ブライトノア・クロニクル(下) 後編

143 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  1/20 [すごく遅れてすいませんsage] 投稿日: 04/07/24 20:53 ID:???<ギギ・アンダルシアからの手紙 その1>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 こんにちわ。ハサウェイ。突然、手紙をだしてごめんなさい。
私、ギギ・アンダルシアはいまニホンのキューシューというところにいます。貴方のお母さんの故郷っていってたところです。
とてもいいところです。空気は美味しいし、水もとても透き通っていて綺麗です。山も自然のまま残ってます。
戦争もないし、人々はみんな宇宙にいけることなんて未だに信じてないような顔をしてくらしています。いいことです。
宇宙なんてほんとは全部うそっぱちなんだ、ってあたしは会った人にいってます。

 私はケネスが借りてくれた別荘みたいなところに住んでいて、ここで、毎日、いろんなことを体験しています。
大抵は朝早く起きて、昼くらいまで勉強しています。
やっぱり勉強しなくちゃいけないな、って思ってきたんです。感性だけでいけるところなんて限界があります。
ハサウェイがあのときいっていたように、感性と知性のバランスを保たないと駄目なんだって思うようになったんです。
それに顔だけの女って思われるのもしゃくです。あたしは連邦のどぎつい閣僚夫人みたいになりたくないんです。

 そして昼過ぎになったら簡単な食事をつくります。大体はオムレツと牛乳とパンです。このへんでうっている牛乳は
すごく甘くて美味しいんです。搾りたてをそのままパックにしているんです。保存料とかそういうのは一切なしです。そのままです。
だから、その日飲む分だけ買って飲みます。一リットルくらいはぺろりと飲めちゃいます。

 昼からは大抵、外に椅子をだして座って読書をしています。
主に旧時代の本とかを好んで読んでます。ニホンの本はまだ読んだ事ないけど、昔のいろんな本をよみました。
旧世紀時代に、某国で革命をおこす原因になった「シホンロン」って本とかジオンみたいな軍隊を築いた人の「ワガトウソウ」とか。
はっきりいってまったくわかりません。時代背景とかちんぷんかんぷんです。けど、なんとなく匂いみたいなものは感じ取れます。
それはなんだか古ぼけた時計みたいなものです。もう止まって動かないんですが、そこには動いてきたことの残滓みたいなものがあります。
過去がぎっしりつまっているような感じ。嫌いじゃない。私は宇宙世紀になって旧時代の本をみんながよまなくなったことを残念に思います。
どうしてかよくわからないんです。なんでみんな読まなくなったんだろう。
きっとみんな宇宙という広い世界ばかりが目に入って、足元の小さな世界に目をやる余裕がないのかもしれません。


キューシューはほんとにいいところです。
あたしのいるところは昔、オオイタとかミヤザキとか昔言われていたところです。すぐ近くには海があってそこにはいろんな魚が泳いでます。
モビルスーツは全然みません。いちどアッガイみたいな漁師のおじさんをみたきりです。彼は手におおきな「にじます」を持ってました。
あたしがじっとみていると彼はそれをくれました。とってもいい人です。お礼をいって、早速、ソテーにして食べました。美味しかったです。


ケネスは相変わらず女のコとばかり遊んでいます。つい先日はメイスっていう女性の所に浮気をあやまりにいきました。
結果はどうなったのか知りません。けど、泊まって来たらしいのできっとうまくいったんでしょう。
彼はいまは組織をまだつくる時期じゃないといってます。マフティーに匹敵する組織をつくりたいみたいなんです。
けど、連邦の監視が完全に溶けるまで(それはいつになるかわからないのですが)、当分おあづけみたいです。

呑気なものだなって思います。けれど、それは女の考えなのかもしれません。実は影で色々進めているのかもしれません。
けれど、ケネスはそれを教えてくれないし、あたしも聞きません。
だって、あたしはここでゆっくりと死ぬつもりなんだから余計なことは知りたくないんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



144 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  2/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 20:57 ID:???
5章    
      タクシー、繋がり、蛍


 空には地中に眠っている太古の動物の骨のように白い月が、鋭い弧を描いて昇っていた。
それはまるで僕がさきほど工場でみた「ひげ」ガンダムの「ひげ」みたいな形だった。まわりには星が申し訳なさそうにちらちらと輝いていた。
タクシーの運転手は若く、ガムをくちゃくちゃさせながらハンドルを握っていた。親の仇を口に含んでるような乱暴な噛み方だった。
もしかしたら親はガムが喉に詰って死んだのかもしれない。世の中にはそういう死に方をする人もいるのだ。
僕の士官学校時代の友人に飴を喉につまらせて母親を亡くした男がいた。そのせいで彼は飴をひどく憎んでいた。飴を舐めている子供がいたら、
とりあげてどこか遠くに放り投げるくらい憎んでいた。彼はそのたびに近所の住民から警察に通報されて連行させられていた。
取り調べ室で彼はこう主張していた。
「おまわりさん、あれは悪なんだ。悪が擬態化しているんだよ」
けれど、当然ながらそんなことを警察は認めてくれない。くだらない言い逃れだと決めつけた。彼は書類送検されて略式起訴をうけた。
執行猶予がついたけれど、その後、同じような事件でまた捕まり、今度は刑務所におくられた。
士官学校で優秀な成績だった彼の消息はそれ以降、まったく僕の耳には入ってこない。そんなことをふと思い出した。



 冷房の効いた車内のスピーカーからは黒人シンガー独特の野太い力強い歌が流れていた。
悪くない曲だった。充分な発声とよく伸びる低音を持っていた。そして雨が降るのをながめる少年のような切なさを含んでいた。
だが、僕にはこれが誰の歌かどうかさっぱりわからなかった。
音楽の曲調や録音音声の悪さから言って旧時代に録音された音楽じゃないだろうかと検討をつけた。
「ねぇ、レイ・チャールズって知ってる。おじさん?」と運転手が突然後ろを振り向いたので僕は少しびっくりする。
なんだって?レイ・チャールズ?
「旧世紀にアメリア大陸で大ヒットした伝説的なミュージシャンだよ?知らない?この曲。結構有名なんだぜ」
「知らない」
「けっ。いけてねぇな。これだから中年をのせるのはいやなんだよ」と、彼はいった。そして、もう興味はないといった風に前を向いた。
やれやれ、だって僕は今現在歌っている歌手の名前すらもあまり知らないのだ。旧世紀の曲なんてわかるわけがないじゃないか。
テレビも見ないし、雑誌もほとんど読まない。見てもせいぜいミライが買ってきた婦人情報誌をちらりとながめるだけだ。
軍務のせいで暇はないし、そんなことを覚えるの時間が無意味に感じるのだ。いつ死ぬかわからない暮らしだと、そんな風に思ってしまう。
だから必然的に僕は世間の事をあまり知らない。いま、巷で何が流行っていて、何がすたれているのかなんてわからない。
こうしてみると、軍人とは白痴に近いのかもしれない。冗談でもなんでもなく。

145 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  3/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:02 ID:???

 道路は全くといっていいほどガラガラだったので、僕の乗った「彗星」タクシーは名前のとうりすいすいと進んだ。
途中、大きな道路を通るときに検問が何度かあった。軍の上層部はきっとマフティーの残党たちによる報復活動を警戒しているのだろう。
片手にマシンガンを手にしたまま近寄ってきた兵士達に、連邦の身分章をみせると彼らはあわてて最敬礼と共に後ろに後ずさった。
彼らの直立不動の敬礼に見送られながら、僕は思い出す。そういえば、僕はいま南太平洋一帯を取り仕切る総司令官をしているのだ。
だかといってなんだというわけではないのだけど。
「おじさんってえらいんだ」と、急に態度が変わった兵士達をバックミラーでみながら、若者が感嘆したように口笛を吹いた。
「それほどもないよ」と、僕はいった。「所詮は組織の歯車さ」
 そうこたえながら、僕はふと昔も同じことをいったような気がした。いつ誰に言ったのだろう?思い出せない。
年をとると思い出せないことが多すぎる。というよりも僕がいつもおなじことしかいっていないからかもしれない。
絶望的にボキャブラリーがすくないのだ。戦闘中にも、だから左舷が薄い、とか弾幕が薄いとかしか僕はいうことができなかった。
それがクルーの間でからかいの種になっていることもしっていた。どうでもいいことなので放っておいたのだけれど、
やっぱりもっと本を読んだほうがいいのかもしれない。辞書も買って艦長室においていたほうがいい。

 僕は窓の向こう側に目をやった。
道路にはいたるところに瓦礫が積まれていた。ビルは崩壊し、まるで子供が去った後の砂場の城みたいになっていた。
そこには夢の残骸だけがのこり、他には何も残ってなかった。無邪気で無意味な暴力だ。五日前の惨劇のひどさが僕にはよくわかった。
これは全てハサと連邦がやったことなのだ。僕はその重みを、否定することのできない事実を受けとめる。
僕はその二つに属し、どちらにも責任があるのだ。やれやれ、一体どうしてこんなことになってしまったんだろう。
まるで右手と左手を頑丈なロープで縛られて、バイクの先にくくりつけれたまま逆の方向に引っ張られているみたいだ。
僕はどちらにもいけず、ただその場で苦痛に耐えることしかできない。

 「ねえおじさん」と、若者がまた声をかけてきたので、僕はこの不毛な考えを一時中断した。
彼はラジカセの入った救急箱サイズのブリキの箱をこちらに放り投げると、
「そのなかで好きな曲を選んでいいよ。サービス」といった。
僕は苦笑する。サービスにしてはいささかあらっぽい。彗星タクシーはどうやらかなりゆるい規律のようだった。
中に入っている曲はどれも旧世紀の歌手だった。僕はテープの背表紙に書きなぐられた文字を読み取る。
ドアーズ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、クリーム、イギー、デュラン・デュラン、ポリス…
どれも全く聞いたことはなかった。知らない歌手ばかりだ。手に取ると、それらはまるで僕の手の中にいるのを拒絶するように硬い音を立てた。
僕は何かしっている曲がないか箱の中をじっくりと覗きこんだ。なにかがある筈だ。
それは確信に近い予兆だった。僕はそれがわかる。
 そのなかに「軍歌(ジオン関連)」とかかれたカセットをみつけたとき僕は驚かなかった。当然におもえた。全ては繋がっているのだ。
ありとあらゆるものは目に見えない何かで連結しているのだ。その糸はあまりにも細いけれど確かに僕に繋がっているのだ。
信号待ちの際に、僕は彼にそのテープを渡す。彼は僕の顔とテープを交互に見比べて口笛を吹いた。


「おじさんってひょっとして元ジオン軍だったりする?」
「そうかもしれないね」と、僕は曖昧に答えた。
「それなのにいまでは連邦のお偉いさんか。すげえ」と、彼はいった。そして、テープを入れ替えてくれた。
 ちょうど信号が変わり、タクシーはゆっくりとスタートした。エンジンの回転数があがる際の振動が後部座席の僕を僅かにゆらす。
カー・ステレオから流れ出すジオン公国国歌を聞きながら、僕は自分が元ジオン軍だったらどうなるだろうと考えた。
そうだったら僕の運命はどんな風に変わっただろう。
 僕はそのIFについて暫く脳内でシミュレーションしてみた。連邦のときとおなじ階級でたとえばムサイに僕が配属されたと仮定してだ。
綿密なる計算の結果、僕は12月に、あのソロモン沖開戦で名誉の戦死を遂げるという結論に達した。戦果はジムを10機とボールを5基、
アムロの乗ったガンダムの盾の破壊、それにガンキャノン一機と相打ちいったところだった。わるくない。春先のネモくらいわるくない。

146 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  4/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:07 ID:???

 タクシーが止まったのはアデレート空港から南に数キロすすんだ人気のない地点だ。
そしてそこは僕が指定したとおりの場所だった。

 僕は礼をいって指定された金額より多めに運転手に渡した。
「ねぇ、おじさん。帰りが大変だろうから待っててやろうか」と、彼はいった。
「それにさ、こんなところでいったいなにがあるっていうんだよ?」
「ありがとう。けれど、きっと遅くなると思うからそれには及ばない」と僕はいった。ここで何があるかはいわなかった。いえるわけない。


 料金をうけとった彼がハンドル脇のボタンを押した。後部座席のドアが開く。僕はそこから降りながら彼に
「そういえばどうしていまどき音楽チップじゃなくてカセットを使っているんだ?」と聞いた。ずっときになっていたのだ。
「あぁ、これは俺のひいひい爺ちゃんがデッキと一緒に残していってくれたやつらしくてさ。
うちの親父がアナログなやつで、これを家でいつも聞いてたんだけど、去年しんじまって。そんで形見として俺がもらったんだ」と運転手はいった。
「まだまだ現役でつかえるんだぜ。ニホン製らしいんだけどすげーよな」
「たしかにすごい。大事にすることをすすめるよ」
 僕はカセットテープが宇宙世紀の時代に残り、親から子へと引き継がれていく光景を想像した。わるくない。
そうおもってからカセットテープをみると、それらは幸せそうに箱の中に入っていた。小さいけれど確固たる幸せがそこにはあった。
僕はそのことにひとりで満足する。なにか嬉しくなる。
物のありようも、人のありようも幸福の形は似通っているのだ。


147 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  5/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:14 ID:???


 空港には人気は全くと言っていいほどなかった。どんな些細な気配すらもなかった。鳥すらいない。
そのなかで、ただ僕の靴のかかとが補修された強化アスファルト接触する際のコツコツという乾いた音だけが響いた。


 僕がここにきた目的の彼……クスイーガンダムは昨日見たときと同じ態勢で地上にあった。そのことに僕はほっとした。
もしかしたらもうここにはないんじゃないのかと思って心配だったのだ。まだここにあってよかった。
物影にしゃがみ込みあたりを見渡すが誰もいない。警戒のために兵士が数人残っていてもよさそうなものだけれど、どうやら連邦は
そんなことしないようだった。まるで敵のモビルスーツを無警戒に放置する事で自分たちの勝利を完全なものだと勘違いしているみたいだった。
その油断がいままでにいくつもの哀しみを引き起こしてきたことを彼らは全く気にしてないのだ。
やれやれ、僕はおもう。いったい何回ガンダムを強奪されたら気が済むんだ?
 僕はそんな連邦の学習能力の無さにうんざりした気分になった。けれど、今回ばかりは連邦のその怠慢さに感謝しなければならない。
僕はズボンのポケットに手をつっこんだまま空港の滑走路のはしっこを横断した。飛行機はひっそりと隅のほうにあつめられていた。
その姿はまるでア・バオア・クーのときのボール達みたいに、これからの先行きをとても不安がっているようにみえた。


 クスイーガンダムはまるで眠っているようにみえた。それもただの眠りではない。
致命傷を脇腹に負った老兵が、最後に妻や子の顔を思い笑みを浮かべながら死んでいくようにそこにはある種の完結性が存在していた。
ガンダムにとってそこでくちたえていることは少しも不幸ではないのではないか、と僕は思う。
世の中にはそういった死というものがある。
 まるで予定どうりといったような感じで彼は森と地面とコンクリートの間に埋まっている。月がそれをやさしく照らしあげている。
僕は近づきながら、幸福な死について考える。ガンダムとの距離がせばまっていくにつれその考えはどんどん確信を深めていく。
腕を伸ばせば、手が触れるところまでちかづいたとき、僕はひとつの結論に達する。
これは終局の1つの形では有ったけれど、けして不幸な終わり方ではなかったのだ。グッドエンドとまではいえないが、バッドでもない。
ガンダムは現在の自分の状況に納得しているのだ。

 僕はそのまま三十秒ほどガンダムをみていたが、やがてゆっくりと行動を開始した。
突起やひび割れた装甲の部分に手をいれて、ゆっくりとよじのぼっていく。横たわっているのでそれほどの高さじゃないが、
暗いので僕は滑り落ちないように、3点確保を意識しながらゆっくりとのぼっていった。ガンダムの装甲はひんやりとして冷たかった。
僕はその冷たさは夜の所為だけではないと知っている。
なんとかハッチの部分にまでたどり着いた僕の視界に青いものが目に入った。なんだとおもったが、どうやらビニールシートのようだった。
夕べのときと違い、コクピットの部分は青いビニールシートで乱暴に塞がれていた。どうせ操作系統はイカれているのだから、これは
強奪などの予防というより雨に濡れてしまうことを避けるためだろう。馬鹿げてる。僕はそれを剥ぎ取った。そして中をのぞきこみ、息を呑む。


148 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  6/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:23 ID:???

 コクピットはまるで一面に蛍をしきつめたように仄白く発光していた。
まるで夜空の星のいくつかが、なにかの手違いでここに零れ落ちてしまってきたんじゃないかと思えるくらい美しい幻燈だった。
僕はその透明な星の光にしばらくみとれた。それは決して人為的に生み出す事ができない種類のものだ。いくら科学技術が
発達したとしても、こういうものは決して作り出せない。魂を人が作れないのと同じように。

 けれど、いつまでも惚けてはいられないので、僕はおそるおそるコクピットにはいり、座席に腰を下ろした。
少し傾いているので不自由な態勢にはなるが、なんとか座れる。
 僕が入ると、まるで異物が混入された細胞みたいに光は困惑し、赤くなったり青くなったり黄色なったりと、変化をし始めた。
実際、僕は異物そのものなのだろう。僕は元々存在しうるものではなく、許容されるべきものでもないのだ。
このまま光の中に飲みこまれてしまったらどうしようか、とおもいその恐怖に、僕は唾を飲みこんだ。
けれど、そんな心配をよそにやがて光はあきらめたように変化をやめていった。次第に色と色の輪郭がぼやけていった。
赤や青や黄色は、全てが柔らかくまじりあいながら溶けていき、ゆっくりと綺麗な緑色へと変わっていった。
その色は僕に地球を包み込んでいたサイコフレームを思い出させてくれた。人の意思がみせる究極の結晶。意識の宝石といってもいい。
それが僕の眼前で構成され、ちらちらと輝いている。宝石収集家がみたら卒倒するほど最高のシチュエーションだ。
 そんなことをおもいながら、僕はなんとか首をうごかした。
開けっぱなしのハッチから空を見上げた。月の光が差しこんで僕の腰の辺りまで白く染め上げていた。僕はその部分をじっと眺める。やけに白い。
月に照らされている下半身の部分が骨になってしまってるようで不安になった。僕は足を動かそうとしたが全く動かなかった。
頭の奥の方のある一点が微かにしびれて、身体の自由が利かなくなっているみたいだった。

 うごかすことをあきらめて目を閉じる。僕は想像する。世界に僕とガンダムしかないことを想像する。そこは無音の世界だ。
ありとあらゆる物音は具象化されて床に落ちる。鳥の歌も、風の囁きも、星のまたたきも全てが固まってしまう世界だ。
 たとえばの話だが、その世界で僕は言葉を一言だけいう。それは空中に出たとたんに、冷凍庫に入れた水のようにかたまり、
どこにも届かない。世界は音が独立して存在することを許さない。全ての音は誰の耳にも届かない。
僕はコクピットの中でその深淵のような沈黙にずっと身体を預ける。この世のあらゆる音は全てガンダムのなかに吸いこまれているのだ。
降り積もった雪がやがて溶けて地表に染み込んでいくように。
僕はガンダムの中に沈みこむ。『移行』しているのだ。と僕は思う。次元から次元へとゆっくりと移行しているのだ。
そして、僕はあたりを取り囲んでいる緑色の光につつまれてしまう。






                     「少し話していいかな?」




ク・ス・イ・ー・ガ・ン・ダ・ムのなかで、マフティーがいった。


149 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  7/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:27 ID:???
6章  
          マフティー・ナビーユ・エリン


「いいとも」と僕はこたえた。
「遅くなっちゃったかな」
「かまわないさ。いまきたばかりだし、僕はそのためにきたんだ」

 僕は立ちあがる。もうここは狭いコクピットではない。
まわりには電信柱のようにいたるところにガンダムが乱立し、その下に人が忙しそうに働いている。
誰もが幸せそうに、楽しそうにガンダムを構築し、のこが、スパナが、ドライバーが無数に床に転がっている。
そう、ここはガンダム生産工場だ。僕は再びここに戻ってきたのだ。
僕は足元にあるタイルの感触をしっかりと踏みしめることで現実をしっかり確認する。たしかに僕は戻ってきたのだ。
もう一度しっかりと踏みしめたあと、顔をあげてマフティーをみる。そう、マフティーだ。目の前にいる男はマフティーなのだ。

「身体中がまだ痛くてね」とマフティーは言い訳するようにいった。「バリアーとの接触で皮膚が重度のやけどになってしまったんだ」
「聞いたよ」
「それにまだほら、このへんの傷がふさがっていない気がするんだ」
彼はそういって、左胸のあたりーーーちょうど心臓の部分ーーーをそっと指でなぞった。
まるでまだそこに無数の穴が空いているみたいに。僕はなんていったらいいかわからない。
だからただじっと黙っていた。


「あぁ、気をわるくしないでほしい。別にブライト艦長を恨んでいるわけじゃない」
僕が黙り込んだのをみて、あわてたように彼はいった。「誰も恨んじゃいない」
「本当に誰も?」
マフティーは頷いた。実に素直な頷き方だった。
「個人的な私怨はないよ。キンバレー部隊は自分たちのやるべきことをやったのだし、自分たちもそうだ。
連邦政府のやりかたには憤りを感じたけれど、個人には余計な感情はない。やるべきことをどちらもやった。それだけさ」
「けれど、逆に君達に対して個人的な怨みを持っていた人は多かったみたいだけど」
僕はいった。そうでなければ裁判もせずに処刑などという、どう考えても問題になるやり方を閣僚たちが指示するわけはない。
彼らはマフティーをはやく殺したかったのだ。一刻も早く柩のなかに放りこんでしまいたくてたまらなかったのだ。

「仕方ないさ。こちらはテロリストだ」と、マフティーは淡々といった。諦めてるというよりは、そういうものだと認識してるみたいだった。
「正当化するつもりはまったくないよ。テロはテロだし、粛清のさなかにいろんな人を巻き添えにしたから」
「空港も壊したしね」と、僕はいった。マフティーは首をすくめる。「だって仕方なかったんだ」

だって仕方がなかったんだ。僕はその言葉を暗誦してみた。その言葉はよくできた魔法のようにおもえる。
オーケー。仕方がない。一年戦争グリプス戦争もシャアの反乱もみんな仕方なかったんだ。
おわってしまえば全ての物事は必然だったように歴史家によって整えられる。まるでそうなるべきもの、市販されている
ジグソーパズルのピースみたいに、ぴったりと原因と結果が結びついて、全ては起こるべきものだったとみなされる。そういうものだ。


150 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  8/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:29 ID:???
「どうしてアデレートを狙ったんだ?」
「…わるいけど、今更いちいちいいたくない。声明のときにいったことが全てさ」
そんなことも知らないのか、というような目で彼はこちらをみた。
もちろん、僕はどうしてここを狙ったのか知っている。けれどマフティーの口から直接聞きたかったのだ。
直截的に彼の言葉をききとることができれば、僕はもっと理解できる気がする。
「君の口から聞きたいんだよ」と、僕はいった。
連邦政府調査権の修正法案さ」とマフティーは吐き捨てるようにいった。

僕はその言葉で、マフティーがアデレートを直撃する前にした演説を思い出した。たしか、こういう内容だ。


※ ※

・・・今回のアデレード会議が、この連邦政府差別意識を合法化するための会議であることは、
どれだけの方がご存知でしょうか?
アデレード会議二日目の議題のなかに、地球保全地区についての連邦政府調査権の修正、
という議題がありますが、これはとんでもない悪法なのです
この第二十三条の追加項目にある文章は、官僚の作文なので意訳しますが、
たとえば、連邦政府の閣僚から要請があれば、オーストラリア大陸に土地を所有している方々からも、
任意にそれらの土地を提供しなければならないことになります。
もちろん、正規の居住許可をもっていらっしゃる方からでも、土地を取りあげることができます。
代償は、収容する土地と同じ面積の土地を所有者の指定するスペース・コロニーに請求することができるというものです。…

※ ※


確かにこんな法案をとおしてしまえば連邦の横暴はますます加速度的にひどくなる。
いささかアジテート的な演説だったとはいえ、内容はもっともなことだった。マフティーは立ちあがらざるを得なかったのだ。
好むと好まざるとに関わらず、それは行われなければいけない事だったのだ。

「君が行動に走った理由はわかるよ」と僕はいった。
「わかる?」マフティーはその言葉にぴくりと眉をあげた。「いったい貴方になにがわかるっていうんだ?」
その言葉には先程までと違い棘が含まれている。ぎざぎざとした鋭い棘だ。僕は黙る。
「嘘をつくなよ。なにもわかっちゃいないくせに。
貴方はいままでいろんな戦争に参加したけど、そのなかで1つでも自分の意志で選びとったものがあるのか?
どれもこれも身に降りかかってきた災難みたいに思ってるんじゃあないのか?受動的で。なにも掴み取ることもなくね。
アムロさんやシャア・アズナブルカミーユビダンといった人達に会っても、なにも影響を受けることはなく、
貴方はただの戦闘マシーンとしてみんなをごくごく実務的に扱ってきたんだろ」
マフティーの語意は強かった。彼は真剣に怒っているのだ。
彼は僕がロボットのようにニュータイプを酷使したことを真正面から非難しているのだ。

151 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  9/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:43 ID:???


「そうかもしれない」と僕は認めた。艦長としての責務をはたすことを第一義と考えすぎて、彼らの思想や苦悩や理想に
頭が回らなかったことはたしかなことだ。「だけど、」と僕は続けようとしたが、マフティーは僕の言葉をさえぎった。
アムロ・レイシャア・アズナブルが行方不明になったあとも貴方はなんらかわることなく日常に戻った。
まるでちょっと近所にタバコでも買いにいって戻ってきたような気安さだった」
それは許されることじゃない、とマフティーは続ける。「貴方は責任を放棄したんだ。ニュータイプといわれる人種を
全て見続けていても貴方は何もかわらなかった。連邦にたいしてより愚鈍に、より従順になっただけだ。
貴方の姿はまるでオールドタイプは一生オールドタイプだという実存証明みたいにみえた。なにもかわらない馬鹿さ。
そんな人間に一体マフティーの何がわかるっていうんだよ?」

僕は黙って彼の言葉を聞く。そう、僕は何も変わらなかった。僕がしたことといえば3年前に辞表をだしたくらいだ。
そして、それすらもつい先日まで連邦に受理されていなかったのだ。

「まっとうき全体というものに人類が収斂されなければ結局、問題は何も解決しないんだ。連邦なんて腐りきってるんだ。
僕はそれを行動によって、人類に知覚させようとした。ニュータイプに促すにはやや過激な方法もとらざるをえなかった」
彼はそこで一旦大きく息を吐いた。

「現在の体制への否定が、すぐにニュータイプへとスライドするとまでは考えてなかったけどね。
ただ、それでもそこに可能性があった。貴方と違ってね。
僕の仲間もいっていたよ。ブライト・ノア艦長は英雄だといってるがただの軍の犬なんじゃないのかってね。
あんなのが未だにホワイトベースで残っている唯一の士官だなんて笑わせるって。俺もそうおもったよ。
普段は監視されて警戒されて地球に縛られているのに、シャアの反乱のときみたいな有事にだけ宇宙に呼ばれる。
まるでレンタルビデオみたいにさ。そんな扱いをうけて、連邦に失望しながらも、いざ呼ばれたらこれみよがしに尻尾をふる。
そんな貴方の姿は僕には・・・」
そこで言葉が止まる。マフティーは突然言葉を失う。次に発するべき言葉がふいに掻き消えたみたいに彼はうつろに口をあけて、
ただこちらをみる。目にはいいようのない哀しみがある。「僕には・・・」
彼はなんとか言葉を探し出そうとする。けれど、それはもう既に損なわれてしまいみつからない。
言葉は宙にきえてもう二度と戻らない。


 かわりにマフティーは、深い深い溜息をついた。まるで肺の中の酸素を拒絶するみたいに彼は息を吐き出した。
彼のからだの中の肺が全部つぶれちゃうんじゃないかと心配になったくらいの長い溜息だ。
そして、吐いてしまった後、彼はじっとおし黙った。敗戦の報を聞いたジオン兵捕虜みたいに。僕も何も喋らなかった。
時間だけが過ぎていった。そのまま、かなりの時間がゆっくりと沈黙のなかに押し流されていった。
どれだけの時が過ぎたかはわからない。時はとつぜんに膨張したり縮小したりを繰り返しているようで、
正確な時間の経過が僕には把握できなかった。ここにきてからどれだけたったのかさっぱりわからなかった。二分のようでもあるし、
20分のようでもある。僕は手のつけねを指で押さえて脈を測ろうとした。脈拍で時間を測ろうと思ったのだ。
だけど、僕は全然血液の流れを感じることができなかった。血液はまるで止まってるみたいだった。僕はあきらめて手を離す。



152 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  10/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:53 ID:???
「いま僕がいったことは全て忘れて欲しい」と、ながい沈黙のあとにマフティーはいった。「どうかしているんだ」
「気にしなくていい」と、僕はいった。もっと僕は責められるべき人間なのだ。
「何か言いたいことがあるなら全部吐き出してもらってかまわないよ。僕はそれを聞くためにここ来たんだから」

僕は全てのことを甘受しなければならない。ニュータイプといわれるものを浪費してしまった罪を背負わなければならない。
そして、君を見殺しにした事実を背負わなければならない。
マフティーは首を振った。彼はひどく落ちこんでいるようにみえた。
まるで大事な宝物を粉々に破壊してしまった少年みたいに、沈痛なおももちで彼は俯いた。
「もういいんだ」
唇をかみ締めて、そういった。その姿は飼い犬が噛みついたことにショックを受けている飼い主みたいだった。
もしくはアムロに拒絶されたカマリア夫人みたいでもあった。

僕はそんなマフティーの姿に、革命家の苦悩といったものを漠然と理解できる。
だけど、当然のことなんだけど、僕には彼を癒すことなどできない。革命家は常に孤独なのだ。ジオン・ダイクンしかりシャア・アズナブルしかり。
マフティー・ナビーユ・エリンが革命家なのか、テロリストなのか、世間の論調はさだかではない。けれど僕は革命家として扱いたかった。
そうでなければ彼はあまりに不幸過ぎる。そして、僕はおもう。彼をすくってあげられるのはきっと僕ではないのだ。
彼を救うには全人類が解脱してひとつの善い集合体(つまりニュータイプ)になることしか考えられない。マフティーとしての幸福はそこにあるのだ。
そして、いまの僕にはそれはどうしようもできないことなのだ。残念な事に。


僕はいったんガンダムに目をやり、工場全体に視線をはしらせた。誰もこちらを気にしていなかった。
「本当にもういいたいことはないんだね?」と、僕はいった。それくらいしか僕には彼を救えないのだ。どれだけ棘を指してもらっても構わない。
「もういい」とマフティーは短くいった。

「それじゃあここからは連邦の大佐じゃなくて。ブライト・ノア一個人になりたいんだけど、構わないかな」と僕はいった。
マフティーはぼんやりと焦点の合ってない眼でこちらをみた。「駄目かな?」と僕は問うた。彼は眉間にずっと寄せていた皺をふっとゆるめた。
「僕もハサウェイ・ノアとして話すよ、父さん」とマフティーはいった。


153 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  11/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:59 ID:???
7章  
         ハサウェイ・ノア




僕とハサウェイはそれからかなりの時間をごくごく個人的な会話に費やした。
普通の親子がするような平和で辺り障りのない会話だ。もう戦争の話はしなかった。目の前にいるのは
植物監視官見習としてのハサウェイ・ノアなのだ。そこに先程までの怒りや苛立ちといったものは存在しなかった。

僕とハサウェイはここ数年そんなに長く会話をしたことがなかった。ある意味、疎遠といってもいい。
20を過ぎた息子と父親が話すことなんて限られているのだ。にもかかわらず、ここでは僕らは親密な親子のようにありとあらゆることを話した。
最近見た映画のことや、ぼくらが共通して応援している贔屓の野球チームのこと(コロニー対抗戦。とても移動に時間がかかる)、
子供のころによくいったホンコンシティの一角にある古ぼけた中華料理店、更にはチェーミンが以前連れてきたボーイフレンドとの顛末、
カイがジャーナリストとして出した本が結構な売れ筋になっていることなど実に色々だ。
そういった泥のようにあたたかい過去の話を僕達は飽きる事なくしつづけた。まるで現在失われた何かを一時の間でも取り戻すように。
僕とハサは地面にあいてしまった大きな穴を埋めるために、そのなかに過去の記憶をどんどんと放り投げていった。

やがて、穴がふさがってしまうとそういった話題も終わる。僕とハサウェイは、それでもなにか話題を探す。
沈黙が怖かったのかもしれない。親密な時間をなくしたくなかったのかもしれない。それで僕はなにか話題がないか考えた。
そして、ふと、僕は彼になんのきなしに「MSピープル」のことを聞いてみることにした。


「MSピープル?」と、ハサウェイは聞き返した。
「そう。ラーカイラムでみたんだけど、小人っていうのかな。とにかくサイズが僕らより一回り小さい人間なんだ」
「ふぅん。それで?」
「彼らはラーカイラムのドックの片隅で、この工場と同じくガンダムをつくっていたんだ。それもハサが乗っていたクスイーガンダムをだよ。
奇妙なことだとおもわないか?MSピープル、もしくは、そういった存在に心当たりみたいなのはないかな?」
「うーん。そうだな・・・・ないね。わるいけど」
「ここの工場となにか関係が有るのかと考えてたんだけど、まったく関係ないのかな」
「ないんじゃないかな。すくなくとも僕の知るかぎりではそんな人はいないけど」と、ハサは興味なさそうにいった。
彼は答えながら、右手で髪の毛を少しいじっていた。僕はその細い指先をじっと眺めた。彼の髪質は僕と一緒でやや癖ッ毛だ。
僕はぼんやりとチェーミンは母さん似の髪質でよかったな、とおもった。女性は綺麗なストレートの方がいい。
そのほうが自分の好きな髪形が出来る。僕なんてここ20年あまりずっと同じ髪型なのだ。その所為で、一度かつらとおもわれたこともあるのだ。


154 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  12/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:02 ID:???

ハサは髪の毛から手を離した。
「どうしてそんなにMSピープルを気にしてるの。父さん」と彼は尋ねた。
どうして?どうしてだろう。そうあらためて問われるとよくわからなかった。
「どうしてかな。予言をもらったからかもしれない」と、僕はいった。
「予言?」
「呪いといってもいいかもしれないけど。彼らは僕に『もうダメなんだ』と宣言してきたんだ」
ハサはその言葉の意味について考え込むように、宙を見上げた。僕もつられて空をみる。油にまみれたパイプがみえた。
彼は中空に答えが漂っているかのように有る一点をじっとみつめて、そして、ふっと視線を僕に戻した。
「それで、父さんはダメだとおもったの?」
「正直、最初は意味がわからなかった。なにをいってるんだ?と、そうおもったよ。不愉快になったし、無気味におもった。
けれど、ミライが電話にでなくなって、彼らのいっていることは本当じゃないかと考えるようになった。予言か預言かわからないけれどね。
2番目にアデレート空港でガンダムをみて、MSピープルがつくっていたのとそっくりだとわかり、その符号の意味を考えるようになった。
そして、最後に、夕刊で君の事実をしった。そして、MSピープルが伝えたかったのはこのことじゃないかとおもうようになった。
彼らはこの事実を僕に伝えたかったんじゃないのかってね」
「それじゃあ、今でも『もう駄目だ。手遅れだ』とおもってる?」と、ハサは僕の目を真っ直ぐに見据えていった。
水晶玉のような瞳のなかに僕がうつっているのがわかった。それは違う、と僕はいった。

「ここにこれなければそうおもったかもしれない。けれど、僕は君を想像し、ここにくることができた。
僕はあきらめないよ。アクシズが地球に落ちるのが決定的になったあとも一人で押していたアムロみたいにね」
あのとき、正直ぼくは隕石が落ちるのは運命だと決めつけた。アムロは諦めなかった。
それは決定的な差だと僕はおもう。あの空域にいた人間のなかでアムロだけが最後まで、諦めなかったのだ。
その意志がまわりに影響をあたえ、あの奇跡的な現象をおこしたのだ。だから、僕も諦めない。

「それなら、気にすることはないんじゃないかな」
ハサはそういって、もうこれでこの話はお終い、という風に微笑んだ。一年戦争が終わったときのジョブジョンの笑顔に似ていた。
「全ては気の持ちようだよ。予言だ、呪いだって曖昧なものに縛られるのはやめにしないと。目に見えるものや、自分だけを信じようよ」
僕は頷いた。たしかにそうかもしれない。
けれど、僕は思う。
 どうして彼らはガンダムをつくっていたのだろう?工場ではなくて、ぼくのいる実際的な世界で。何故なんだ?
僕はそのことについてもっとゆっくり考えてみたかったけれど、とりあえず今はやめておくことにする。
僕はここにいるうちにまだ確かめておきたいことがもう1つある。ハサにそれを尋ねておきたかった。


ガンダム生産工場について聞きたいんだけど」と、僕はいった。
「なにかな」
「将来、この工場にある全てのガンダムが完成したら皆は、どうするんだ?」
物事には始まりがあれば終わりがある。果てしないようにみえるこのガンダム製造作業もいつか終わる。
その後、皆がどうするのか僕はどうしても知りたかった。


中で寝るんだよ。とハサウェイは辺りのガンダムを見渡して、幸せそうにいった。


155 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  12/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:05 ID:???
8章   地球の子供達はみな眠る




…僕らはみんなきたるべきときにそなえて、完成したガンダムコクピットで眠りにつくんだ。
パイロットスーツに着替えて、ヘルメットのバイザーを下ろして、シーツに腰を沈めてから、ぐっすりとねむるんだ。
誰からも傷つけられることもなく、誰もこちらを傷つけない。ガンダムが僕らを保護してくれるんだ。
ねぇ、とうさん。ガンダムていうのは敵を倒すんじゃなくてあくまで『保護』してくれていたんだよ。
いろんな思想や欲望や宇宙の不可逆的な矛盾といった圧倒的なにかから、僕らを内包してくれてるんだ。


 ハサの言葉は僕のあたまのなかに直接届いているみたいだった。彼の唇は動いているけれど、音はそこから漏れていなかった。
僕はこれがアムロのいっていた意志の交感なんだろうかと考える。


ガンダムとは単に宇宙や真空や深海で人の生存を保護するだけじゃないんだ。物理的な側面はあくまで二義的なんだよ。
そこにある魂それ自体をガンダムは保護してくれているんだ。暴力的な存在やわけのわからない不条理といったものからね。
僕らはそれこそを恐れるべきだし、それから逃れることが一番大切なことなんだ。


 ハサはそういうと、そっとガンダムを見上げた。手を伸ばし、その冷え切った装甲に触れてハサは目を閉じる。
僕の目からはハサとクスイーはものすごく小さな糸で緊密に結ばれているようにみえる。まるでへその緒のような親密な糸で。

                             
 不条理なもの。
僕はその言葉で、飴をひどく嫌悪していた友人を思い出した。彼の衝動は不条理としかいいようのないものだった。
僕は彼や、彼みたいに不条理なことで、あらゆるものから傷つけられたりするひとたちがガンダムによって保護されること考えた。
それはとてもいいことだとおもう。ガンダムは兵器だなんて夢のない一般論的な解釈なんかよりずっといい。
それに、νガンダムが隕石を押し返してからというもの僕は一般論を信じないようにしている。
現実はときとして夢をこえて僕らに可能性を提示してくれる。ガンダムが飴から人を守ったって全然不思議じゃない。
ガンダムはなんせ隕石を押し返したのだ。

「不条理なものからの保護」と、僕は口に出す。
「そう。そして、ガンダムは僕達という不条理を今度は中に抱えたまま眠るんだ」
ハサはいった。「素晴らしいとおもわない?」
「いいね」と、僕はいった。
「まるで不条理のサンドイッチだ」


156 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  14/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:12 ID:???

 僕はいささか立っているのに疲れてきたので、クスイーガンダムの背にもたれかかるようにして座った。
ガンダムは僕の背をしっかりと支えてくれている。そんな僕の様子をみながら、ハサがいった。

「ねぇ、父さん。いまなら僕はどうしてシャアがキャスバル・レム・ダイクンじゃなくてシャア・アズナブルとして
ネオジオン総帥として戦ったのかわかる気がするんだ」
「へえ。いったいどうしてなんだ?」
「あててみてよ」
「そうだな」と僕は顎に手をあてて考えるふりをした。「シャアはきっとキャスバルっていう名前が嫌いだったんじゃないかな。
だって、まるでパチンコ屋みたいな名前だからね。パーラーキャスバルってありそうじゃないか」
僕がそういうと、ハサはくすくすとおかしそうにわらった。
「そんな理由じゃないよ。もっとしっかり考えてみて」
「ちょっと待って」今度は僕は真剣に考えた。「…・・・・彼は本名を使う事で道化を演じることが困難になるとおもったんじゃないかな。
シャア・アズナブルという名前はよきにしろ悪きにしろ名前が通っていたからね。道化も演じやすい」と、少し考えたあとに僕は言った。
「あってる?」

「うん…」とハサは僕の言葉に軽く唇を噛む。そして、「そうかもしれないね」と呟いた。
その態度で、僕はハサウェイが実は別の事をつたえたかったことがわかる。本当は彼はどうして自分が「ハサウェイ・ノア」でなく
「マフティー・ナビーユ・エリン」として活動したのかを僕に推察してもらいたいのだ。シャアは伏線なのだ。
ただ、それをはばかるのは自分でも父にわるいとおもっているからだろう。好むと好まざるとに関わらず、僕らは敵同士だったのだ。
やれやれ、僕はどうしてこう鈍感なのだろう?自分がいやになる。

 どうしてハサウェイが偽名を使ったのか?
現実的にいえばハサウェイはゲリラ活動をしているから本名をだせなかったことが考えられる。
僕達家族に及ぼす影響に配慮したということだ。そして、当然のことだけど、自分の活動範囲が狭まれる事を懸念したのだろう。
身元がばれれば月と地球を結ぶ定期船にだって乗れなくなるし、あらゆる市街地にもいけなくなる。ゲリラ活動には致命的だ。
一般論的解釈ではこれが正しいようにおもえる。だけど、何度もいうように僕は一般論を信じない。
これは納得できる解釈ではあるが、あくまで実際的な側面であり、精神的な面を洞察したとはいえないのだ。
こんなのは机の上で日々くだらない書類整理をしている官僚たちでさえ気がつくことだ。僕はこの上の次元を推察する義務がある。


 結局のところ、ハサはきっと「記号」でありたかったのだろう、と僕はながい熟考のあとに結論付ける。
記号であれば、自分が死んでもまた、別の誰かがそれを「引き継ぐ」ことができるのだ。その思想や理念を。・・・想いさえも。

シャアはどうなんだろう。彼も記号でありたかったのだろうか?いや、違うな。シャアはきっと「記号」と「実体」の境目を
必死で見出そうとしていたのだ。象徴としての自分と実在としての自分を。
 それはとても辛いことだったとおもう。誰もが彼にジオン・ダイクンの息子である事を押しつけていたのだ。無遠慮に。
僕らみたいな一般大衆にはわからない苦悩がそこには一杯あったとおもう。
だから、シャアはきっとララァという少女やカミーユという少年にその役割を負担して欲しかったのだ。
ララァには「実体」としての<キャスバル・レム・ダイクン>を、カミーユには「記号」としての<クワトロ・バジーナ>を。
そしてアムロ・レイには「記号」と「実体」の狭間である<シャア・アズナブル>をそれぞれ認めて欲しかったのだ。
やれやれ、と僕はおもう。英雄でありつづけることはなんて哀しくて、不条理なことなんだろう。



157 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  15/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:15 ID:???


「そろそろ作業を再開しないと」
ハサウェイはいった。彼はまわりで作業に没頭している人達のほうをちらりとみて
ガンダムの完成が遅れるから。僕だけが取り残されちゃ洒落にならないからね」と肩をすくめて僕にいった。
僕は頷いて立ちあがる。クスイーガンダムの装甲を背中に感じなくなるのが少し残念だった。
たしかにいまからこれを完璧に仕上げるにはかなりの時間がかかるだろうと僕はおもう。なんせ一人で全てしなければならないのだ。
「大変だ」と僕はいった。
「どうせ暇だから」とハサは笑って答えた。僕もつられて少し笑う。
「とうさんは退役をしたあとはロンデニオンでレストランをするんだろ?」と、ハサは訊いた。


 僕はその問いには答えられなかった。答えなかったのではない。答えられなかったのだ。
自分がこれからどういう方向にすすんでいくのかさっぱり見当がつかなかった。まるで僕はちっぽけな
筏に乗って川の濁流に飲まれているみたいだった。振り落とされまい、と必死で筏の端を掴んでいるだけなのだ。
その川が僕をどこに押し流していくのか、そんなこと考える暇はまるっきりないのだ。


「ねぇ、父さん」僕の返事をまたずにまたハサが声をかけてきた。
「なに?」
「さっきのMSピープルのことなんだけど」
「うん」
僕はハサが再びその話題を持ち出してきた事に少し驚いた。てっきりあの話題はさっきで終わったものと思っていたからだ。
「彼らのことを怨んでる?その、つまり予言をもらったことで」
怨んでいる?僕はその言葉を考えてみた。僕は彼らをうらんでいるのだろうか?
予言をもらいそれがあたった事で僕は彼らを憎んでいるのだろうか。しばらく考えてみたが、それはどうも違うみたいだった。

「うらんでないよ。彼らはただ僕に教えてくれただけだから」と、僕は言った。
「そっか」
「どうして?」
「なんでもない」

そういうとハサは足元に落ちていたスパナを拾って、傍にある工具箱の中にきっちりとなおした。
僕はその間にクスイーガンダムをしっかりと目に焼き付けた。ガンダム、と名前がつくきっと最後のモビルスーツ
少なくとも僕が生きている内に連邦が新しいガンダムをつくることはないだろう。今回の一件でガンダムは完全に連邦に疎まれる側になったから。
それはひょっとしたらガンダムにとって好ましいことかもしれないけれど。

158 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  16/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:17 ID:???



「それじゃあ、父さん。母さんによろしく」


そういうと、ハサはにっこりとわらった。僕は彼のその笑顔をみて、まだハサが赤ん坊だったときのことを唐突に思い出した。
胸が万力でぎゅっとしめつけられるような感覚に襲われた。もうこれで最後なのだ。メタファーでもなんでもなくこれは彼と会える最後なのだ。
僕は何かをいおうとする。彼に伝えようとする。
ねぇ、君は自慢の息子だった。僕は君のことが好きだったよ。たとえ、僕が君の父親だということをぬきにしても。
そういおうとする。
だけど、喉に穴があいたみたいに言葉は全て漏れてしまい、なにも発することができない。僕はハサになにも伝えられない。
かわりに僕は力を振り絞って手を伸ばし、彼の手を握る。彼の手が僕のより既に大きくなっていることがわかった。
がっちりとした成人男子の手だ。強く彼の手をにぎりしめ、手のひらのぬくもりを通して彼に僕の想いを伝えようとする。
結局のところ、大事なのは言葉ではなく、意志の交感なのだ。僕はそう想う。そしてそれは肌をとおしてしか伝わらないのかもしれない。
ハサウェイは僕のそんな気持をまるで百パーセント理解しているみたいに力強く僕の手を握り返した。
そしてもう一度にっこりと笑った。



「さよなら、父さん」とハサウェイはいった。「きてくれてありがとう」
<さよなら。ハサウェイ>と僕もいった。たぶん、きこえたと思う。

159 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  17/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:19 ID:???


 ハサウェイの姿が消えると共に目の前がストン、と暗くなる。
目の前にあるのたは、だの純粋なまじりっけのない闇だ。僕は辺りが沈黙の海に沈みこんでいるのがわかる。
動こうとしても動けない。手を動かしてみても、本当に動いているのか確信が持てない。音は死んでいる。
僕はその世界の中でただじっとしている。宇宙の片隅に生身で放り出されたような、圧倒的な真空のなかにいる。
僕はいま『通りぬけよう』としているのだ。別の次元から別の次元へと静かに移行しているのだ。


や  が て、遠くから走ってくる貨物列車のように徐々に音が戻ってくる。大地が震え、時間が動き出す。日が昇り、辺りを照らす。
地面に落ちていた鳥が生きかえり、風が吹き始め、沈黙していた星が輝きを取り戻す。
太陽は僕の血液をあたため心臓を眠りから覚ます。同時に僕の聴覚は死から蘇る。そして、僕の身体は金縛りから解放される。

 僕は安堵の吐息をはき、指先をこすりあわせて失ってしまった体温を呼び覚ます。
指先から体温がほのかにもどりはじめる。僕は僕の領域に自己が戻ってきた事を確認する。手を伸ばすとコンソールパネルに触れる。
その事実を理解するのにまた少し時間がかかる。僕は事実を確認し、咀嚼し、ゆっくりと飲みこんでいく。
大丈夫、僕はガンダムコクピットに座っている。戻ってきたのだ。
コクピットにもう人の意思は感じられず、全てが過ぎてしまったあとの空白感だけが存在していた。
今まで其処にあったはずのものがどこかにいってしまったのを僕は明確に感じ取る事ができた。それは、もう戻ってこないのだ。
いままで死んでいった数多の戦友達と同じようにそれはもう損なわれてしまったのだ。
僕はそっと脈をはかってみる。そこは確かに力強くなみうっている。僕は手を離し、コンソールパネルに目を落とす。
そこに、かすかに血痕をみることができる。ハサはコクピットで血を流さなかったと認識している。バリアの感電によるショックで気絶したはずだ。
にもかかわらず、そこには血がある。流された血、流されるべき血が影のようにそっと付着している。僕はそれを手でなぞる。


「さよなら」と僕は呟いた。さよなら、ハサウェイ、僕は君が君自身のガンダムにしっかりと守られることを祈っている。
ぼくはアムロが、シャアが、カミーユが、ファが、そしてハサウェイがガンダムコクピットのなかでぐっすりと休んでいる姿を想像した。
まるで純白の卵のなかにいる雛鳥のように、彼らは果てしなく広い工場にそっと置かれたガンダムのなかで静かに眠るのだ。
そこは思想も騒音も南極条約もビールもなく、木星の果てのように完全な沈黙が支配していて、誰も彼らの睡眠を妨げない。
ガンダムは外敵から守る強固な殻になる。紫外線を守るオゾン層になる。肺に入る酸素になる。
そして、愛すべき胎児を守る子宮へとなる。
僕は彼らの夢のことを考えた。彼らのいる世界のことを考えた。小さく完結されて、なにもかもがあり、何もかもがない世界。
善いものも悪いものもそのなかで静かに眠っている。何のおそれもなく。そう、そこでは地球の子供達は皆眠るのだ。

160 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  18/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:24 ID:???
9章
          雨


 コクピットから這い出ると、外は雨がしとしとと落ち始めていた。たいした雨ではない。
降ってるか降ってないか最初わからなかったくらいの微細な雨だ。雨降りという状態と非雨降りという状態に境界線があるのなら
ちょうどそのはざまといったところの雨だった。このくらいなら天然のシャワーみたいで気持よかった。
だから、しばらくのあいだ僕はガンダムにもたれかかったまま雨を一身に浴びた。
浴びながら、これからどうやって帰ろうかと考えた。電話してタクシーを呼ぶにしても公衆電話はなかった。
あるとしたら空港のなかだったが、当然のことながらそこは硬く施錠されているだろうし、鍵をこわしてまで不法侵入はしたくなかった。
第一、僕はタクシー会社の電話番号をしらないのだ。彗星という名前しか知らない。この考えは却下だった。
僕は雨に濡れながら、ホテルでみた地図の記憶を呼び戻す。
もくばホテルまで直線で十キロの距離だ。普通にあるけば三時間もかからずに帰りつく。
ながい宇宙暮らしでなまった身体にはちょっときついけれど、ちょうどいい機会だ。走ってかえることにしよう。
それに連邦の検問所があればそこから送ってもらうこともできる。
僕はしゃがんでスニーカーの靴ひもをしっかりと結びなおすと空港の出口に向かってゆっくりと走り始めた。


 だけど、僕はその加速し始めた足をすぐにとめることになる。彗星タクシーが空港の出口で僕を待っていてくれてたのだ。
タクシーはエンジンをきっていたが、気がつかずに前をとおりすぎようとした僕をみてけたたましくクラクションを鳴らした。
その音はまだふわふわと工場と現実のあいだをさまよっていた僕の意識をしっかりとこちらがわに縛り付けてくれた。
まるでハーメルンの笛と逆だった。彼は子供達をどこかへとつれさったが、タクシーのクラクションは僕に強くこちら側へとひっぱり
こんでくれたのだ。そのおかげで僕はゆっくりこっちへと向かってくるタクシーに注意を向けることができた。ライトが僕を照らしていた。
それはコクピット内でみた蛍の光を数十倍に強めたほどに強く、暴力的な刺激となって網膜を刺激する。
目の前が一瞬真っ白になる。


 タクシーはその間にもゆっくりと近づいてきていた。
彼は窓のウインドォをさげて「やっぱり、おじさんにレイチャールズをもう一度聞かせてやろうとおもってさ」と笑った。
そして、僕のしとど濡れた格好をみて「おじさんってかなりファンキーだね」といって、後部ドアのロックを外した。
僕は彼と開いたドアを交互にみて
「濡れてるけど構わない?」と訊いた。タクシー内は綺麗にされていたので、僕の所為でその小さな世界をよごすのがしのびなかった。
「ぜんぜん。イッツ ア ノープロブレム」と、彼はいった。イッツア?僕は混乱しそうになるけど、なんとかもちこたえる。
「ありがとう」
礼をいって後部座席に乗り込んだ。車内はとてもひんやりとしていた。彼は僕にタオルまで貸してくれた。案外用意がいい。
「一体何してたんだよ?」と彼はいった。「まるで惚けたような面して、そんなびしょぬれになって」
「工場の下見にいってきたんだ」

僕はそう答えて、窓からうつりゆく景色を眺めた。ひそやかな雨が窓にあたり水滴となってそこにいつまでもとどまっていた。
へえ、空港の一部分でも買い取る気かい。なんていう若者の声が水滴と一緒に道路の溝の中に流れて消えていった。

161 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  19/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:26 ID:???


 「もくば」ホテルの前で「彗星」タクシーは静かにとまった。まるで勢いよく回転していたメリーゴーランドが
楽しげな音楽が小さくなると同時にゆっくりとその回転止めるのと同じように、そこに淡い余韻を残したままそっと静止する。
「おじさん、着いたよ」と彼はいった。その声は行きのときにくらべるとずいぶん優しくなっていた。
「ありがとう。早かったね」
僕はメーターを確認して、後ろポケットに入れている財布を取り出す。
「そういえば君って何歳なんだ?」
「俺かい?23だけど」
「僕の息子と同じ年だ。今が一番いいときだね」と、僕は言った。
「へえ。そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
彼はその言葉の意味を暫く考えているようだったが、おもいきったように顔をあげると
「実は俺将来ジャズピアニストになりたいんだ。いまはこうして夜にタクシーの仕事やってるけどさ」といった。
「君ならできるよ」と僕はいった。お世辞ではなく本当にそうおもった。若者は照れくさそうに金髪の髪をかいた。


 僕は胸のポケットに手をやった。そこにはシャアからもらったメモ用紙が入っている。
これはずっと僕が持っていいたぐいのものじゃない。彼が常に言っていたように時代をつくるのは老人ではないのだ。
僕は料金を払うときにそれも一緒に彼に手渡した。
「おじさん?なんだいこれ」と、彼は怪訝そうな顔で僕をみた。
「待っていてもらったお礼に君にあげる。詳しくはいわないけど、有名な人のサインなんだ。とても貴重なものだよ」
「ふぅん……なんだかわからねえけど、そんじゃありがたくもらっとくか」と首をひねってから彼はにっこりと笑った。「大事にするよ」
「もう会うこともないだろうけど、君の好意は忘れないよ」といってから、僕はタクシーから降りた。
靴が濡れたアスファルトのうえでキュっと気持ちよい音を立てた。僕は自分が大地と接触していることを強く認識する。
ぼくはこの世界にきちんと存在しているのだ。
「レイ・チャールズ聞いてくれよ」
と彼は言った。そして後部ドアを気持ちよく閉めた。まるで春風のようにさっぱりと、迷いがなかった。
「さがしとくよ」と、僕はかえした。

彼はクラクションを一度軽く鳴らすと、強くアクセルを踏んでタクシーを急発進させた。みるみるタクシーは遠ざかっていく。
僕は彼を見送る。
車の中で、彼がカー・ラジカセで何世代も前から受け継がれてきたテープを聞いている姿を思う。小さいけれど確実な幸せがそこにはある。
タクシーはぐんぐんとちいさくなっていって、やがてある一点で霧のような雨に隠れるようにしてみえなくなった.。



162 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  20/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:30 ID:???

最終章         

           電話



 部屋に戻ると、テレビがついていた。僕はきちんと消してから部屋を出ていた筈なのに何故かテレビはついていて、
そこではくたびれた顔のアナウンサーが今回の事件についての感想を述べていた。



『ハサウェイ・ノアは、シャアの反乱軍のモビルスーツを撃墜した経歴を持つニュータイプだったということであります。
その彼が、マフティー・ナビーユ・エリンを名乗って、連邦政府の地球再生になんの配慮もみせない政策に対して、抗議の
行動をとったのであります。にもかかわらず、連邦政府は、そんな抗議には一切耳をかさず、ハサウェイ・ノアに対する
報復手段として、その父親に処刑の執行をさせるという、人道を無視した信じられない行動に出たのであります』


 僕はしばらく彼らの話を聞いた。どうやらマスコミは今回の事件について連邦批判をするほうに方針を決めたみたいだった。
いつものように圧力がかかってすぐに手のひらを返すことになるだろう。言論の自由なんて言葉はとっくの昔に形骸化している。
僕はテレビに映し出されるコメンテーターの顔をじっとながめた。誰もが苦虫を噛み潰したようなしかめつらをしていた。
おいおい、ちょっと待ってくれ。どうしてお前達がそんなかおをする権利があるのだ?
僕はそう思う。彼らのいっていることは正しいかもしれない。連邦は確かに間違った事をしたし、僕らはそれで深く損なわれたのだ。
けれど、僕はハサのことを知らない人に同情も怒りもしてもらいたくなかった。
誰にもなにもいってほしくなかった。静かに海の底に眠らせておいてあげたかった。それはもう既に損なわれてしまったものなのだ。
彼らの会話はその損なったものを残念だ、とか許せない、とかいうだけで、なにもそのあとに得られるものはないのだ。
アムロやシャアのときとおなじく彼らは死体を掘り帰すだけなのだ。屍肉にたかるハゲタカの群れみたいに。


僕はリモコンをつかんで、テレビのスイッチをきった。そして、壁ぎわのカーテンをあけると、窓越しに外の景色を眺めた。
ちらちらと部分部分に明りがともっているところはあるが、大抵は闇のなかにひっそりと静かによこたわっていた。
ときおり、車が中央の四車線の道路を横切っていくのがみえた。トラックが時折思い出したようにとおっていった。
こうして見ているとここで激しいモビルスーツ戦があったとは信じられなかった。それほどにアデレートは静かに深く眠っていた。
そして、全ての存在に雨が均一に降り注いでいた。

163 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  21/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:36 ID:???

 ソファに戻った僕はふと気になってもう一度脈をはかった。ちゃんと親指に血液の流れを感じることができた。
僕はほっとする。そして、手首から手を離すと今度は左胸にあてる。マフティーが最初あったときに触っていたところにしっかりとあてる。
心臓が確かに脈打っているのがわかった。太鼓をゆっくりと叩くように定期的に力強い単調な音がてのひらから伝わってくる。
あまりに鮮明に聞こえるので他人の心臓ではないか、と僕は不安になる。けれどそんなことはない。これは僕の心臓なのだ。
暫くその音を聞いていると、ほんのすこしだけ、その心臓音の中に混じっている音があることに気がついた。
とてもとても微かな音だ。海の底で眠る貝の呼吸音よりもかぼそい、コロニーにそそぐ雨ふりのような繊細な音だ。
それでも僕は確かに聞くことができる。僕はそれを感じ取る事ができる。
僕はその音を受けとめる。


ぎこぎこ。とんとん。かたかた。


工事の音だ、と僕は思う。昼間僕が寝ぼけて聞いたと勘違いした音だ。それが僕の中から聞こえてくる。
心臓の音にまじりながら、確かに僕の耳に伝わってくる。ミノフスキー散布下の通信みたいなひそやかさで。


ぎこぎこ。とんとん。かたかた。


そのとき、物事が全て反転したようになる。僕は一瞬のうちに全てを理解する。
何もかもが突然に僕の前で全て答えをあらわす。あらゆるものが全ての象徴である太陽の前にさらけ出される。
僕は太陽を直視できる。まるで目の前に分厚いサングラスがかけられているみたいに。

僕らはーーーそう、僕らはーーー誰もが心のなかでガンダムを作っているんだ。
比喩でもメタファーでも形而上学的でもアンチテーゼでもなく、それは紛れもない事実なのだ。
工場の中で、僕らはのこをふるい、とんかちを使い、のこぎりをひきながら自分だけのガンダムを作り上げている。
ラジカセを聞き、疲れたらピナ・コラーダを飲んで休憩し、友人と談笑したあとにまた作業に取り掛かるのだ。
彼らは彼らであり、また同時間的に僕自身であるのだ。アムロは僕であり、シャアもまた僕であり、また僕は彼らの一部なのだ。
あそこにあるガンダムは僕がつくりあげていた僕のガンダムなのだ。

そして、僕はおもう。MSピープル。全てはこれから始まったのだ。あのラーカイラムのドックが全ての前兆だったのだ。
僕はもういちど、まぶたの裏にあのときの光景を再生させる。最初から最後まで間違いなく。
頭の一番奥のあたりがちりちりと痛む。まるでなにものかが僕に思い出させないように妨害しているみたいだった。
けれど、僕は痛みを耐えて思い出す。思い出さなければいけないのだ。大きく息を吸い、長い時間をかけてそれを吐き出す。
酸素が脳にまでいき、痛みを和らげて、僕に思考をすることを許可してくれる。僕は思う。MSピープル。



MSピープルは三人だった。 そ し て、僕 の 家 族 も 三 人 な の だ。
あれはミライとチェーミンとハサウェイだったのだ。彼らは僕のために現実世界でガンダムをつくっていたのだ。

僕は短く息を呑み、ゆっくりとそれを吐き出す。吐き出した息は、命令を初めて受けた新兵みたいに固くとても強張っている。
どうしていままでこんな事に気がつかなかったのだろう。ハサウェイは僕にメッセージを送ってくれていたのだ。
まるでホテルのボーイが夕刊をトレイにいれてもってくるように、それはとても丁寧に慎重に届けられていたのだ。

165 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  22/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:51 ID:???



 僕は頬に手をやる。そこは濡れていた。最初僕はそれがどうしてかわからなかった。
なぜこんなところが濡れているんだろうと真剣に思った。雨漏りでもしたのかと思って天井をみあげたりもした。シミ一つなかった。
そして、それから長い時間をかけてから、ようやく自分が泣いていることに気がついた。
僕は泣いているのだ。ようやく僕は泣く事ができたのだ。
あたたかな液体が僕の頬をとおり、顎の先までいったところで暫く考え込むようにとまった。そしてためらうようにぽとり、と床に落ちた。
涙は絨毯のなかにゆっくりと吸いこまれていった。僕はそれをじっと見つめる。視界は微かにゆがんでいて、絨毯の幾何学模様を更に歪ませた。
身体中の水分が全て出ているような気がした。涙はいつまでたってもとまらなかった。
僕は身体がこのままひからびていってしまっても別に構わないと思った。むしろ幸福のように想えた。
アデレートで月と共に眠るガンダムのように、それは一種のハッピーエンドなのだ、と僕には理解できた。
だって、僕は泣いているのだ。


 最後に泣いたのはいつだったかな、と僕はおもう。
砂漠で泣いたとき以来だ。一年戦争が終わったあと、僕はあそこで二時間泣いたのだ。もうそれは20年以上前のことだ。
あのときも「木馬」だった。そしていま僕は「もくば」ホテルで泣いている。あぁ、やっぱり繋がっている。「へその緒」みたいに。
僕はあのときのことを思い出す。当時の僕はいったいなにを考えてすごしていたんだろう。さっぱり思い出せない。
あの頃の僕はハサウェイよりずっと若かったんだ。それはなんだか信じられない気がする。


 涙がダムの水が枯れるように突然に止まった後、僕は湯船にお湯を張り、ごく簡単にシャワーを浴びた。
浴室から上がると手早く備え付けのバスタオルで身体を拭き、新しいパンツとズボンを履いた。
新しく新調した紺のポロシャツを着て、小さいタオルで頭の水気をとる。


 僕はサイドテーブルの上にだしっぱなしになっていたミネラルウォーターを飲むと、ソファに腰を下ろした。
まるで一日に五回の戦闘を繰り返したように僕は疲れていた。このまま泥のように眠ってしまいたかった。これ以上何も考えらなかった。
いまがいったい何時なのかもわからなかった。僕にわかるのは全てが終わりつつあるということだけだった。
目を閉じてしまうと、睡魔が影のようにやってきて、僕の身体のなかに入りこもうとしてきた。
そして、彼は僕の耳元でひっそりとネオジオン国歌を歌っていた。やれやれ、どうしてネオジオン国歌なのだ?
潜在意識下では僕はジオンが好きなのだろうか?そうかもしれない。僕はそんなことを考えながら、ゆっくりと泥の中に沈みこんでいった。
どこまでもどこまでも際限なく落ちていった。泥はあくまでも泥で底など存在していない。僕はどんどんと沈みこんだ。


166 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  23/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:56 ID:???


 そのとき、突然電話が鳴る。死んでいたはずの電話が突然生を取り戻し、部屋と僕を震わせる。
冷蔵庫が震え、シャンデリアが震え、テレビが震える。僕の心臓は音を立てて激しく収縮する。睡魔は何処かへ消えてしまう。
首元まで使っていた泥はきりのように消えてしまい、僕の意識は完全に覚醒する。
電話だ。ソーラーレイをくらった連合艦隊のように僕は電話をじっと凝視した。電話が鳴っているのだ。その意味を僕はよみとる。

 僕はこの電話が誰からのものかいまなら判然とわかる。ミライだ。ミライからだ。この電話はミライから僕へとかかってきたものなんだ。
僕は電話回線の向こうにいるミライとチェーミンをおもった。彼女達がこの世界のどこかにある電話ボックスの片隅から
僕のホテルのアドレスを回している光景をおもった。僕は彼女がアドレスをまわす白い指先まではっきりと思い浮かべる事が出来る。
けれど、そこまでだ。僕の想像は彼女達を実体として思い描かれるまえに電話の音にかき消せられてしまう。

僕は電話に手を伸ばす。けれど、伸ばすだけだ。決して受話器には触れない。夕方と同じように切れたら、と僕は思う。
そしたらもう二度と彼女は電話をしてこないだろう。そして、永遠に僕らは出会う事がないのだ。
その可能性が僕に受話器をとらせることをためらわせる。
僕は唾を飲みこむ。水がなみなみと満たされている井戸の中に石を投げ込んだような音が耳の裏でする。
世界中に僕の唾液が喉を嚥下していく音が響く。大丈夫、僕は呟く。

とるんだ。

誰かが僕にそう囁く。森の奥底にある水溜りみたいな場所からそんな声が聞こえてくる。
それはロビーで聞こえてきたあの声だ。僕を求めていたあの声だ。僕は思う。これは誰かの声ではない。これは僕だ。
僕自身が僕に向かって発している声なのだ。ガンダムをつくるのも僕だし、予言をつくるのも僕だし、工場にいるのも僕なのだ。


とるんだ。


わかっている。
僕はその声に返事をする。僕は僕自身に返事をする。ぼくはここで恐れてはいけないんだ。
彼女は僕を求め、僕は彼女を求めているのだ。僕は鳴り響く電話の受話器にひるまずに手を伸ばし、しっかりと掴む。
僕はこれで僕の失ったものをとり戻すことができるのだ。それは一度失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ。
電話の鳴り響く音が僕の聴覚を刺激する。それはまるで僕のなかにある閉ざされたドアをノックしているみたいだった。
夕刊と地図を届けてくれたボーイみたいに。ミライは僕にこの扉をあけるチャンスをくれているのだ。

「とるんだ」と、僕は口に出す。言葉は今度は死ななかった。生きて、僕と僕の腕に活力をあたえてくれた。大丈夫、僕は呟く。
そして、一旦ゆっくりと呼吸をしたあとに僕はそっと受話器を取り上げた。頭の中ではネオジオン国歌が流れつづけていた。

                                                                         
                                                                            了

167 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  24/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 23:04 ID:???





                <ギギ・アンダルシアの手紙 その2>





…だから、あたしはケネスが何をしようとなにも詮索しないようにしています。
ただ、本を読んで、そこにある過去から何かを読み取ろうとしています。けれど、なかなか読み取れません。
もっともっと勉強しないと私にはそれらはとてもむずかしすぎるんです。



 読書に疲れたとき、いつも貴方のことを考えます。
二人で過ごした夜のテントのことを考えます。あのとき、どうして貴方は私を抱かなかったんだろうって。
クェスっていう昔の恋人のことがその原因なのかな、って最初はおもいました。義理だて、っていうんじゃないけど
それに近いものだったのかなって。また、あたしが身体を売っていたからかな、とも思いました。
売春婦みたいな女性と寝るのはきっと厭なんじゃないかなって。
けど、あたしは精神的には身体を売ってるなんて思ってなかったんです。伯爵は寂しい人だったし、あたしも寂しかったんです。
その空白を二人でおぎなっていただけなんです。セックスはいわゆるその手段にすぎなかったんです。
それはまるで父親や母親の胎内で眠るのと同じなんです。もちろん、伯爵はあたしのおじいさんでも肉親でもなんでもないけれど、
そこにあったのはそういった種類のものだったんです。うまくいえないけど。


 それで、、ハサウェイはそんなあたしのなんていうんだろ・・・弱さ?そういったものが
嫌いだったんじゃないかな。それが自分の弱さを誘発してしまいそうで。だから、あたしとセックスをすることで
傷の舐めあいみたいになるのをいやだったんじゃないのかな。いまはそう考えてます。
けれど、正直あたしはハサウェイにあたしを抱いて欲しかったんです。たとえそれがいっときの快楽でも
それに溺れることができるのが人間だし、可愛いと思えるから。あたし、やっぱりただの人間なんです。勝利の女神でもなんでもなく。
性欲だって人並みくらいあるし、このまえだって一人でちょっとしちゃいました。
そして、こんな気持いい事もうハサウェイはできないんだ、って思いました。ごめんなさい。


168 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  25/25 [いままで読んでくれたひとありがとうございましたsage] 投稿日: 04/07/24 23:10 ID:???


わたし、何を書いてるんだろ。ちょっと話題変えます。



 今は夜中です。ここから見る月はとてもとてもくっきりとしています。目を凝らすと岩のくぼみとかも全部わかっちゃうくらい。
本当に綺麗です。実際はそれほど綺麗じゃないのにね。とおくからみるとすごおおく綺麗にみえます。不思議なものです。
あたしは月をみるとあの連絡船で貴方とあったときのことを思い出します。あれからもう3ヶ月あまりがすぎたんだっておもいます。
あっという間だった気がします。テレビでは未だにマフティーについての記事が後をたちません。
 そうそう。貴方のお父さんが退役したって、昨日の夕刊にかいてました。一面記事にブライトさんのこれまでの乗艦記録や
艦長としての戦果記録がたくさんのってました。ほんとすごい人だったんだとびっくりしちゃいました。
隅から隅までしっかり読んだのだけど、これからどうするのかについては書いてませんでした。
ただ、息子のこと(ハサウェイのことよね)については彼は何も喋らないと言うこれまでのスタンスを通しぬいたってのってました。
えらいって、感心しちゃいます。こんなことって普通できないんじゃないかな。
なかにはそれを曲解して、マスコミは息子をマフティにしたてあげたのはブライトの影響?なんてわけのわからない論調を展開している
新聞紙もありました。あきれてなにもいえません。こんなことかくひとは皆粛清されちゃえばいいのに。なんておもったり。


ねぇ、ハサウェイ。わたしはおもうんです。貴方は死んじゃったんだけど、きっとまだ私の中で生きてるんです。

 私は貴方のことを忘れません。たとえ、この世界にいる誰もがマフティー・ナビーユ・エリンのことしか覚えてないとしても、
私とケネスだけはずっと死ぬまで、ハサウェイ・ノアのことは忘れません。あたしとケネスはあなたのことがホントに好きだったんです。
それがいいたかったんです。だから、こうして便箋をかってきて一気にここまで書きあげました。明日の朝一番で郵便局にいって
切手をはって投函するつもりです。けれど、住所がわからないから(ブライトさんの住所どこにも載ってません)、なんにも宛名は書きません。
きっと、「差出人、送り人不明」って書かれて郵便局の片隅でうもれちゃうでしょう。残念です。
けど、住所がわかってもきっと住所欄は空白でだすとおもうな。こんな手紙がとどいたらブライトさんもこまっちゃうだろうから。


どこか遠くで犬が鳴いてます。キューシューにはいまだに犬を飼っている家庭が多いんです。
あたしも今度飼おうと思います。そうすれば少しはこの胸にぽっかりとあいた空白感もなくなるかもしれないって期待してます。



さよなら。ハサウェイ。またなにか書きたいことがでてきたら送ります。ケネスも今度は書きたがるかもしれません。
今回はどうしてもあたし一人で書いてみたかったんです。月夜の晩にこうして一人で貴方のためにかきたかったんです。
月は本当に綺麗です。きっと、あそこにはいっぱい不条理がつまってるんだとおもいます。
それじゃあおやすみなさい。
   


            宇宙世紀 105年 8月1日  

                         ギギ・アンダルシアよりハサウェイ・ノアへ。  ニホンにて。
                                                                

                                                              
                                                                  『ブライトノア・クロニクル』  完