ブライトノア・クロニクル(中)

103 名前: ブライトノア・クロニクル(中) [sage] 投稿日: 04/07/17 13:35 ID:???


四章   木馬ホテル。




 ケネス准将から今後の引継ぎの手続きを済ましたぼくは、軍が用意してくれた木馬ホテルに向かった。
本当は司令部に泊まるようにいわれたのだが、あそこは肩もこるしマフティーの問題も残党狩りなどがまだ解決してないので、
市内に程近いホテルのほうがなにかと交渉の際に便利なのだ。ぼくは参謀本部に挨拶をすませると用意されたリムジンに乗って
木馬ホテルにいった。どうして木馬ホテルという名前なのかというと、一年戦争が終わった年の秋にちょうどつくられたホテルで、
ここのオーナーがそのころテレビでいつも特集されていたニュータイプ論にはまっていたからということだった。
ここにくるホテル客がみんなニュータイプになればいい、という希望を木馬、つまりホワイトベースにあやかって名付けたのだろう。
木馬と言うのは連邦政府にとってジオンに対する勝利の象徴みたいなものだったので、この名前は彼ら政府高官には受けた。
けれど、僕にはただのミーハーにしかおもえなかった。俗物とまではいかないけれど、それに近いセンスだ。
第一、一年戦争中のオーストラリアで観光ホテルをつくるなんて何を考えているというのだ?
とはいえ、外見はそれほど悪くない。白を基調とした品のある造りの超高層ホテルだ。そこのスイートルームを僕はオーナーから
ほとんど只に近い値段で借りることができた。おそらく僕が「木馬」の艦長だったからだろう。これはわるくないことだった。


 部屋に入った僕が真っ先にしたことは、暑苦しい軍服を放り投げることだった。床に乱暴に脱ぎ散らかして、下着一枚の姿になる。
ブリーフ一枚の姿だ。とてもじゃないが中年のブリーフ姿は人に見せられるものじゃない。それに僕の脇腹には宿命的に肉がついていた。
どれだけ運動してもその肉はまるで太陽によって生じる影のように、けっしておちてくれないのだ。
どうしてブリーフを履いているかというとトランクスが嫌いだからだった。宇宙空間ではどうもあれでは落ち着かない。不安定だ。
そういえば昔、ホワイトベースにいたときのことだけど、男のクルーだけでどんなものを履いているかアンケートをしたことがある。
アムロはトランクスじゃないと落ち着かないといったし、リュウホセイはノーパンじゃないと気持悪いといった。
僕はリュウホセイがノーパンでコクピットにいることを想像して気分が悪くなったものだった。それは限りなく犯罪に近い。
おかげでその日の晩の食事が喉を通らなかったくらいだ。ハヤトはフンドシといっていた気がする。
そして、話は次第に女性クルーのつけている下着へと話題が移った。カイが嬉しそうに話していたのをいまでも覚えている。
セイラがつけている下着について討論がはじまったところで、敵襲の報がきて会話はそれきりになったけれど。


104 名前: ブライトノア・クロニクル(中)2/4 [sage] 投稿日: 04/07/17 13:42 ID:???


 備え付けの冷蔵庫からビールを取り出して、一息で半分近く飲んだ。ビールはよく冷えていて、実に美味かった。
唇についた泡を手の甲で拭いながら、先程の屋敷での出来事を思い出した。短い時間だったが、起きた出来事は歴史的なことだ。
宇宙世紀のゲリラ活動を制圧した輝かしい一ページとして連邦の記録ファイルに記されることになるだろうし、マフティー側、つまり
スペースノイドの側としたらシャアにつぐ殉教的犠牲者。なげかわしい暗黒の出来事ということになるだろう。全く対照的な記載だ。
同じ出来事でもうけとる対象によって、物事は全く別の側面を見せる。善が悪になり、悪が善になる。
僕はビール缶のプルトップをながめた。このプルトップをひねるのと同じくらい簡単にマフティーは殺されてしまったのだ。
それは僕にはどうも理解できないことだった。彼の思いはどこに消えていってしまったのだろう。まるでビールの泡みたいに、
銃声と共にそれは損なわれてしまったのだ。崇高な理念も若さゆえの熱情も、全ては弾丸の中に吸い込まれてしまったのだ。
僕はアムロのことを思い出す。シャアのことを思い出す。彼らが踊っていたステップを思い出す。それはもう既に損なわれてしまったものだ。
結局のところ、彼らの死は僕らに何を残してくれたのだろう?


 ビールを更に喉に流し込んだ。冷たい液体が喉をとおって、胃の中にゆっくりとおちていくのを感じた。
死刑執行に立ち会うと言うのはやはりどう考えても気分のいいものではなかった。
あんなところにはやはりいくべきじゃなかったのだ。すくなくとも僕はあそこにいるべき人間じゃなかったのだ。
あそこにいることが軍人の職務だというのであれば、僕は辞表をだしてよかったと本当に思う。
といっても、これはケネス准将たちを非難するということでもない。マフティーはさばかれるべき人間だったことは確かだし、
仮に裁判になったとしても死刑は免れ得ないということは明白だった。私刑であることは勿論、許されることではないのだけれど。
これはいうなれば僕個人の問題だった。ようするに、僕はもう人が死ぬ所は誰であれなんであれ見たくなかったのだ。
ビールを全部飲んでしまうと、僕は下着も脱いで、バスルームへと向かった。


冷たいシャワーを浴びてしまうと、幾分か気分が良くなった。同時にひどく眠くなった。
ベッドに横になると、朝早く起きたこともあってか、休息に意識が薄れていった。
意識がなくなる直前に、屋敷に入るまえにみた金色の少女のことをふと考えた。綺麗な少女だった。
僕が15歳だったらきっと恋をしているな、と呟いたと同時に意識は井戸に投げ込んだ石のようにストンと暗闇の中へ落ちていった。


105 名前: ブライトノア・クロニクル(中)3/4 [sage] 投稿日: 04/07/17 13:53 ID:???




 目を覚ましたのは三時を少し回ったくらいのところだった。どうして目を覚ましたかというと何か工事をするような機械音が聞こえたからだ。
それはとても微かな音なのだけれど、僕の意識を乱した。長い戦場暮らしの所為で僕はかなり神経質になってしまっているのだ。
ほんのささいな物音でさえも、敵襲と感じてしまうこの癖はもうどうしようもない。
やれやれ、僕は溜息をついた。
ぐっすりと眠る事すら満足にできないということなのだろう。こどものときのように何の心配もなく眠ることは不可能なのだ。
それはとても不幸なことだ。けれど、永遠に眠りについてしまった人よりは幾分ハッピーなことかもしれない。
ベッドをはなれて下着を身に着ける。放り投げていたズボンと服を身につけ、大きく背伸びをする。
そこで、僕はふとあることに気がついた。いったいどこから工事の音がしていたというのだ?
別に僕はバスルームの配水管の水漏れの修理も、電球の取替えも頼んではいないし、ドアには鍵もかけていた。部屋の中ではない。
扉をあけて廊下をみても、そこには誰もいなかった。真っ赤なカーペットが山に捨てて行かれた飼い犬のように置かれているだけだった。
おかしい。僕は確かに工事をする独特の機械音を確かに聞いたのだ。
部屋に戻って、窓をあける。ここは市内の中心部にほど近いところにある超高級ホテル「もくば」の最上階なので、
アデレート市全体を一望することができる。
下を見るとゲリラで破壊された道路やビルにゴマ粒のように人が沢山集まっているのがみえた。みな落盤に備えてヘルメットを被っている。
そのせいか、ここからみると黄色の塊がうごいているようにしかみえなかった。黄色の塊はくっついたり離れたりをいくども繰り返していた。
彼らはそれぞれ指示をだしあっているようだったが、その声はさっぱり聞こえなかった。ただ風の音だけが僕の耳に入った。
工事の音がどこから聞こえたのか、さっぱり検討もつかなかった。僕は首をひねる。地球ぼけというやつかもしれない。
僕はあきらめて窓を閉めた。



 革張りのソファに座り、備え付けの液晶テレビをつけると、なにやら料理教室の番組をやっていた。今日はどうやらステーキのようだった。
化粧の濃い中年の女性と、初老にちかい男性コックが二人でなごやかに話しながら、料理をしていた。二人は夫婦のようにもみえた。
夫婦で料理をするという趣旨の番組かもしれない。だが、僕にはわからない。彼らがタレントかどうかすらわからない。
地球のテレビ放送にでるタレントなど知っているわけがないのだ。それにテレビをみるのはとても久しぶりだった。
僕はぼんやりとその二人が画面中で動き回る姿を眺めていた。働きアリのように男が動き、女はキリギリスのように喋ってばかりだった。
そうこうしているうちに、料理は完成に近づいていた。女性が野菜を大きな皿に盛り付けをはじめたところで、番組はCMに入った。
洗剤のCMが流れ始めたところで、僕はテレビを切り、おおきな欠伸をした。
そしてふと僕は自分が昨日の夜から何も食べていない事に気がついた。途端に、驚くくらいの猛烈な空腹を覚えた。
それは木星よりも巨大な、本当に底抜けのブラックホール的で、虚数空間に匹敵する途方もない空腹だった。
あまりの空腹に吐き気まで催すほどだった。これほどの空腹を覚えたのは生まれて初めてのことだった。


106 名前: ブライトノア・クロニクル(中)4/4 [sage] 投稿日: 04/07/17 14:04 ID:???

 僕はホテルの食堂に行き、やたら背の高いウェイターから献立表を貰うと中身を開きもせずにステーキを二枚頼んだ。
一枚は塩コショウだけにしてもらい、もう一枚はシェフご自慢という特製のタレにしてもらった。どちらも焼き方はウェルダンで
注文した。ビールを頼もうと思ったが、思いなおしてやめた。さっきものんだばかりなのだ。昼間からあまり飲み過ぎるのはよくない。
かわりに僕は先程のテレビを考え、そしてつぎにステーキについて考えた。レアが食べられなくなったのはいつからだろう。
戦場でいい具合にこんがりと焼けてしまったジオン兵士の死体をみてからだっただろうか。それとも、
戻ってきた連邦兵の脇腹から流れ落ちる真っ赤な血液を見てしまってからだろうか。よく覚えてない。どちらでも同じ事だ。
とにかくそれ以来、僕は血が滴るようなレアステーキは食べられなくなったのだ。
他の士官にそのことを話すと彼らは僕の神経質さを嘲笑った。
そんなことじゃあ戦場で生きていけないよ、君。兵士なんて消耗品なんだ。替えなどいくらでもあるんだ。
と僕にしたり顔で諭してくれた中佐はシャアの反乱の時に戦死した。
彼は投降して来るとみせかけたシャアの艦隊の不意打ちをくらい、大量の対艦ミサイルとともに宇宙の塵になってしまったのだ。

「お待たせしました」

 その声と同時に目の前のテーブルによく焼けた分厚いステーキが二枚置かれた。鉄板ごと運ばれてきたので、
肉が焼ける音が辺りに響いた。僕は周りを見渡したが、中と半端な時間だということもあって客も少なく、別に
こちらを気にしている人はいないようだった。

早速、僕は肉に齧り付いた。
最高級の牛の最高級の部位の肉だということだったが、正直な所あまり美味しいとは思えなかった。脂身が多すぎる。
僕は肉は赤身が多い方が好きなのだ。これは年をとったからかもしれない。
特製のタレというのもそれほど僕の舌を満足させなかった。正直なところ、これならば近所のマーケットで売っている
市販のタレの方が美味しいのじゃないかと思った。くどい。とはいえ、僕の空腹を満たすのには二枚の特大肉は多いに役立った。
木星に住む人に生活物資を運ぶ連絡船のように僕の手は休むことなく食べ物を胃の中に放り込んでいった。
ホワイトベースを追跡してきた12機のドムをあっという間に倒したみたいに、僕は目の前に並べられた料理を片っ端から平らげた。
 結局、僕は魚介類のリゾットとステーキを二枚食べ、更にヌードルいりのポテトシチューとバジリコ入りスパゲティーを平らげ、クロワッサンに
バターをたっぷりつけて3個食べ、フレンチドレッシング付きのサラダ をボウル一杯の量食べた。
それでも空腹な僕はオーストラリア特産のトナカイ肉のローストビーフを分厚く切ったものを注文し、ボテトシチューをお代わりした。
そしてデザートとして生クリームをたっぷり使用したマロンケーキを半ロール食べた。
すると、口の中があまったるくなりすぎてしまったので、ハムときゅうりのサンドイッチを別に頼んで食べた。きゅうりはよく塩味が効いていた。
これくらい食べてしまうとさすがに、木星のように膨れ上がっていた空腹は、どうやらピグザムないしサイコガンダムにまで小さくなったようだった。
とはいえ、それでも僕はまだ腹をすかしていたので、オレンジのシャーベットを二杯お代わりし、最後にコーヒーを飲んだ。
僕の食欲はカプールくらいのサイズまで小さくなった。そして、それはありしひの僕の性欲と同じくらいだった。
ウェイターは僕のたべっぷりに驚きを通り越して、賞賛の表情すら顔に浮かべていた。
その表情の変化は、ダカールの演説の時の議員達の反応によく似ていた。当惑、呆れ、驚きから、最後には羨望になるあのタイプだ。
奥からホテルの料理長がでてきて、あなたのように食べてくれた人は初めてです、と僕に握手を求めてきた。

彼の手を握り返すと、やけにあたたかった。その過剰のあたたかさは僕に砂漠を思い出させた。
そういえばタムラ料理長はなにをしているんだろう?




部屋に戻ると、ドアの隙間に夕刊が影のようにそっと挟まれていた。
僕はそれを手に取り、中に入る。見出しには『マフティー処刑さる』と書かれているのが読めた。

(ブライトノア・クロニクル(下)に続く〉