ブライトノア・クロニクル(下) 前編

115 名前: ブライトノア・クロニクル(下)1/15 [閃光のハサウェイ読んだ人はどれくらいいるんでしょう?sage] 投稿日: 04/07/20 17:47 ID:???
                    『ブライトノア・クロニクル(下〉』       ブライト・ノア






                        宇宙世紀105年5月1日






1 新聞の中の僕、破壊衝動、予兆




『息子がマフティーであったという事実は、アデレートに到着して知った事でありますが、アデレートでの
連邦政府の甚大な被害を知れば、自分の手でマフティーを処断しなければならないと決断するのは、軍人の
使命であると覚悟したのであります、もちろん、妻も妹もこの自分の行為は、容認しうると申してくれました。
それで、今朝、午前五時、ゴールワの臨時軍司令部において、銃殺刑に処した次第であります。』



 新聞に掲載されていた僕の談話はざっとこのようなものだった。五回読み返してみたが、何度読み返しても同じ文面だった。
一字一句変わった所はなかった。新聞の中の僕は、きわめて紳士的で、連邦政府の望むもっとも模範的な台詞を吐いていた。
僕はグラスに注いだミネラルウェーターを飲んで、大きな溜息をついた。まるで口からハロがでるくらい大きな溜息だ。
おいおい、ちょっと待ってくれ。いったい誰が僕にハサウェイがマフティーだと教えてくれて、その処刑の決断権をくれたのだ?
馬鹿げている。これはいったい何の冗談なんだろう?僕は自分が地球中の人から馬鹿にされているような気がした。
40を過ぎて妻に逃げられたからだろうか。けれどもそれだけでこんな仕打ちをくらう理由はかんがえられなかった。
ありえない。いったい全体なにがどうなってるんだろう。
 第一、インタビューなどなにもうけてないのだ。引継ぎが終わった後、部屋に戻った僕は、ブリーフ一枚でビールを飲んでシャワーをあび、
昼過ぎまでうたた寝をしたあと、ホテルの食堂で大量の食事をしただけなのだ。それはごくごく個人的な行動だったし、誰とも
会話などしていないのだ。それとも僕は夢遊病をもっていて、昼の僅かなうたたねの間に政府広報の依頼をうけてあの模範的な
談話を発表したのだろうか?居場所のわからない妻や娘と、ハサの処遇について話したのだろうか?そんなことあるわけがない。
そもそもミライは僕の電話すらとってくれないのだ。
 新聞の最後の談話には、メジナウム・グッゲンハイム大将と書かれていた。その名前に当然ながら聞き覚えはあった。
宇宙軍の幕僚官長だ。もっとも地球から指揮をだすだけの将軍だった。シャア・アズナブル風にいわせてもらうなら重力に魂を引かれた俗物だ。
とりあえず、僕は彼に連絡をとってみることにした。この新聞の内容はくだらない嘘だろうが、どうしてこんなことをいわせるのか知りたかったし、
知る義務が僕には存在していた。たしか彼はいま閣僚会議のためにオーストラリアにきているはずだ。
僕はホテルのフロントに電話して、アデレートの隣であるゴールワに設置された臨時参謀本部に取り次いでもらった。




116 名前: ブライトノア・クロニクル(下)2/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 17:52 ID:???

 電話に出てきたのは若い女性秘書だった。
「南太平洋管区の司令官ブライト・ノア大佐だけど、グッゲンハイム大将に取り次いでもらいたい」と僕は冷静に言った。
「すいませんが、ただいまどなたからの電話も取り次ぐなと申し付かっております」
「どうして?」
「申し訳ありませんが、理由をこたえる権限はあたえられておりません」
「ねぇ、とても重要な件なんだ」
「申し訳ありません」
「彼はまだアデレート付近にいる?」
「何度も申しますが、そういったことについては一切お答えできません」
「どうしても?」
「申し訳ありません」
秘書は機械的にそう繰り返した。まるでミノフスキーが散布された戦闘地域での無線のように僕の言葉は彼女には届かなかった。
僕は諦めて彼女に礼をいうと、受話器を置いた。こうなることはうすうすわかっていた。全てはそういうことなのだ。
連邦にとって僕はただの「雪かき」の道具にしかすぎないし、雪かきが「問い合わせる」なんてあってはいけないことなのだ。
結局のところ、僕はとかげでいうところの尻尾にしかすぎない。
 次にハサの勤めている植物監視官のある自宅のアドレスに連絡してみることにした。スラウェンのメナドという都市にハサの住居はある。
だけれども、ラーカイラムの中でかけたときと同様にその電話は誰もでることはなかった。
電話のコール音だけが、えんえんと僕の耳に届いた。それはとても哀しい音色だった。
ぼくは回線の向こうで鳴り響いている電話を思った。
誰も出る事のない電話。それは僕にとってコロニーに降る雨とおなじような印象を僕に与えてくれた。それはどこにもたどり着かないのだ。
なにものもそれを受け止めてくれる事は無いし、だからそれはただ空中で何重にも死んでいくだけだ。
僕はふとカミーユのいた病室を思い出した。海の底にいるような静寂と哀しみに満たされた部屋にいる男女を思い浮かべた。
そして、ふとMSピープルのいったことを思った。彼の予言をおもった。予言?そう予言だ。




おそすぎたから、もうだめなんだ。



 MSピープルの言葉が僕の脳内で何度もリフレインして響いた。僕は遅かったのか?そうかもしれない。
僕は呆れるほど愚鈍で、おろかだったのだ。何度もその軽佻は見えていたはずなのに、ぼくはそれにちっとも気がつかなかったのだ。
ミライは知っていたのだろうか?だからこそ、あれだけ僕にハサに連絡をとることを執拗にすすめたのだろうか。
いますぐミライに問いただしたかったが、いまとなっては知る由はなかった。結局のところ、ミライはもう僕の傍にいないのだ。
本当にマフティーはハサウェイなのか?僕は何度も自分に問い掛けた。その疑惑は僕の中でだんだんと重みを増してきた。
コール回数が20を超えたところで僕はあきらめて受話器を置いた。とたんに回線は死ぬ。
僕はまたひとりきりになる。

117 名前: ブライトノア・クロニクル(下)3/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:05 ID:???

 僕はホテルのフロントに連絡して、誰からの電話も取りつがないでくれるように頼んだ。そして、現在この辺りで売っている
ありったけの夕刊を持ってきてくれるように頼んだ。
暫く一人で考えてみる必要がある。おちつけ。おちつくんだ。僕は自分に言い聞かせる。


 僕は新聞を丁寧にもう一度読みなおした。一面には大きく太字で『連邦政府に走る衝撃』とか『マフティー処刑さる』と太字で書かれている。
これはシャア・アズナブルが死んだときと同じような見出しだった。あのときの一面は確か
赤い彗星、ついに堕つ!』とか『ニュータイプ思想の終焉』とか書かれていたものだ。そして、一面の下のほうに小さく
一年戦争の英雄、アムロ・レイ戦死』と書かれていた。僕はそのときの記事の切抜きを全て保管してスクラップしている。
だけど、どんなできごとも紙の上で書かれるとまるで現実味がなかった。どんなに文字をつくそうとそれにはまるで実感が抜けていた。
新聞紙の中の戦争。そんな感じだった。
そこには誰の感情も夢も断末魔の悲鳴もなかった。それらは全て記者によって、ぐしゃぐしゃにまとめられ、洗濯機にかけられ
アイロンで丁寧にプレスされてしまい、一枚のうすっぺらいクリーンな紙になってしまっているのだ。
シャアの反乱の関連の特集記事は毎日のように出た。その日一日の総裁の動きや、司令母艦の動き、MSの流れなどこと細かく
記されていた。そのなかのひとつに、『勇敢なる軍規違反ハサウェイ・ノア』という記事があった。
内容は、ロンドベルの艦長であり、一年戦争の名艦長ブライト・ノアの息子ハサウェイ・ノアが軍規違反を犯してMSに載り込み、
見事にネオジオンの最新モビルアーマーを倒したことを賞賛する内容であった。これはテレビにも一時期とりあげられた。
ひょっとしたらあれが今回の事件の発端かもしれない。スクラップしたファイルを今もっていないことは痛手だった。


 僕はもういちど見出しをみる。マフティー殺害のところをよむ。これは事実なのだと念じながら、頭の中に叩きこむ。
ねぇ、いいかい?これは事実なんだ。僕は自分の心臓に刻み込むようにゆっくりと呟く。これは事実なのだ。
その言葉は僕のからだのなかに入り、細分化されて血液中に混じりこんでいく。
僕は目を閉じて血液の流れを感じる。毛細血管のいたるところまで静かに循環する血液を思う。そして、アレキサンドリア湖で流された血を思う。
ながいながい時間が過ぎた。いつのまにか窓からさす夕日が沈み、部屋の中には薄暗い沈黙が訪れようとしていた。
そして、僕はある種の仮説を事実として認めることを容認する。つまり、

連邦政府に確認した所で教えてくれるわけはないが、教えてくれないという事実が、僕にこの仮説をくつがえす反証をあたえてくれなかった。
これは間違い無くおきてしまったことで、ハサウェイは既に銃殺されてしまっているのだ。
そういえばケネス准将の態度はどこか不自然なところがあった。遠慮がちというか目をあわすことをさけていた気がする。
あれはハサウェイだったのだ。彼はあの屋敷の庭に打ちつけられたみすぼらしい杭に身体を縛り付けられて、朝のアレキサンドリア湖の反射光を
浴びながら、弱気な十人の兵士の構える銃弾をその身に食らって死んだのだ。僕の目の前で。コーヒーを飲む僅かな間に。
それは同時間に起きていたのだ。

118 名前: ブライトノア・クロニクル(下)4/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:12 ID:???

 僕は突然、大声で叫びたくなる。窓枠に飾ってある鉄の花瓶でテレビのモニターを破壊し、ささっていた花束は床にぶちまけて
裸足で踏みにじり、受話器のコードを引き裂いてしまい、枕もとの高級時計をネジの一本までベッドの上に分解しておきたくなる。
それは百パーセントのまじりけのない破壊衝動だった。コロニーを破壊し、月を破壊し、地球のダカールを破壊したくなるほどの怒りが僕を襲った。
僕はソロモン沖であれくるうピグザムのように目に付くもの自分に関わりのある全てを崩壊させてしまいたくなる。
まるで環境汚染に荒れ狂う怪獣のように僕は都市を破壊し、鉄道を破壊し、襲ってくる軍隊と戦うのだ。

だが、僕は思う。そんなことをしてもなにも変わらないのだ。結局のところ、それはただのやつあたりに過ぎない。
僕は目を閉じてそれがすぐ去るのを待つ。そのどす黒い、まるで虚数界的なまっくらな感情をぼくはじっと耐える。
それはまるで真っ白なキャンバスの左隅からインクが落ちて、徐々に黒い染みを残していくのに似ていた。全部を真っ黒にしても、
そのインクは飽きることなく紙の上に滴り落ちて、キャンバスだけでなく床まで黒くよごした。床がすっかり汚れてしまうと、インクは
ベランダのほうから更に下の階へと落ちていった。きりがない。落ちつけ、落ちつくんだ。僕は唇をかみ締める。
海の潮が引いていくように、感情の高ぶりが満潮から干潮になるまでの長い時間を僕はただひたすらに待った。
怒りは何もうまない。多くの場合は状況を悪化させるだけだ。僕はそれをいままでの経験でうんざりするほどよく知っている。
同時に、こんな状況でもそんなことを冷静に考えることのできる打算的な自分にうんざりする。僕は血も涙もない冷血なキュベレイみたいだ。
なにも考えずに激情に身を任せたい。けれど、それは不可能なのだ。僕はそれほど子供でもないし、また年寄りでもないのだ。
僕はとりあえずテレビをつけた。料理番組は終わり、今度はくだらないバラエティをやっていた。まだニュースの時間ではないから
放送していないのかもしれない。僕はテレビの画面ではなく、テレビ全体を総体的に眺めつづけた。


 ただーーーひとつだけいうとーーーなにも僕はいつまでもこうしてじっと我慢しているわけではなかった。
僕にはある予兆が合った。それはサイド7でガンダムのテスト実験をしたときや、アムロが僕らをホワイトベースから救い出したときや、
テンプテーションの艦長としてグリーンノアにいったときや、シャアの反乱のさいに病院を訪れたのと同じある種の感覚だった。
ジオンのコロニーレーザーがくるまえに感じた背中から、なまあたたかい不透明なゼリーを流し込まれたような妙な感覚だ。
なにかがおこると僕は確信していた。いつ起こるかは検討もつかないけれど、確かに何かが起こるはずだ。もうすぐに。

 僕は立ちあがり、シャンゼリゼつきの豪奢な天井を眺め、床のペルシャ絨毯の紋様をみつめ、冷蔵庫に視線を移す。
枕もとの時計をみつめ、ベッドの上にかかっている林檎が描かれた5号サイズの油絵を眺める。それはすこしゴッホの画風に似ている。
あたりにあるもの全てがとても扁平にみえる。全てのものの膨らみが感じられなかった。まるで新聞紙みたいに、それらは
平面的でありまた僕とは全く縁のない遠い存在に思えた。どうして僕はこんなところにいるのだろう。
どこで何が間違えてしまったのだろう。パオロ艦長が負傷してから全てはおかしくなった気がする。
でもそんなことをいいだしたら、ぜんぜんきりがなくなってしまう。どこかで僕は線をひかなければならない。
だけど、どこで線をひいたらいいのかさっぱりわからなかった。


119 名前: ブライトノア・クロニクル(下)5/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:19 ID:???

 そのとき突然ソファの前の電話が鳴る。音は猫の断末魔のようにけたたましく、とても暴力的に僕の鼓膜を刺激する。僕は息を飲む。
辺りの誰にも気がつかれないように静かに呼吸をする。海の底でガンダムを待つゴッグのように僕は慎重に肺に酸素をおくりこむ。
取り次ぐなと言った傍からどうして電話がなるのだろう?ここのホテルマンはそんなに無能なのか?
僕は頭をかきむしる。なにもかもが間違っているように感じる。

だが、現実に電話は鳴っているのだ。僕はそれに対処しなければならない。僕は受話器に手を伸ばし軽く表面を指でなぞった後、
ためらいがちにそれを手に取る。
「もしもし」と僕はいう。まるで自分の声に聞こえない。なんだか喉の奥にボールが一杯つまってるみたいだ。
だが、僕が取った瞬間に電話はきれ、回線は死んでしまう。受話器は鉛のように重くなり、僕の言葉は空中で固まりどこにも届かない。
僕はソファーに座ったまま、切れてしまった受話器をみつめる。何かが起こりつつある。僕は繰り返した。何かが起こるのだ。
受話器を元の通り置きなおすと、僕はひざを抱え目を閉じる。そして、何かが来るのを待つ。
潮がひいたあとの海面が隆起して、なにものかが砂浜を歩きながらこちらを目指しているのがわかる。
電話はもう鳴ってしまったのだ。と、僕は思う。それはもう鳴ってしまったのだ。
僕は息を殺し、近づいてくるのをじっと待つ。何かが起きるのをじっと待つ。まるで処刑をまつ死刑囚のように僕はただ時を過ごす。





そして「それ」は唐突にやってくる。





120 名前: ブライトノア・クロニクル(下)6/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:25 ID:???





2  工場


 ここはどこだ?と、最初に僕は思った。ここは一体どこなんだろう?
僕は自分が別の空間に連れてこられたことを悟る。それは呼吸を吸って吐くまでの僅か一瞬の間のことだった。
「それ」はコンマ一秒ほどの間に僕を連れ去って海の中へと引きずり込んだのだ。おそらく。
もうあたりには電話も時計も液晶テレビも油絵もビールも冷蔵庫もなかった。空気の匂いも変わっていた。少しオイルの匂いがする。
それにきっちりと快適な温度にたもたれたあそことは違って、この場所は少し暑い。ここはもう「木馬」ホテルではない。
ただ、ソファに座っていることだけが変わらなかった。服装も食堂にいったときと同じクリーム色のポロシャツだった。
床には絨毯はなく、つるつるとしたなめらかな強化アスファルトのようなタイルがしかれていた。
最初、視界に入ってくる全てのものが灰色にみえたが時間が経つと右隅の方から徐々にぼんやりと色が戻ってきた。
僕は呼吸を整えようと、ゆっくり深呼吸をする。何かが起きたのだ。これからぼくは慎重に行動しなければならない。





 どうやらここはとても馬鹿でかい工場の中のようだった。僕の想像の限界を超えるほど巨大な空間だった。
αアジールなんてここではきっと海に浮かぶ貝殻くらいの存在でしかないと思えるほどに、全宇宙的に広い空間だった。
当然の事だけど、端なんてみえなかった。どこまでもどこまでも白い淡い霧のようなものが辺りを包み込んでいるだけだった。
天井は圧倒的されるほど高く、ねずみ色のすすけたパイプが入り組んで設置されていた。どうしてあんなにパイプが必要なのかよくわからない。
きっと水道やガスをこれだけ巨大な建物に設置するにはあれくらいいるのだろう。
どうしてここが工場だとわかるのかというと、ずっと「のこぎり」の音が聞こえるからだ。ギコギコギコと何かを切断している音が
辺り中から響いていた。僕は引退した後のレストランを手作りのログハウスにするつもりだったから、のこぎりの音には煩いのだ。
これはあの野蛮で繊細さの欠片も無い電気のこぎりの音じゃない。昔ながらの手ひきのこぎりだ。
ぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこ。





121 名前: ブライトノア・クロニクル(下)7/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:30 ID:???
 そのままここにいても何も始まらないと判断したぼくは、とりあえずのこぎりの音がする方向へと足をすすめた。
ソファはもちろん置いていく事にした。あたりに誰もいないから取られる心配はないし、仮に盗られてもたいして問題ではなかった。
どうせ僕のものではないのだ。「木馬」ホテルのものだし、あそこのオーナーはソファくらいで何も言わないだろう。
歩きながら僕は自分の頬をつねってみた。少しだけ痛い。痛覚だけでは夢なのか現実なのか判断がつきかねたが、
ありえない状況なので夢だと判断した。僕はきっと昼間みたいに唐突に夢の中におちてしまったのだ。
これはおそらく、混乱した僕の意識がみせている幻なのだ。おそってきた「それ」は夢魔だったのだろう。
夢を見るのは久しぶりのことだった。一年戦争が始まって以来、そういえば一度もみたことがない。
現実が既に僕の夢を凌駕していたからかもしれなかった。僕が目の当たりにした戦争は、そういう次元のものだった。
そこでは想像力なんて詩的なものが干渉する余地は無かった。事実そのものが既にリルケでありコクトー的なものだったのだ。


 暫くまっすぐにあるいていると次第に霧がはれて来た。だが、まだ全体的にうすぼんやりとしている。
僕はスニーカーを履いているので、歩くたびに床とこすれてキュッキュと鳴った。その音を僕は耳障りに思った。
やがてあるところまできたとき、朝霧が太陽の上がるのと同時にふいと掻き消えてしまうように、僅かな余韻も残さずに霧は突然消えた。
おかげで僕はこの工場の全体を(といっても目に見える部分だけだが)見渡す事ができるようになる。

一瞬、僕は言葉を失った。
視界に入ってっきいたたのは数千の人間と数千のガンダムだった。あたり一面に彼らはまるでシベリアに乱立する針葉樹林のように
一定の間隔をたもちながら工場に散らばって存在していた。
はるか向こうの、それこそ地平線の果てみたいなところにもガンダムが置かれてあるのがわかった。あそこまで何マイルあるだろう?
考えただけで気が遠くなった。ここはいったいなんなんだ?なにをみんなしているのだ?
整備にあたっている人は様々だった。ある男性はアナハイム社の制服を着ていたし、また別の若い男は時代遅れの革ジャン姿だったし、
また半裸の少年もいた。連邦服姿の女性もいたし、ジオン軍の勲章をつけている老人もいた。
彼らは性別も年齢もてんでバラバラで自由気ままな服装だったが、真剣に作業しているという点では誰もが同じだった。
そして、一つのガンダムに一人の人間が整備についている。

ぎこぎこぎこ。とんとんとん。かたかた。かちかち。ぎこぎこぎこ・・・・といった具合な音がそこら中から聞こえてくる。
どうやら彼らはモビルスーツ設計を全部手作業でしているみたいだった。
それはどこか僕にのどかな休日の光景を思い浮かばせた。大工道具を片手に息子が拾ってきた犬のために小屋をつくる
父親の姿のように平穏で小さく完結された世界。それは限られたものだけが、きくことのできる祝祭の音楽だ。

 僕は彼らを眺めつつ、ひたすらに歩きつづけた。不思議とどれだけ歩いても疲れは無かった。
喉も乾かなかったし、空腹は全くと言っていいほど感じなかった。
彼らは誰も僕のほうをみなかった。よく訓練された飼い犬のように彼らは自分の作業だけに集中していた。

122 名前: ブライトノア・クロニクル(下)8/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:41 ID:???
 僕らは彼らに話し掛ける事をためらった。彼らは修道院で神にひたすら祈りをささげる敬虔なクリスチャンのように
一身にその身をガンダムに捧げているのだ。その神聖で厳粛な時間を邪魔する事など僕にはできなかった。
暫く所在なげににそのあたりをうろうろしていたのだが、やがて見覚えのある人物がいることに気がついた。
僕は何度も目を擦った。その人物がここにいることがよく飲みこめなかったのだ。だが、僕の目はどうやらわるくなっていないようだった。
夢の中で視力がどれほどあるのかしらないが、少なくとも夢の中のそのまた幻覚である可能性はなかった。
アムロだ。
ここから少し離れたところで、他の皆に混じってアムロガンダムを作っていた。ホワイトベース時代の、あの懐かしい連邦の服を着ている。
少し離れたところではシャアが同じくガンダムを作っていた。僕は少し混乱する。シャアがガンダム
どうしてシャアがザクやサザビーじゃなくてガンダムをつくるのだ?
僕の疑問のポイントは少しずれているかもしれない。問題はシャアの存在であって、彼がつくっているものではないのかもしれない。
ただ、僕にはそれはとてもすごく気になった。

「やあ、ブライト」
アムロがこちらに気がついて手を挙げた。僕もつられて手をあげる。挙げた後に後悔する。いつものことだ。
彼があまりに自然に声をかけてきたのがいけないのだ。あんなふうに声をかけられたら、誰だってこんな反応をしてしまう。
「そんなところじゃあれだからこっちに来たら」とアムロがいった。断る理由もなかったので僕はアムロの傍に寄った。
「いま作業中なんだ。ちょっと待ってて」と彼はいった。まるでホワイトベースやラーカイラムのときと同じように。
僕は頷いた。そして彼がつくっているガンダムに視線を移した。
それは紛れもなくνガンダムだった。それは右手の一部分がなく、装甲はひどくよごれていて、ところところが高熱で溶けたようになり
色もいちじるしく剥げていた。アムロは左足の根元の部分の配線を組みなおしていた。
僕はどうしてアムロがこんなところでνガンダムを修理しているのかさっぱりわからなかった。けれど尋ねるのはやめた。
アムロも僕がどうしてここにいるのか全く聞かなかった。聞かれても困る、夢を夢と説明するのはひどくむずかしい。
なかなか作業が終わりそうに無いので、僕はむこうがわで作業しているシャアを眺めた。クワトロ時代のノースリーブを着てマスクを被っている。
そして髪はオールバックだった。どうやら色々と混ざってしまっているらしい。
そのせいかどうかわからないが、シャアのガンダムはどちらかというとZガンダム百式の合いの子みたいな形態をしていた。
しかし、どうしてシャアがガンダムをつくっているんだろう。夢と言ってもやはり違和感があった。


 ちかづいて僕が彼にそう指摘するとシャアはこれはシャア専用ガンダムだ。といい、いまから塗るつもりだという赤ペンキを見せてくれた。
古いバケツの中にはなみなみとペンキと「はけ」が入っていた。どうして彼が赤に拘るのか僕にはさっぱり理解できない。
けれどシャアにとってはそれは当然の事であるようだった。
そこにはややこしいメタファーや形而上学的な解釈などが入る隙間はなかった。赤とは彼であり、彼とは赤であった。
紅く塗ればそれはシャア専用になるのだ。それは明快かつ終始一環とした彼の確立されたアイデンティティなのだ。
金色はどうなのだろう?シャアにそのことをきいてみると、彼は暫く悩んだ後に、あれは気の迷いだったといった。




123 名前: ブライトノア・クロニクル(下)9/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:48 ID:???


 そんな会話をしたあと、僕は取りたててやることもないので(夢の中で一体何をやる義務があるというのだ?)、
その場に腰を下ろして彼らの作業を眺めることにした。アムロは何重にもねじれた配線をいじっていて、シャアは口笛を吹きながら
自称シャア専用ガンダムに赤ペンキを塗りはじめた。近所の住民の壁にペンキを塗るように頼まれた若者みたいな気易さで。
僕はその二人の異なったガンダムにたいする異なった作業工程をぼんやりと見ていた。
 シャアとアムロはそれぞれ自分のMSを完成させることにしか興味が無いようで、分担で作る気はさらさらないようだった。
二人なら簡単に取りつけられるであろうパーツや、一人ではなかなか持ちあがらない重い鉄鋼でさえも彼らは自分の力だけで
製作しているようだった。それは喧嘩してるとか仲がわるいとかじゃなく、元々そういうものであるようであった。
シャアの機体の足元には古ぼけたラジカセがあり、かつてのネオジオンの国歌的位置をしめていた曲が延々と流れていた。


星の光に 思いをかけて  熱い銀河を 
胸に抱けば 夢はいつしか  この手に届く

シャアズ ビリービング アワズプレイ   
シャアズ ビリービング アワズプレイ



 シャアズ ビリービング アワズプレイ。僕もあわせて口に出す。シャアの信じるところは我らの行為。そういった意味だろうか。
それとも、シャアは我らの行動を信ずる?わからない。この歌にはさまざまな思いがつまっていて、とても一元化できる解釈はない気がする。
聞くものによってこの歌は右翼的になったり左翼的になったりするのだろう。マフティーが死んだときの連邦とスペースノイドの反応みたいに。
そういえばハサウェイもこの歌を聞いていたのかもしれない、と僕はふと思った。マフティーとして彼はこの歌を聞いて何を感じたのだろう?
英雄としてのシャアへの陶酔?信奉?僕にはわからない。なにもわからない。
何度も聞いている所為か、音の劣化はかなりのものだった。低周波にチャンネルを合わせるラジオみたいに細かなノイズが混じっていた。
だが、シャアはそんなことを気にした様子はなかった。彼はBGMを背にペンキを塗りつづけていた。

124 名前: ブライトノア・クロニクル(下)10/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:54 ID:???
「どう。立派なνガンダムだと思わないか?」
 ようやく作業が一段落ついたのかアムロが「のこ」を手にしてやってきた。空いたほうの手では白いタオルを持ち額の汗を拭っている。
「もうちょっといい工具を使ったらいいんじゃないかな?そんなものでつくるのって時間がかかるだけじゃないか」
のこなんかではいわゆるガンダリウム合金は切れない。仮に切れるにしてもきっとものすごく無駄な労力だろう。
たとえるならトラクターがあるのに田植えを手でするみたいな徒労さだ。腰は痛くなるし、効率は悪いし、いいことなんてない。
「時間がかかってもいいんだよ。節約する意味が無いからね」と、アムロは当然のようにいった。
僕は周りを見渡した。そうかもしれない。
たしかにこんなところで時間を短くしてもなんの意味はないだろう。ほかにすることなど何もなさそうだった。
「それに、こののこはサイコフレームを使ってるんだ」と、アムロは嬉しそうにいった。
「なるほど」
相槌をうったけれど、「のこ」の原料にサイコフレームを使う事になんの意味があるのかよくわからなかった。


 僕は立ち上がった。辺りをもっと見学してみようと思ったのだ。シャアのラジカセがうるさすぎるのも一つの理由だった。
他の曲は入れてないのだろうか。僕はここで流すに相応しい曲をいくつか考えてみようとしたが、無意味なことなのでやめた。
いくら考えてみたところで、シャアが曲を変えるとは思えなかったし、また僕はカセットなんて旧時代的なものは持ってないのだ。
「また後で戻ってくるよ」と、僕はアムロに言い残してその場を離れた。




 工場内を少し歩いただけで、実にいろんなガンダムを僕はみることができた。
天使のようなふさふさとした羽の生えたガンダムや漫画に出る死神の持つような鎌を持ったガンダムもいたし、かとおもうと
胸にV字をつけた幾分ほかのとくらべてサイズが小さいガンダムもあった。かとおもうとMK−?そっくりなものもあった。
なかでも僕の興味をもっとも引いたのは、髭の生えたガンダムだった。
人間の鼻下にあたる部分にまるでカブトムシの角のような鋭利な髭が堂々とつけられているのだ。
最初はなにかのマークかだとおもったのだが、どう考えてもあれは「ひげ」としかおもえなかった。とてもおかしかった。
ひとしきり笑った後、ガンダムに髭という極めて人間的な、というよりも生物的なものを求めるのはどうしてだろうと考えた。
僕は製作者にきいてみたかったが、製作者とおぼしき男はいま髭の部分によじのぼってメンテナンスしていたので無理そうだった。
声をかけたせいで、滑り落ちでもされたらどうしようもない。僕はあきらめた。

 かわりに僕は「ひげ」ガンダムの隣で、足が無いガンダムを造っている人にどうして足をつくらないのかと問い掛けた。
「足なんて飾りだから」と彼はあたりまえのようにいった。実にシンプルな答えだった。簡潔で的を得ている。
そうかもしれない。宇宙での戦闘を想定するなら足など別にいらないのだ。
それでも足がないと違和感を感じるのはやはり僕らはガンダムを人のメタファーとして捉えているからかもしれなかった。
もっとプラティカルにいえば、僕らはガンダムを人としてみているのだ。だから足がないと違和感を感じるし、髭をつけたりする。
この発想はザクには無い。何故ならば僕らはザクはあくまで兵器としての観点でしかみてないからだ。ザクのモノアイをみて
障害者差別だと思う人はいない。その点で、ガンダムというのは数あるMSのなかでどこか異質なのだ。
ガンダムとはやはり二本足があり、二本の腕を持ち、二つの目を持つべきだという固定観念があるのだ。宿命的に。

125 名前: ブライトノア・クロニクル(下)11/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:18 ID:???

 僕は立ち止まると工場の天井のパイプの本数を数えながら(あまりに多いので途中でやめたけど)、そのことについて暫く考えた。
そして、こう解釈した。

ーーー僕らはガンダムというモビルスーツに人との同一化を求めている。

ガンダムが宇宙空間で普通に存在する事ができることを、将来、人間が宇宙で存在できることの希望として捉えているのだ。
もっとかんたんにいうとガンダムは象徴なのだ。
いずれはあんなふうに宇宙空間でなんのおそれもなく存在したいという人の願望の象徴ということだ。
宇宙に出ると人は不安になる。当たり前のことだ。薄い隔壁をへだてたむこうは完全な死の世界なのだ。
僕らはおそれ、とまどい、その現実から逃れようともがいている。
そのなかで僕らは宇宙で生存できる希望をガンダムにいや、MSそれ自体に見出している。
そうでなければいくらミノフスキー粒子の問題があろうともあそこまで人に近いマシンを作る必要はないのだ。
無意識のうちに人はMSに、宇宙での人類の有り様を投影してしまっているとぼくはおもう。


だからガンダムは人に酷似していなければならない。そして、それ以外とは明確に差別されるべきなのだ。
なぜガンダムなのか?という問いには僕はこたえられない。ただガンダムが一番ふさわしいだろうとおもうのだ。あらゆる面で。
ガンダムは初代ニュータイプであるアムロ・レイの機体として世に知られたので、ガンダム自身も新人類的なものとして認知されてしまったの
かもしれない。大衆とは人と機械の関係について短絡的に考える傾向がある。
といっても僕らはガンダムそれ自体になりたいわけではない。
ジオン・ダイクンが提唱したニュータイプ論は人の精神のありようを説いたものだ。
では肉体はどこに向かうべきなのか?圧倒的な宇宙の存在のなかで精神と肉体の関係をどう定義として捉えていくべきなのか。
そのこたえがここにあるような気がする。
人は不安なのだ。だから、ガンダムになることで保護されたいのだ。それはかつて僕らが地球に求めていた絶対的な母性によく似ている。
もちろん、これは僕の個人的な考えに過ぎない。「そんなことはない。ガンダムはただの兵器だ」、といわれればそれまでのことだけど。


 
僕はあたまをふってそんなとりとめもない考えを振り払った。
しばらくあるいていくとガンダムにキャタピラをつけている人に遭遇した。鼻がやけに赤いその中年の男性は
「さすがガンダムだ!キャタピラをつけてもなんともないぜ!」と狂喜していた。
僕はあれはガンタンクと呼ぶべきものじゃないかと思ったが、もちろんそんなことはいわなかった。僕にだってそれくらいの分別はある。
他人がなんといおうと彼にとってはあれはガンダムなのだ。それなら僕が余計な口を挟む必要はない。
砲台をつけるともっとガンダムらしくなるよ、とそっと助言すると彼は嬉しそうに「試してみるぜ」といった。
きっとなんともないだろう。


126 名前: ブライトノア・クロニクル(下)12/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:25 ID:???
3  ピナ・コラーダ、なつかしい味、北北東


 ひととおりみてからアムロ達のいたところに戻ると、彼らは二人でお茶をしているところだった。
キャンプ場で家族が食事をするときに使うような折りたたみ椅子とテーブルを使用して、彼らは気持良さそうに休んでいた。
僕が戻ってくると、もうひとつ折りたたみ椅子を取り出してきてそこに座らせてくれた。
どこからもってきたのだろうと思ったが、これが夢だと言う事を考えれば別に不思議はなかった。
「喉が乾いてるだろ?」
といって、アムロは僕にピナ・コラーダをだしてくれた。
綺麗なガラスのグラスにラムベースで、そこにパイナップルジュース、ココナツシロップ、クラッシュアイスが入っている。
とても気分がよくなる味だった。アムロとシャアも実に気持良さそうに飲んでいた。働いた後に飲むと実に美味いだろうな、と僕は思った。
一口飲むと、まるでハワイかどこかの観光地で休憩しているような気分になった。
空には灼熱の太陽があり、足元には砂浜があり、そこを蟹やアッガイがのんびりとたわむれているのだ。僕はミライや
チェーミンやハサウェイやホワイトベースの皆と共にそこにバカンスに訪れているのだ。カミーユやファもいるかもしれない。
僕らは海でこころゆくまで泳ぎ、夜は砂浜でバーベキューをするのだ。そして、ビールとピナ・コラーダを交互に飲んで楽しむのだ。
丁寧に肉をとりわける僕をみてチェーミンが「ダディクール」といってくれるかもしれない。
わるくない。フラミンゴの群れに偶然遭遇するくらいわるくない。

 僕は天井をみあげた。パイプがみえた。太陽じゃない。ここは紛れも無く工場だ。と僕は自分に言い聞かせる。
そうじゃないと何かが損なわれるような気がした。ここは工場であり、僕の夢なのだ。現実から逃げてはいけない。
砂浜はなく、チェーミンとミライはおらず、ハサウェイは死んでしまっているのだ。


 ラジカセからはあいかわらずシャアを称える歌が流れている。やれやれ、僕は少しうんざりする。アムロはいやじゃないのだろうか。
そうおもって彼をみると全く気にした様子はなく、それどころか少し鼻歌で口ずさんでいるくらいだった。やれやれ。僕はそっと溜息を吐く。
「ここにはどれだけの人がいるんだろう」
気をとりなおして、僕はずっと疑問に思っていたことをきいた。
「全ての人さ」とアムロが答えた。
彼はテーブルの足元にあるクーラーボックスからレモンを取り出して、皮のまま齧ると、顔をしかめた。「酸っぱい」

「全て?」僕はもういちど問う。
「そう、ここには全てがあるんだ」と、アムロはレモンを更に齧った。「そして全てがない」
アムロのいうことはますますニュータイプ度が進んでいるみたいだった。どちらかというとカミーユに近くなってる。
ニュータイプである彼には自明のことかもしれないけれど、旧態以前の人間である僕にはどういうことかさっぱりわからなかった。
「これは僕の夢だろう?」
「違う。ここは工場だよ。それ以外のなんでもない。ガンダム生産工場さ」
 僕はその意味について考えてみた。ガンダム生産工場?まったくわけがわからない。
だが、アムロは至極まじめな顔で僕と喋っているし、すくなくともからかわれているとは思えなかった。
ガンダム生産工場。僕は口に出していってみた。語呂は悪くない。だが、それは僕の頭を混乱させるには充分だった。

127 名前: ブライトノア・クロニクル(下)14/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:33 ID:???

「ジムとかはつくらない」とアムロはいった。「あんなのは時代錯誤もいいところだから」
「なるほど」と、僕は同意した。確かにジムはもう時代遅れだ。連邦軍でいまどきジムを使用している地域はなかった。
けれどガンダムももう連邦では造ってないのだ。連邦はこれからハサのガンダムを落としたペーネロペーが主流になるだろう。

 僕はまわりをぐるりと見渡した。どこをみてもガンダムガンダムガンダム、だ。
「それにしたって、こんなに沢山のガンダムをつくってどうするんだろう?」
「どうするかだって?」
アムロは呆れたというように溜息をついた。
「休むんだよ」
「休む?どうして休むんだ?」
「どうして?」
アムロは不思議そうにこちらをみた。
「造り終わったらやすむのが常識じゃないか」
ぼくは首を振った。会話が噛み合っていない。
やはりここは少しずれてるのだ。どこがどうというわけではなく、あらゆる面で。少しずつ。



「さっきここには全てがあるっていったね?」
暫くの沈黙の後、僕は話題をかえた。テーブルの上のピナ・コラーダはすっかりぬるくなっていた。
「いったよ。人から武器から工具にいたるまでなんでもある」とアムロはいった。「ジムはないけどね」
「……ハサウェイもいないみたいだけど」
僕はためらいがちにアムロにきいた。こんなこと彼に聞くべきじゃない気がしたけれど、どうしても聞かざるを得なかったのだ。
ここが全てを包括した世界ならば、とうぜんハサもいなければならない。けれど、すくなくとも僕がみた範囲では彼はいない。
ハサはいない。
「ねぇ」とアムロは急に真面目な顔になった。「いいかい。余計なことを想像しちゃいけない」

「想像には責任が伴う。ブライト。君がハサウェイをいないとおもったなら、彼は消えるんだ。あとかたもなく」
「想像の責任?」
僕はそれがどういうものかよくわからなかった。個人的な思考が、外に影響を及ぼすというのだろうか?
アムロは頷いた。その頷き方はどこかで僕がみたことがあるような気がした。

「ハサウェイはちゃんと存在している。彼は・・・」
そこでアムロはいったん言葉を切る。そして、まるで大事な呪文を弟子に教える魔法使いのようにそっと僕に伝える。

「ここから北北東に少し進んだところ、えぇと、およそ十キロってところか。そこで、ずっと君を待っているよ」

と、いい僕の斜め後ろを指差した。反射的に僕はそちらを振り向いたが無数のガンダムが邪魔しているので、よくみえなかった。
「ここからじゃみつからないよ。ブライトがそこまで行かない限りね」
そういうと彼は疲れたように微笑んだ。

128 名前: ブライトノア・クロニクル(下)15/18 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:46 ID:???
「ハサウェイは」とアムロはつづける。
「君をずっと待ってるよ。いいかい?彼はずっと君を待ってるんだ。君が想像の中で彼を殺さない限り」
アムロはそういうとポットに入っていたコーヒーを白い陶器つくりのカップに注ぐと、テーブルの上にある砂糖とクリームを一杯ずつ入れた。
銀製のスプーンでなかを2,3度掻きまわしてから、それを僕のほうに差し出した。ひきたてのコーヒー豆のいい香りがした。
僕は口をつける。そして3分の一ほど胃の中にいれてしまう。
そして、ふとある種の懐かしさを感じる。このコーヒーにだ。これは、確かにどこかで飲んだ事がある味だ。
記憶の井戸の底からぼくはその記憶を呼び覚まそうとする。そして、意外とすぐに僕は心当たりをみつける。ラーカイラムだ。
これはかつて、そうアムロが死んでしまう前にラーカイラムで一緒に飲んだコーヒー、そのままの味だった。
僅かに生ぬるいところも全て。そう、そういえばあのときも僕はアムロとはなしながら、コーヒーを飲んでいたのだ。そしてアムロは死んだのだ。
僕は泣きそうになる。コーヒーカップを動揺で落としそうになって両手で握り締める。
どうしてこんな夢をみてしまうんだろう。彼らはもうこの世にはいないのだ。僕は唇をかみ締める。
ここはきっと損なわれた世界なのだ。あらゆるものが失われ、あらゆるものが消失していく世界なのだ。
かれらはそこで抗うようにガンダムをつくっているのだ。

「…とても美味しいよ」と、僕はアムロにいった。彼はにっこりとわらってもう一杯つくるとそれをシャアに渡した。
 僕はその彼らの仕草をみて、ここに自分はいるべきではないと思った。
アムロやシャアに頼らないと決めた筈だ。彼らのダンスステップは確かにラストワルツを踊ったのだ。
これいじょう彼らに迷惑をかけることはしてはいけない。大衆が未だにシャアとアムロは生きていて、また自分たちを導いてくれるといった
ような甘えた発想を許してはいけない。僕はカイのインタビューをおもいだした。どうしてみんな死者を起こそうとするんだ?
そんなことはしてはいけないのだ。僕は彼らを日のあたらない静かな場所でゆっくりと休ませてあげたいと本当に思う。
それが生きているものの務めなのだ。そのためにならいくら祈ってもいい。

「ご馳走様。さてと、それじゃあそろそろ行くよ」
コーヒーを最後の一滴まで飲み干してしまうと僕はそういった。
「気をつけて」
アムロがいった。「なるべくいそいだほうがいいかもしれない」

129 名前: ブライトノア・クロニクル(下)16/18 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:50 ID:???
僕は折りたたみ椅子からそっと立ちあがる。そして、椅子をたたんで床に横たえた。
「さいごにひとつだけいいかな」と、僕はいう。
「なに?」
「君達はいまのその・・・地球上や宇宙で起きている様々な問題をどうかんがえている?」
アムロはその僕の問いにとまどったように苦笑した。
「あいにくだけど、その問に答えることはできない。僕らはただガンダムをつくっているだけの工員さ。けれど、」
そこでアムロは言葉を切った。
「ブライト。いいかい。急がない事だよ。あわてずに自分がなすべきことだけを思うんだ。すくなくとも僕は人類に絶望はしていない」
そして、アムロはそっと笑った。「僕がこんなこといっても仕方ないかもしれないけど」
「いや、とても救いになるよ」
本当に。それに僕は十三年ほどの長い付き合いよりも、ここですごした僅かな時間の間のほうが多く彼の笑顔をみた気がする。
「シャアは?」
僕が彼のほうに視線をうつすと、彼は足元の工具箱からボールペンを取り出して、手もとのメモ帳にさらさらとこう書いた。


And now…In anticipation of your insight into the future


シャアはその紙をちぎって僕のほうに差し出した。
「ありがとう」と僕は礼をいう。僕はそれを大事に折りたたんで胸のポケットに入れる。
僕は彼の書いたスペルをあたまのなかでなんどもリフレインする。
今は皆様一人一人の未来の洞察力に期待します、か。わるくない。ぜんぜんわるくない。
たとえそれがシャア一流のよくできた皮肉だとしてもだ。
彼らがそういってくれるだけで、何かが救われる気がした。未来への期待がそこにあるのなら、僕らはまだ存在できる。
結局のところ、物事はそういうふうにしてすすんでいくのかもしれない。絶望するにはまだ早いのかもしれない。
僕はハサにあわなければいけないのだ。

「僕はいくよ」と、二人にいった。だけど、いってから自分がどうやってこの工場からでればいいのかという問題に気がついた。
この工場は果てしなくひろいのだ。僕はここからでることができないのではないか、という不安に襲われた。
「想像するんだよ」と、僕の不安を悟ったように静かにアムロが言った。
「君は君の帰る場所を知ってるはずだ。思い出すんだ。君のいた場所や匂いや感触を。空気の流れを」
僕は「もくば」ホテルのことをおもった。ベッドの上の油絵を思った。そして、死に絶えている電話を考えた。
「想像するんだ」
アムロはもう一度いった。「責任を持って、帰るべき場所を心に描くんだ」

僕はいわれたとうりに木馬ホテルを思った。ビールやステーキを思った。そして、夕刊を思った。
そういえば頼んでいた夕刊はどうしたのだろう?ちゃんと届けてくれただろうか?そういえばテレビはつけっぱなしだったな。
そんなことを考えていると、急激に視界が暗くなっていった。
僕は戻りつつあるのだ。ふたたび潮がひいて、海面が隆起してなにものかが僕を砂浜に戻そうとしているのだ。
かすんでいく視界の中でアムロとシャアをみようとしたがもはや僕はかれらをみることはできなかった

130 名前: ブライトノア・クロニクル(下)17/18 [sage] 投稿日: 04/07/20 20:00 ID:???
4  ささやき




 気がついたとき、僕はホテルの部屋のソファにうつ伏せに横たわっていた。
意識はまず左端から徐々に見え、右端までたどりつくと一旦また暗闇になりそのあと、中央から光が戻ってきた。
やれやれ、僕は戻ってきたらしい。僕は首を傾けて、身体のこりをほぐした。身体を起こし、大きく一度背伸びをした。
時計をみると意識を失ってから五時間くらいの時間が経っているようだった。外はもう真っ暗になっている。
テレビ画面は砂嵐になってざあざあと雨降りのような音をたてていた。
僕はリモコンをつかんでテレビの音を消音にした。そして、テーブルのうえにあるミネラルウォーターと飲みほし、
クラッカーを少し齧った。そうこうしていると、ようやく身体がこちらがわに馴染んできたようだった。
足元には絨毯があり、ベッドには目覚し時計がありその上には油絵がある。大丈夫。僕は戻ってこれたのだ。



 アムロの言葉を僕は思い出した。北北東に10キロ。
さっそくホテルのフロントに電話して1/1000サイズの市内地図を持ってきてもらうように頼んだ。
ボーイが地図を持ってくるまでの間に僕はトイレにいき、ながい小用をすませた。自分でも信じられないくらいのながいながい小便だった。
僕の膀胱はまるっきり壊れたみたいに、尿を排出しつづけた。
ようやくそのながい小便が終わり、洗面所で僕が石鹸で手を洗っていると、ドアが優しく二回ノックされた。
ドアをあけると、品のいい笑顔を浮かべたドアマンがそこに立っていた。彼はお盆の上に地図と夕刊を数紙まとめて載せていた。
「さきほどお尋ねしたときはご不在のようでしたので」とまるで大統領にでも話しかけるように、うやうやしく彼はいった。
「ありがとう」
僕は礼をいい彼に多めにチップを渡した。ドアが閉まるのを確認した後、僕は新聞をとりあえずどけた。
これはいまはもう必要ではない。
ベッド脇においているサイドテーブルをソファのまえまで持ってくると、その上に新しいぱりぱりとした地図を広げた。
そして、僕がいる「もくば」ホテルからアムロが指差してくれた北北東に定規をあわせボールペンで線を引いた。北北東に十キロ。
線はぴたりと僕の予想どうりの場所で止まった。ビンゴだ。あそこにハサウェイは、僕の息子はいるのだ。
僕は深呼吸をしてから、冷蔵庫にむかい、そこからよく冷えたミネラルウォーターをとりだして飲んだ。
身体中の水分がさっきのトイレで全部しぼりとられたような気がしたからだ。


131 名前: ブライトノア・クロニクル(下)18/18 [ここまで読んでくれた人有難うございましたsage] 投稿日: 04/07/20 20:12 ID:???

 僕は洗面所に行き、顔をしっかりと石鹸で洗い、シェービングクリームを手に取ると、備え付けの髭剃りで丁寧に髭を剃った。
そして歯を丁寧に磨き、ワックスで髪をきちんと整えた。テレビを消し、部屋の室内灯を消した。ドアをあけ、廊下に出て部屋をロックした。
廊下にはあいかわらず犬のように従順なカーペットがひかれているだけで誰もいない。僕はからっぽのエレベーターに乗りこむ。
エレベーターで一階に降りる間、僕は「ネオジオン国歌」をかすかに口ずさむ。途中で男が二人乗ってきたが、構わず僕は唄いつづけた。
彼らは僕を怪訝な目でみていたが、目があうとすぐに逸らした。かかわりあいになりたくない、といった感じだった。
 一階につくとさっさとエレベーターをおりた。まっすぐに受付に行き、ホテルのフロントに頼んで、大至急タクシーを呼んでもらうようにいった。
「彗星タクシーしかまだ営業をはじめてませんがよろしいですか?」と品のいい笑顔でフロント嬢はいった。
さきほどのドアボーイとおなじ笑顔だった。一流ホテルは笑顔まで統一されているのだ。ひょっとしたら歯並びも規格化されているかもしれない。
かまわない、と僕は答える。べつに彗星だろうが木馬だろうが白鳥だろうが、タクシーならばそんなものはどうでもよかった。
「それでしたら、少しお待ちください。ただいまお呼び致します」と彼女はにこやかにいった。僕は礼をいってその場を離れた。

ロビーでタクシーがくるまでの間、玄関前のソファに腰をかけたまま僕はMSピープルのこと考える。



おそすぎたから、いけないんだ。


 MSピープルの予言を僕は繰り返す。たしかに僕はおそすぎた。単に時間という面でなく、ありとあらゆる面で。
その言葉はまるで石のように僕の意識の海に沈みこんで、底のほうから僕を縛り付けている。だけど、まだ決して手遅れじゃない。
彼はあそこにいるのだ。僕はそこにいき、ハサを、そしてミライとチェーミンを取り戻さなければいけないのだ。あるいは僕は負けるかもしれない。
また別の何かを損なうことになるかもしれない。もはやそれは取りかえしがつかなくなっている可能性だって充分にありうるのだ。
けれど、僕は、少なくとも僕だけはあきらめるわけにはいかない。
 僕は目を閉じて、そっとひそやかに呼吸をする。
どこかで声が聞こえる。僕を呼ぶ微かな声だ。誰かが僕を呼んでいる。僕はそれを聴くことができる。
それは呪いかもしれない。あるいは予言かもしれない。またそのどちらでもあるかもしれない。僕はその言葉をじっと聞く。
聞きながら、胸元のポケットに手をやる。そこには確かに紙切れが入っている。小さく折りたたんだメモ用紙だ。僕はその意味を考える。
僕は洞察しなければいけない。ちいさな言葉から漏れるわずかな感情のニュアンスさえも聞き逃すわけにはいかない。洞察するのだ。
ホテルの従業員がタクシーが到着した事を僕に告げる。僕は立ちあがり、ロビーをでる。その間も声は絶え間無く僕のもとにとどく。
誰かが僕を呼んでいる。僕はその意味を全身で理解しようとする。誰かが僕を求めている。
声にならない声で。音にならない音で。
世界のどこか片隅で。


                                                             (ブライトノア・クロニクル(下)後編へ続く)