかわらず、僕はここで自分の口から多少の説明を加えないといけないだろうと思う。やはり二次元的な存在がこうして三次元的な
空間に存在をしているわけなのだから、そこにはなにかしら説明すべき何かがあると思うからだ。
 しかし説明する段になると、僕は松井稼頭央を取ってしまったニューヨーク・メッツの監督のようなある種の苦悩に陥ることになる。
きゃすばるくんをいったいどこからどう言う風に説明したらいいのかわからないのだ。外見?行動?声?それら全てを正確に文章で
表現するには僕のボキャブラリーはホワイトベースにおける塩の備蓄量くらい絶望的に不足している。かといって、ボキャブラリーを
いまから増やす事は塩を確保するようには簡単にはいかない。それは僕にとってかなりタフでいささか憂鬱な作業である。
だから、ぼくはここでは現在僕が置かれている状況を説明するだけにする。つまりーー



彼は、シャアが落す隕石を、食いとめるために、僕の力を、借りに、きた。




以上だ。


286 名前: 地球を救う 2/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 15:59:03 ID:???

朝食が済んだ後、僕達はガンダムのビデオを視聴する事になった。逆襲のシャアはみてしまったので、今度はZを見ることになる。
結局の所、僕がシャアという人物の存在と行動の記録を辿るにはそれしか方法はなかったし、これが一番てっとりばやかった。
幸いなことに僕はシャア(というかクワトロの行動)についてそのほとんどのことを忘れていたし、
Zガンダムの内容自体もほとんど記憶していなかった。ハマーン・カーンは確かZZのキャラクターだった気がするけれど、
このZガンダムにも出ていた気がする。アポリーは覚えているけど、その相棒の名前は思い出せない。その程度だ。
だからもう一度Zガンダムをみるということになっても特に面倒だと思うこともなかった。それはいうなれば10数年前に校舎の脇に埋めた
タイムカプセルを掘り出すみたいな内的な作業であり、ある種の懐かしさと感慨を僕に与えてくれる行為だった。
それに、こんな機会でもなければ80年代のアニメをもう一度みようなんて気にはならない。といって最近のアニメを見る気になんて
もっとならないけれど。



ガンダムにでてくる人の中で、誰が一番好きですか?」

 アムロ再び〜ダカールの演説〜宇宙を駆ける、とZガンダムの名場面を一通り見終わった後にきゃすばるくんが
突然そんなことをきいてきた。僕はそのとき、シャアの思想の遍歴にはいつもニュータイプに対する憧憬と自己の失望が
入り混じっていることを考えているところだった。極端な話、僕には彼が単純に嫉妬しているように思えたのだ。
新しい時代をつくるのは老人ではない、というのは次世代ニュータイプに対する彼の嫉妬と諦観が入り混じっているようにしか受け取れな

い。
だって彼はこのとき27なのだ。まだ老人ではない。それにもしも彼が老人というなら二十八の僕もものすごく老人ということになる。
けれど残念ながら僕はまだ年金をもらえないし、介護保険も受ける事は出来ない。シルバーシートにだって座れない。
「そうだね・・やはりアムロかな。初代ガンダムからみているというのもあるし、彼が最強のニュータイプだというのも魅力だね。
見ているほうとしてはやっぱり強いキャラクターの方が惹き付けられるから」と僕は答えた。
「なるほど」ときゃすばるくんはうなづいた。「たしかに彼は最強ですね。シャアに勝ち、ララァの呪縛を克服し、隕石を押し出した」
「まさにニュータイプ」と僕はいった。一方シャアはどうだろう?アムロに負け、ララァの呪縛に囚われつづけ、隕石を阻止された彼は
やはり出来そこないなのかもしれない。シロッコのいうことにも一理ある。
「君は?」
「ぼくですか?」
「うん。君は誰が一番気に入ってる?」
僕のその問いに彼は暫く考え込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
アムロ・・じゃないことはたしかですね」
「へえ」と僕はいった。「アムロは嫌いなんだ?」
きゃすばるくんはなにもいわなかった。おそらく嫌いなんだとおもう。まぁ、ジオンの立場からみれば当然かもしれないけれど。
「僕個人の好き嫌いは別として、シャア・アズナブルが誰が一番気に入っていたのかならばわかります」と彼はいった。
「へえ。それはいったい誰かな?」
「ガルマです」
「ガルマ?どうして?」
僕は貴族的上品なカールを巻いた髪の毛をしたぼっちゃん面を思い浮かべた。「シャアはあんな坊やのどこが気に入ってたのかな?」
「シャアも坊やだからですよ」ときゃすばるくんはさらりといった。「だから気に入ってたんです」
とてもシンプルな答えだった。確かに成人した大人は地球に隕石を落そうとはしない。
そんなことをするのは子供だけである。そして子供と仲が良いのはいつも子供なのだ。


「なるほどね。ん?ちょっと待って。けれどおかしいな。シャアは確かガルマを殺したよね?」と僕は聞いた。
「子供は残酷ですから」ときゃすばるくんはいった。「いじめの延長みたいなものですよ、あれは。はずみってやつです」
「むしゃくしゃしてやった」と僕はいった。


287 名前: 地球を救う 3/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 16:02:57 ID:???
※※


一年くらい前のことになるけれど、妹がガンダムにはまっていたことがある。それは確か土曜の夕方にテレビでやっていた筈だ。
僕が実家に帰省した時、彼女はそれを夢中になって視聴していた。僕はリビングに3日分の衣類を積めこんだバッグをおろし、
料理をつくっていた母と会話をし、冷蔵庫から冷たいビールを取り出して飲んだ。そして、妹のわきのソファに腰を下ろした。
テレビにはなんだかよくわからないトカゲみたいな主人公が映っていて、なんだかよくわからない嗚咽を発しているところだった。
なんだか気持悪い声だったので僕はうんざりした。なんだって実家に帰ってきた早々、男の不気味な泣き声を聞かなくちゃならないんだ?
背後にはロボットが大きく映っていた。あれはおそらくガンダムだと僕は検討をつけた。少なくともあれはマイトガインではない。
「これ、ガンダムかい?」と僕は隣でハンカチを片手に食い入るようにみつめている妹に声を掛けた。
「そうよ。ちょっと話しかけないで。いますっごくいいところなんだから」
「この爬虫類みたいなのが主人公?」
「ねえ。私のいったこと聞いてた?話しかけないでっていってるの」といって彼女はこちらを睨んだ。
「だって、こんなのガンダムじゃないぜ」と僕は反論した。
「なにいってるの?ちゃんと新聞にかいてるじゃない。ほら、機動戦士ガンダムSEEDって」
僕は朝日新聞のテレビ欄をみた。確かにそう書いていた。
「誤植かもしれない」と僕はいった。どんな新聞にだって間違いはある。僕らはそれを赦さなければならない。
10数年前、ZZガンダムという作品がこの世にでてきたのを赦したときと同じように。
「これがガンダムっていうんだったら、グランゾートとワタルが一緒ってことになる」と僕は重々しい口調でいった。
「そんなの納得できるかい?」
少なくとも僕自身はラビと虎王を一緒にとらえる事はできないし、もしもそんなことになるならサンライズに抗議の電話だってかけるつも

りだ。
だけど、こんな判り易い説明にも関わらず妹は僕をアテネ・オリンピック大会におけるマラソン乱入男をみるような軽蔑した目でひとしき

り睨んだ。
そして「ねえ。 お ね が い だからむこうにいって。そしてもう話しかけないで」と吐き捨てて、再びテレビに視線を移した。
だけど、残念なことにガンダムSEEDは既にエンディングになっていた。妹はドーピングがみつかったハンガリーの砲丸選手みたいに固

まった。
僕は黙ってビールを飲み、終わりの歌を聴いた。
エンディングの曲はどこかで聞いたことのある声だった。僕は記憶の海の底からこの声に該当する歌手を捜し当てた。
「ねぇ、これってひょっとして米米クラブじゃない?」とぼくはいった。けれど、妹は僕の問いには答えてくれなかった。
翌日も、その翌日も。

一年後の現在、僕と妹の関係はザビ・ファミリーとそっくりになっている。いつか背後から撃たれるかもしれない。
ピース。

※※

288 名前: 地球を救う 4/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 16:10:55 ID:???

とりあえずここまでにしときましょう、ときゃすばるくんがいったのはもう太陽が沈み、
真っ白なスプーンみたいな月がゆっくりと頭上で銀色の光を発し始めた時のことだった。追記すると見始めたのは朝8時からだった。
要するに僕は朝から晩までガンダムのビデオを見せられた事になる。身体を動かすと、節々がみしみしと音を立ててきしんだ。
目が痛かったので、医薬品の棚から目薬を取り出して何滴かさした。そして、おおきく一度伸びをした。
「お疲れ様でした」ときゃすばるくんがいった。彼はちっともつかれてないようにみえた。
「これで世界は少しでも助かるほうになったかな」と僕はいった。
「おおいに」ときゃすばるくんはいった。「確率的にはグフからドムくらいにあがりました」
あまり期待できないような気がする。それは。

「それはそうと、隕石が実際に落ちるとどんなことになるんだろう?」と僕は眉間の辺りを押さえながら尋ねた。
「そうですね。サンプルの大きさが違うのであまりさんこうにはならないかもしれませんが」と前置きしてからきゃすばるくんはいった。
「1994年シューメーカー・レビー彗星群が木星に衝突したとき、そのあまりの衝撃の大きさに世界中が愕然としたことがありました。
いままで科学者が想定していたより遥かに物凄い爆発だったからです。そのなかのもっとも大きな七番目の隕石「G」は
なんと直径が3kもありました。その破壊力は広島原爆の実に3憶個分といわれてます。TMT爆弾にすると600万メガトン以上になりま

す」
僕はあまりのその衝撃の凄さに愕然とした。おいおい、リトル・ボーイの三億個分だって?
「けれど、今回シャアが落そうとするのはそんなに大きくありませんから」ときゃすばるくんは僕を安心させるかのようににっこりと笑っ

た。
「やれやれ」と僕はいった。そんなの気休めにもなんにもならないじゃないか。それは例えるなら神宮球場における巨人対ヤクルト戦で
20対3で負けるか17対0で負けるかくらいの違いしかない。ちなみに僕はヤクルトファンなのだ。

「信じるんです。僕らならやれます」
「だといいけど」と僕はよわよわしくいった。
「いいけど、じゃありません。やるんです」
きゃすばるくんは力強くいった。まるで指定銘柄を推薦する証券アナリストのような説得力がそこにはあった。
「がんばるよ」と僕はいった。そして今日の東京証券市場の株価の推移のことを考えた。
やれやれ、十数年前には株価が三万円台だったことを今では誰が覚えているんだろう?


289 名前: 地球を救う 4/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 16:13:19 ID:???
※ ※


「もしもし」
「あたし。ねぇ、明日あいてる?」
「明日は駄目なんだ」
「そう?せっかく貴方が聞きたがっていたコルトレーンのレコードが手に入ったから、届けにいこうと思ったのに」
「悪いけど」
「ねぇ、わたしたちもう3ヶ月あってないのよ?これって平均的な恋人の逢瀬割合かしら」
「多分すごく低いだろうね。織姫と彦星ほどじゃないだろうけど」
「いっそそうしてみましょうか。一年に一回だけ」
「SEXも?」
「もちろん」
「やれやれ」
「まぁ、それは冗談としても、もっと電話やメールくらいくれてもいんじゃないかしら。いつも私からよね。連絡するのは」
「そうかな?」
「そうよ。貴方って大学時代からほんと連絡とかに無頓着なんだから」
「今度から気をつけるよ」
「ねぇ、それにしても明日どんな用事があるの?やっぱりUFJがらみのシステムトラブルなの?」
「いや、仕事じゃないよ」
「じゃあなんなの?」
「きゃすばるくんっていう子供と一緒に地球を救うんだ」
「・・・あなた、仕事のしすぎじゃないかしら」
「そうかもしれない」


※  ※


290 名前: 地球を救う 6/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 16:19:12 ID:???

翌日になる。
つまり隕石が落ちる日だ。正確に言うと2004年9月25日である。元号でいうと平成十六年だし、皇紀で言うと2660年くらいだと思う。
今日は月曜日なので、僕はいつもどうり仕事にむかった。きゃすばるくんは家に残った。
最初、僕は有給休暇をとろうかときゃすばるくんに提案したのだがシャアが隕石を落すのは夜だから出社して構わないらしかった。
相変わらず机の上にはうんざりするくらい書類が積み上げられていた。まるで絨毯爆撃される前のベトナムの密林みたいに僕の机は
陥没し、混沌の中に埋まりこんでいた。メールボックスにはシステムの不具合をしらせるプログラマー達からの報告が沢山寄せられていて


朝から僕はそれの対応におわれることになった。
僕はそれらすべてを可及的速やかに処理をしなければいけないものと暫く放置してもいいものとに仕分けをし、
しかるべき対処が必要なものにはしかるべき処置をし、上司には進行具合を報告した。チームの仲間と定期的なミーティングをひらき
今週から取り組むべき別の問題についてしばらく話し合った。かなりハードでタフな問題がそこには山積みされていた。
机の上にある2台のパソコンはいつもディスプレイになんらかの数値が表示されていたし、その数値はめまぐるしく変わった。


ほんのすこしだけ休みが取れると、僕は無意識にタバコを取り出し2、3本吸った。大学を卒業してから暫くはやめていたのだが、
仕事が忙しくなってきてからまた吸うようになっていた。健康には悪いかもしれないけれど、少なくとも精神は落ちつく。
僕はひょっとしたらこんな風な日常も今日で最後かもしれないなと思った。隕石が落ちればUFJも三井住友もなくなるから、
今作っているプログラムなんて全く必要がなくなるし、そもそもこの会社だって(ついこの前本社ビルを新築したのだけれど)瓦礫になる

だろう。
とするといま僕がやっていることは無駄なのだろうか?そうかもしれない。
けれどそんなこといってしまうとありとあらゆる人間の営みというのは全て無益なものになってしまう。

人生というのは、と僕が通っていた大学の教授はいった。
いかに無駄な事に価値を付与することができるかにかかっているのです。
確かにその通り。僕は呟いてから、タバコをもみ消した。


※ ※

 ガンダムを見ていた頃、僕は思春期の少年だった。そして、その年頃の少年の大半がそうであるように女性に恋をしていた。
だからというわけではないけれど、モビルスーツとは別にやはり女性キャラクターにも目が行く事になった。
セイラ・マスファ・ユイリィララァ・スンといった女性キャラはやはり僕の心に強く印象として残ったし、
ときどきあるシャワーシーンでは妙にそわそわして、嬉しさというより罪悪感の方が強かったものだった。
もちろんしっかりとみたけれど。
 最近のガンダムでもこういった女性キャラによるお色気シーンというのは根強く残っているときく。さらに過激になっているとも。
前回のガンダムでは主人公がSEXをしてPTAやなんやかやで問題になっているとも聞いた。
けれど、正直なところこれは仕方がないことだと思う。それが時代の流れだというものだし、15〜6歳の子供でSEXをしたくない
子供やマスタベーションをしない男はいないからだ。もっともそういったことを描写するのがリアリティの現れとは思えないが、
そういったことも表現の一部としては悪くないと思う。戦争とは死の物語なのだし、死は生の渇望を喚起させ、それがSEXという
行為につながっているからだ。もっともただのお色気として監督が採用したのならそれは哀しいことだし、抗議されるべきだと思うが。
それに、僕は思うのだけど、もしもセイラ・マスよりリュウ・ホセイの方ばかり興味がある少年というのがいたとしたら、
これはこれでやばいんではないだろうか。いや、ニュータイプだよ、と喜ぶ人もいるかもしれないけれど
おそらくそれは強化人間だと思う。なにを強化されてるのかはよくわからないし、知りたくもないけれど。

※ ※

291 名前: 地球を救う 7/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 16:30:34 ID:???


仕事がおわってアパートに帰りついたとき、時計の針は七時を差している。部屋の中はしんとしていて物音一つしない。

 僕は左手でネクタイをほどきながら、テレビのリモコンを掴み、スイッチを入れる。
赤いほっそりとしたワンピースを着た女性がはきはきと「今夜の都内は曇りです。早朝には晴れるでしょう」と述べている。
後ろには天気図が載っている。明日は東京は晴れで、名古屋は曇りで、大阪は雨のようだ。
「よかったです」ときゃすばるくんがいう。彼はいつのまにか後ろに立っている。「雲があれば隕石はみえませんから」
僕も同意する。ばかでかい隕石がみえたら、都内23区は大騒ぎになってしまう。ひょっとしたら暴動になるかもしれない。
大衆は政府に説明を求め、民主党は小泉に詰めより、自民党は秘書がやったことと弁明してしまうかもしれないし、
東京大学には再び時計棟に学生が集まり革命を宣言し、フライデーにはたけしが襲撃し、多摩川にはアザラシが出没するかもしれない。
中国は靖国参拝がこの結果を招いたと批判し、アメリカはテロリストがついに隕石を兵器としてつかったのかと騒ぎ、ロシアが南下してく

る。

 そんなことになったらーーもちろん大部分は誇張だけれどもーーこの平穏な世田谷区での生活は終わってしまうことになる。
僕のささやかな暮らし、ハッピーとまではいかないが、アンハッピーでもない生活。
ビールを飲み、ランディー・ウェストンの「Destry Rides Again」を聞き、彼女と七夕みたいなSEXをして、「狭き門」を読む。
時々は上野動物園にいって宇宙と地球の有限性について考えながら一日中、きりんの首を眺める。(僕にはキリンの首は
なにか大事なことを示唆しているようにおもえてならないのだ)
もちろん、たいした生活ではないし、大抵の人から見たらくだらない生活かもしれない。けれど僕にこれで満足していたし、充分なのだ。
もし隕石が落ちてこの生活を破壊するというのなら、僕はきゃすばるくんではないにしろ戦わなければならない。

 やがて天気予報は終わり、よくわからない大河ドラマが始まる。新撰組?どうして平成の世の中で新撰組なんてするんだ?
幕末なんてものはもはや一種のファンタジーになってしまっていて、そこにはもう改めてみるべきなにかがあるとは思えない。
うんざりして僕はテレビを消す。腰に刀を差すのと、モビルスーツに乗る事は現時点においてどちらが非現実的なのだろうとふと考える。
だけど、もちろんそんな考えに結論はでることはない。そういった考えはドラえもんとのびた、どっちが主人公?といったのと同じ次元に

過ぎない。
その考えはどこにも進まないし、そもそもどこにもいけないのだ。


292 名前: 地球を救う 8/15 [sage] 投稿日: 04/11/07 16:34:39 ID:???

「そろそろはじめようか?」と僕は彼に聞く。きゃすばるくんは頷く。立ちあがり、ベランダに繋がる窓のカーテンを引く。
近くの電灯から差しこんでいた光はさえぎられ、室内は海の底のように暗くなる。どこか遠くで烏がなくこえが聞こえるが、それもすぐに

消える。
世界には僕ときゃすばるくんしか存在しなくなる。まるで分厚いカーテンで虚構と現実がはっきりと区分けされるみたいに。

「本当にありがとうございます」ときゅすばるくんは改まった口調で僕にいう。僕は首を振る。
「べつに謝ってもらう必要はないよ。僕は僕自身のために行うだけで、別に地球を守るなんて大それた目的のためじゃあないし」
「それでも普通の人にはできないことです」
きゃすばるくんはそういって、僕の目をじっとのぞきこむ。彼の目は月みたいにまるくて綺麗だ。そして、どこかはかなくみえる。
「いいからはじめよう」
僕はいう。こういうあらたまった挨拶とかいうのは苦手なのだ。照れくさいのもあるけれど、なんだか自分が別に人間になった気がしてむ

ずがゆい。
きゃすばるくんはポケットに手を突っ込むと中から小さなカプセルを取り出して、僕の手のひらにそっとおく。
「これを飲んでください」
「これはなにかな?」と僕は聞く。
睡眠薬です。寝てもらう必要があります」
「寝る?」と僕は問い返す。彼は頷く。そして、ゆっくりと口を開く。


「戦闘はブラックボックス化された意識下で行われます」と彼は説明する。「つまり夢の中です。
そうでなければ想像力のなかでシャアと戦うというのは脳に多大な負担をかけることになりますから」
ブラックボックス?」
僕は問いなおす。きゃすばるくんはもう一度うなづく。
「つまり誰にもわからない部分、貴方自身にもわからない意識の底流です。そこで物事は起き、終わります。
過度の脳のオーバー・ロードは貴方の神経を焼ききるおそれがありますから。まるで早送りと撒きもどしを繰り返したビデオ・テープのよう

に。
だからパチン、とその回路を閉じてOFFにします。ONになるのは全てが終わった後です」
「それじゃあ、僕はなにもシャアと君の戦いをみることはできないってこと?」
僕はいささかがっくりする。いや、正直なところかなりがっかりする。
現実にシャア・アズナブルをみることなんてきっとこれが最初で最後だろうに、それがみれないのは残念きわまりない。
「みないほうがいいです」ときゃすばるくんはちょっと困ったような顔をする。「みてもろくなもんじゃありません」
きゃすばるくんがシャア・アズナブルとの戦いをみせたくないのは僕にはなんとなくわかる気がする。これはショーではないのだ。
もちろん、アニメでもない。かなりタフな生存をかけた決死の戦いなのだ。そこではシャアがいて、隕石があり、地球が危機なのだ。
僕はこまったような彼の顔と手のひらの上のカプセルを見比べて、一旦深く溜息を吐く。まるで自分がソクラテスになって
しまった気がした。もちろん、これは毒薬ではなく、きゃすばるくんはプラトンではないけれど。
「飲むよ」と僕はいう。きゃすばるくんはほっとした表情になり、「ありがとうございます」といって水の入ったコップを差し出す。

僕は、カプセルを口に含み、それをゆっくりと飲み下す。そして、意識は薄れ僕は夢の中に深く沈みこんでいく。


157 :きゃすばるくん地球を救う:2005/11/23(水) 11:53:17 ID:???


※ ※  ※

<・・・きゃすばるくんはアナハイム・エレクトロニクスから調達した数え切れないくらいの爆弾を彼に向かって投げつけた。
けれど、シャアはそれをかわしもしなかった。彼の乗っているαアジールはあまりに硬く、強靭で、僕らの持っている武器ではかすり傷ひ

とつつかなかった。
僕らは小さなGファイターに乗っていただけだったし、それは逆襲のシャアの時代には、あまりにも旧時代的すぎた。
38式歩兵銃で、アメリカ軍のマシンガンを相手にするガダルカナル島日本兵みたいなものだった。僕等は陸上にあがった
カプールみたいにものすごく無力だった。だから、αアジールがメガ粒子砲を出すたびに僕らは寿命が縮まる思いをすることになった。ま

るで…>

※ ※  ※


「どうしてシャアがαアジールなんかに乗っているの?」と娘がたずねた。
当然の疑問だった。僕はにっこりと笑って、説明をした。
「シャアはサザビーを前の反乱でなくしていたからね」
「けど、αアジールだって壊れたよ。αに乗っているなんておかしいよ」
「イエス。確かにαアジールも壊れた。ひとつの小さな内蔵ミサイルが、その鋼鉄ジークみたいな装甲を突き破った。
けれども、それは兵器としての崩壊であって、サザビーのような思想としての崩壊ではなかった。
αに乗っていたクェス・パラヤにとってあの敗北は少女の無垢な敗北に過ぎなかったが、シャアにとってそれは思想としての敗北といえる

ものだった。
つまり、サザビーはいうなれば彼の思想を表層したものであり、ゆえに敗北の象徴になってしまった。日本にとっての「大和」のように。
シャアがサザビーに二度と乗らなかったのはそういう理由なんだ。実際的というよりは形而上的な面で、シャアにとってサザビーは損なわ

れてしまっていたんだ」
「よくわからないよ。」と娘は眉をしかめた。
「いいんだ。正直なところ、僕にもよくわからない。ひょっとしたらシャアはその後、ぴかぴかのサザビーをきちんと用意していたのかも

しれない。
ファンネルだって新しいのを一年戦争以来懇意にしているメカニック・マンに用意させていたかもしれない。ただ、その前にαに乗ってい

ただけでね。
彼の単なる気分転換だった可能性だって勿論ある。アルパ・アジールに乗るのはとても楽しいからね。なんていったって馬力がある。まる

で日産の四輪駆動車みたいだ。
ぶるるん、ぶるるん、と小気味のいい振動がシーツやパイロット・スーツ越しにつたわってきたら誰だって降りたくない。そうだろ?」
「そうだね。いい車だったらずっと乗っていたいよ」と娘はいった。僕もうなずく。僕の乗っている車は
「けれど正直な話、僕らにも真相はわからない。第一、迫ってくる光弾をかわすのに精一杯で、そんなことを考える余裕はなかった。
だからこれはあくまでも推論だ。僕らの目の前にはいつも事実だけが存在していた。だからそれをうけいれなくちゃならない。理屈じゃな

く、現実として」
「それでどうなったの?」
「何度目かの挑戦の後に、僕らはαを倒すことは不可能だと思った。こっちにはアムロ・レイもいなければカミーユ・ビダンもいなかった

。一機のガンダムすらない。
だから我々は退却することにした」
「じゃああきらめちゃったんだ」
「ノー。あきらめてはいない。ただαを物理的に倒すのは無理だと思っただけだ。僕らは別の方法を考えなければならなかった。
物事が行き詰ったとき、視点を変えてみると以外に良い結果が出たりするものだ。角度とか。そうだね?そのためには一度月にかえらなけ

ればいけなかった」
「準備が足りなかったのね」
「そのとおり」と僕はいった。「なにもかもがたりなかった」


158 :きゃすばるくん地球を救う10/23:2005/11/23(水) 11:56:55 ID:???
 娘はしばらく目をつむって何かを考えていたが、やがて不満そうに唇を尖らせた。
「けどそれはやっぱり逃げたんだよ。だからさ、さいしょからGファイターじゃなくてさ、もっと強いモビルスーツを使えばよかったのにね


たとえば、ストライク・ガンダムとかさ。キラ・ヤマトとかいなかったの?」
僕はゆっくりと首を振った。
「いない。そこにあるのはあくまで富野が作り出した「おり」みたいなものだけだった。福田もいなければ、その奥さんもいない。
サイバーフォーミュラはあったかもしれないが、SEED的なものは全くのゼロだ」
サイバーフォーミュラなんて知らない」と娘はつまらなそうにいった。
彼女の世代にはサイバーフォーミュラなんてものはないのだ。それはもう21世紀の訪れとともに黒歴史になってしまい、いまでは
その残滓がサンライズのホームページにかすかに残っているだけだ。
「それでその後、どうなったの?きゃすばるくんは、月に戻ってなにをしたの?」
僕は彼女の枕元に置かれている時計をちらりとみた。10時をまわっている。そろそろ潮時だった。明日は平日で、娘には小学校があった。
彼女が好む、好まないにかかわらず。そして、僕にも仕事がある。
「その話はまた今度にしよう」
と僕はいった。そして、手のひらで軽く娘の頭を撫でた。どこの家庭でも父親が娘をあやすときにするように。
彼女はひどく続きをせびったが、僕はなんとかあきらめさせることに成功した。
「また、きゃすばるくんのお話してね。隕石がどうなったか絶対に知りたいの」とベッドの中から娘がいった。
「もちろん」と僕はいって、最終回のロラン・セアックみたいに寝室のドアをそっと閉めた。




159 :きゃすばるくん地球を救う11/23:2005/11/23(水) 12:10:09 ID:???
 部屋に戻ると、直子がテーブルに肘をついたままの姿勢でコーヒーを飲んでいた。僕が向こう正面のテーブルに向かい合って座ると
彼女は立ち上がってキッチンにいき、あたたかいコーヒーを入れてくれた。
「お疲れ様」と直子は言った。「大変だったわね。あの子、どうしてもきゃすばるくんの続きが気になるって聞かないものだから」
「構わないさ」と僕はいった。「最初に教えたのは僕だしね。それに別れた娘にこうやって寝物語を聞かせるのも悪くない」
僕はそういうとコーヒーを飲み、クラッカーの入った皿に手を伸ばした。

「最近はどう?忙しくない?」と直子が聞いた。
「忙しいさ。いろいろあって結局のところ、三井住友じゃなくて三菱とUFJが統合されたわけだけれど、僕にとっては何一つ変らない。
メガバンクの統合というのはね、合併した後が本当に長いんだ。基幹プログラムの主導権を巡ってどろどろの戦いが起こる。
またその合間を縫ってプログラムの統一作業と補修と再構築と継続的管理作業を同時に進行しなければならない。合併したのが平成18年1月

1日だったのに
それから10年近くたった未だにしてるんだぜ?実にばかげている。プログラマーの肉体、精神的疲労も大変なものさ。
ソロモン沖会戦くらい激しい戦闘だよ。まるでVガンダムの最終回の様にSEが玉砕していく。狂うんだ。
真夜中に仕事をしていると誰かが「姉さん!助けてよ!姉さん!」と叫びだす。我々は黙って彼をスタンダップさせて部屋の外に送り出す


送り出してしまった後誰かがいう。「激しい雨の所為だ」。そして、また仕事にかかる。けれど心を狂わせるような激しい雨なんて勿論降

っていない」
「大変ね」と直子が言った。彼女の声にはどことなくクールな響きがあった。僕はコーヒーを飲みながら、クロノクル・アシャーの事を少

し考えた。
なんであんな中途半端な仮面なのだ?いや、仮面自体には問題はない。それはある意味、ガンダム世界のアイデンティティだからだ。主人

公がガンダムを偶然発見する
のと同じように。おそらくシャアがマスクで上半分を隠したから、彼は下半分なのだろう。だが、その相互補完に一体何の意味があるのだ


「しかし、そういうものなんだ。他はなにもかわりないな。朝起きて、一時間ほどジョギングをして、朝食を食べる。大体パンが多い。そ

の後、会社に行く。
ロバみたいに仕事をする。帰ってシャワーを浴びる。寝る前にビールを飲む。それくらいだよ」と僕はいった。
「そう」と直子はいった。
「とにかく僕にとって、娘にあうのは何の問題もない。君の方はどうだかわからないけど」
「どういう意味?」
「将来、再婚するとき困る。娘が新しい夫に慣れてくれないかもしれない」
彼女はそれについて何もいわなかった。ただ曖昧に微笑んだだけだった。僕は余計なことをいったことを後悔した。やれやれ、いつだって

僕はこうなのだ。
僕は直子に気づかれないように溜息を吐くと、目の前にあるクラッカーを齧った。

「今度、3年生だったね」と僕は極力明るくいった。
「そうよ。これからますます手がかかるの」と直子もいった。
「いいことだ。だけど、ガンダムばっかりみせるのはよくない。富野監督もいっている。ガンダムなんてみるもんじゃありません、ってね


僕もそうおもう。時代は常に変化しているし、新しいアニメーションだって世の中にはたくさんある」
「例えば?」
トムとジェリー」と僕はいった。


165 :きゃすばるくん地球を救う12/23:2005/11/24(木) 23:28:15 ID:???


「もしくは漫画日本昔ばなしかな」と僕はいった。
「それはよかったわね」と直子はかるくあしらった。僕の冗談はいつも中国における法輪功のように迫害される。
「ただ断っておくけど、私はガンダムなんて特別に意識してみせてないし、あんなにMS名を暗証できる子になんて育てた覚えはないわよ」
「原因に心当たりは?」
「あなたの所為でしょ」と直子はあたりまえのようにいった。
「そうかもしれない」と僕はいった。「ひょっとしたら一種の刷り込みみたいなものかもしれないな。逆襲のシャアを僕がずっとみていた

から」
「むしろそれしかないでしょ」と彼女は冷たく言い放った。
物心のつかない娘を抱えたまま、僕は何度も逆襲のシャアのDVDをみていた。一コマ一コマ頭の中で再生できるくらいに何度も何度も。
かつてイギリス中の若者がアビーロードのレコードのB面を擦り切れるまで聞き続けたように。

「あれしか考えられないわね。やっぱり子供には刺激がつよかったのよ。ほら、あれって地球に巨大な隕石が落ちるじゃない?それがトラ

ウマになった」
「オープニングで最初に落ちた隕石はほんの茶番だよ」と僕は弁解した。「地球が滅びるくらい大きな隕石はアムロがきちんと食い止めた

。救いがある。トラウマにはならない」
「けれど一つ落ちたのは事実でしょ。あの子にはいけなかったのよ。きっと隕石が落ちることが現実のように思えているんじゃないかしら

。私たちが子供の頃、ゲゲゲの鬼太郎
みて本当にお化けが存在しているんじゃないかと思ったように。まだ空想と現実の区別がついていないのよ」
「墓場の鬼太郎ね」と僕は訂正した。わりとこういうところには拘る性格なのだ。
「そんなのどうだっていいでしょ」と直子は呆れたようにいった。しかし、どうでもよくない。それは汚名挽回というようなものだ。だけ

ど、もちろんそんなことは口にしない。
「とにかくその所為で、あの子はうなされるようになった。隕石が来るって怖がって、夜中にしくしくと泣くようになったの。それも真夜

中に」
「だから、僕はこうして夜中に別れた妻のところに、いそいそときゃすばるくんの話をしにきている。お茶しか出ない」
「当たり前じゃない」と直子はいった。



「そうそう、ガンダムといえば、」と彼女は思い出したようにいった。
Zガンダムの劇場版のチケットがあるんだけど、今度の週末にでもいってみない?あの子もきっと喜ぶわ」
Zガンダムのチケット?」と僕はびっくりしていった。
いったいなんだってそんなものがあるんだ?
「それってだいぶ昔上映していたやつかい?確か10年くらい前だったっけ」
「そうよ。ほら、最近またガンダムリバイバルブームが起きているじゃない?35周年とかなんだかで。その影響かどうかはよくわからな

いけれど、駅の近くにある
ミニシアターで再上映されているのよ。懐かしいからつい買っちゃたんだけど」
「なるほど」と僕はいった。確かに最近は小さな劇場でリバイバルをやるのが流行っている。Zガンダムがされていてもおかしくはない。
「ところで、あなたはZガンダムの三部作はみたの?」
「みてないよ、そんなもの」と僕は答えた。どうせくだらないに決まっているのだ。


167 :きゃすばるくん地球を救う13/23:2005/11/26(土) 01:10:17 ID:???
※  ※  ※

事前の僕の想像とは違って、Zガンダムの映画は悪くなかった。全然悪くない。
正直なところ、それは全く生まれ変わっていた。彼らは21世紀に相応しい整った顔になり、綺麗な服を着ていた。モビルスーツはその兵

器としてのディフォルメを強くし、
戦闘のスピード感は僕が何度もみた逆襲のシャアと比べても遜色のない程の出来だった。そこにはどんよりとしてのっぺりとした、遠近感

という言葉すら感じられない
あのZガンダムはどこにも存在していなかった。
悪くない。どこも悪くない。
ただ、正直なところ、僕はこれはもう僕の知っているZガンダムではない、と思った。時折、旧画面を入れられたとしてもそれはいうなれば

死んだ画像だと思えた。
一体、誰が不自然な形で埋め込まれたシャアやカミーユの残滓をみて喜ぶというのだ?これで当時のZと新約Zの溝を埋めようというのなら


富野監督はものすごい勘違いをしたとしか考えられない。
過去と現在を繋ぐ連続性は、そんなことで得られるものではないのだ。それはその時代を生き、その刻を共有したものだけが得られる感覚

なのだ。
この映画こそに我々は刻の涙を見ることが出来る。過ぎ去った刻は二度とは戻らないという事実に我々は涙を流す。

また、僕はカミーユがきわめて21世紀的な美少年になってしまったことに軽い失望を覚えた。彼はまるで民意に従うと表明した後の橋本聖

子みたいに従順で、
あるべき自我を失ってしまっていた。そこには少年特有の屈折や歪みといったものは”染み”として綺麗にクリーニングされて除かれてい

た。
シャアとカミーユとはその屈折や歪みの部分で精神的につながっていたと思うのだが、映画ではその辺りの変化の所為で、まるで二人の関

係は兄と弟のような
甘ったれたものに仕上がっていた。まるでよくできた少女マンガみたいだ。

あんまりなつくりだったので、僕はそっと辺りを見渡してみたがパンフレットを床に叩きつけたり、スクリーンに体当たりをしたり、大声

で「水の星へ愛を込めて」を
歌っている人間は一人もいなかった。誰もガクトの歌に拒絶反応や、切り貼りした画面には文句がないのかもしれない。
僕だけが頑固で意固地なだけの老人なのか?そうかもしれない。
期待するから失望が生まれるのだ。僕は黙って画面に視線をもどし(アムロが飛行機に乗っていた)、塩辛いポップコーンを食べ、水っぽ

いコーラを飲んだ。


169 :きゃすばるくん地球を救う14/23:2005/11/28(月) 23:45:58 ID:???

「すっごくおもしろかった」
映画館を出て、近くの喫茶店に入り、冷たいラムネソーダを店員に注文した後に、娘が興奮した口調で言った。
「それはよかった」と僕はいった。
「あのサングラスかけていたのがシャアなんだよね。すごく強かった人が」
「そうだよ、シャアはとても強い」と僕は答えた。「アッシマーなんて簡単に落してしまう」
「けれどさ、あのあと悪い人になっちゃうんだよね。地球に隕石を落そうとするようなすっごいわるい男に。
うーん、けど、あの映画をみていると、とてもそんな風にみえなかったよ」
「そうね、あたしにもそんな風にみえなかったね」と直子も同意した。
「僕にもみえなかった。けれど、現実というのはとても繊細のものだし、ほんの些細なきっかけでどんな風に変るかは、誰にもわからない


ある時点で彼が善良でも、数日後の彼がまだ善良とは誰も断言できない。そうだね?僕らはそんな不安定な存在だ。
僕だって数日後では、とても悪人になるのかもしれない。今は違ってもね。もちろん、人間だけじゃない。
あらゆる事象は不完全な振り子みたいなものなんだ。この地球だって」と僕はきちんと磨かれているぴかぴかの床を強く踏みしめるそぶり

をした。
「いつ崩壊するかわからない。僕らが踏みしめている大地は音を立てて崩壊し、あたりに立ち並んでいるビルはぼろぼろと崩れ落ち、海は

からからに干上がってしまうかもしれない。
それもほんの些細なきっかけによるものだから、いつどこでどんなときに起こるかは誰にもわからないんだ」
「そんなの怖い」と娘はいった。そして、店員が持ってきたラムネソーダを飲んだ。ガラスの表面に薄い水滴のついたラムネソーダだ。
ラムネソーダZガンダムの取り合わせはとても良い、と僕は思った。とてもよい。どちらも旧時代的で、どことなく惰性の匂いがする。
「僕だって怖い」と僕はいった。そして、安心させるように笑った。「でも大丈夫。僕らにはきちんときゃすばるくんがいて、彼が地球を

守ってくれている」
「隕石から?」と娘が聞いた。
「そうだね」
「まるできゃすばるくんって神様みたいね」と直子も調子を合わせた。
「人類を災いから救い給う。つまり彼はヤハウェ?ああ、けれどあれは旧約の神様だったかしら」
「きゃすばるくんは凄いね」と娘がいった。「神様だ」
「ハレルヤ」と僕はいった。そして、娘のラムネソーダを少し飲んだ。


182 :きゃすばるくん地球を救う15/24:2005/12/15(木) 22:48:59 ID:???

その夜、僕と直子はSEXをした。白熊みたいに穏やかなSEXだ。だけど、これはよくないことだった。
我々は別れたときにそういった関係を持たないことを約束していたのだ。それは何も生み出さない行為だし、娘の将来にもよくないことだ

った。
だが、現実に僕は彼女の中にゆっくりと入っていき、その中で何度も射精をした。

行為が終わった後、長い沈黙があった。横にいる直子の自分がした行為を悔やんでいるということがありありと伺えた。
しかし、彼女の右手は未だに僕のペニスをそっと包み込んでいた。まるで成長したアムロ・レイ大尉がνガンダムの操縦レバーを掴むように


僕はなにか喋ろうと思ったが、気の利いた言葉はひとつも思い浮かばなかった。なにをいっても墓穴を掘っているように聞こえるのは間違

いなかった。
こんなときスレッガー中尉ならうまい言葉回しをするんだろう。だけど、僕はどちらかというとブライトみたいに不器用だった。
「ひとつだけ聞いていいかしら」と直子が突然言った。
声は、まるで細い影のように僕の耳の中にそっと滑り込んできた。
「なにかな」と僕はいった。
「きゃすばるくん、あのあとどうなるの?」
僕は直子の顔をじっと見つめた。室内の照明は天井の豆電球を残して全て消していたので、ぼんやりとしか彼女の顔はみえなかった。
その所為というわけでもないが、彼女の質問の意図を僕は掴みかねた。きゃすばるくん?
「ええと、月に戻ってから?」と僕は言った。
「そうよ」
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「別に。なんとなくよ。いけなかったかしら」
「いけなくはない。ただ、まだ考えている途中なんだ」と僕は天井をにらんでいった。「アルパ・アジールは強靭だし、覚醒したシャアは

とても強い。
覚醒したシャアなんて使わなければよかった。倒せるいい理由が浮かばない」
「けれど最後はハッピーエンドなんでしょ?」と彼女がいった。「隕石は食い止められ、シャアは敗北し、きゃすばるくんとあなたは祝福

される」
「そうだね」と僕はいった。「当然そうなる。娘も喜ぶ」
「嘘」と妻はいった。「隕石は落ちたんでしょ」
「え?」
「きゃすばるくんは死んで、隕石は地球に落ちてしまったんでしょ。そして私たちは死んでいる」
直子の言葉の意味を理解するのに暫く時間がかかった。まじないのようにしか聞こえなかった。その言葉は象が動物園から消えるように唐

突で、
言葉を飲み込むのに時間がかかった。意味を理解すると頭の奥で何かが大きく音を立てた。
心臓が大きく鼓動を打った。直子の顔をみた。目を見た。やや釣り目がちな瞳がこちらを見返していた。薄暗い所為でひどくくぼんでいる

ようにみえた。
その空洞は僕に10年前を思い出させた。きゃすばるくんと僕と、しゃあと隕石を。
細胞が収縮し、身体が震えた。頭が痛み、吐き気がした。もう一度、直子の目をみた。眼窩の窪みはまるで、隕石の落ちた後のクレーター

のように見えた。