地球(ほし)の子供たちは皆踊る 〜後編〜

95 名前:ブライト1/8 投稿日:03/11/04 03:08 ID:???
7    『  地球(ほし)の子供たちは皆踊る 〜後編〜  』   ブライト・ノア


話を続けよう。
次に僕がカミーユにあったのは、数ヶ月経った後のことになる。正確にいうと0093年の3月6日だ。
補足をするならば、その日はシャアが隕石をラサに落としてから二日経ったあとのことだった。
そのとき僕らの乗っているラーカイラムはサイド1のなかのコロニーのひとつ、ロンデニオンにいた。

500万人ほどが住む古い街だ。
どことなく中世のヨーロッパ的な雰囲気が漂っているコロニーで、数多くのコロニーのなかで僕はここが嫌いではなかった。
ここに降りたのは政府高官の命令によるものだった。なにをするためかは教えてもらえなかった。いつものことだ。僕は働きアリに過ぎない。
彼を下ろした後、少しだけ各自に自由な時間が取れた。おそらく最後の自由な時間だ。
アムロとハサウェイ達はどこかにドライブにでもでかけるらしかった。羨ましい話だ。けれど、僕にもいくところがあった。


僕は僅かな時間の合間をぬって、病院に向かった。なんとカミーユがいるのは偶然にもここの病院なのだ。
ロンデニオンの街から車で15分ほどいった郊外の閑静な森に建てられている。ここは連邦政府の隔離病棟の一つだ。勿論、存在すら極秘だ。
途中にある店によってパンプキンプティングを買った。でっぷりとよく太ったお婆さんが、一つずつ丁寧に袋に入れてくれた。
隣のフラワーショップにも寄って、、綺麗な月見草をかった。こちらのお婆さんは対照的にひどくやせていた。顔も意地悪そうだった。
そのとき聞いたことにはどうも二人は双子だということだった。えらく対照的な双子だ。どうみても遺伝子学的におかしい。
僕はそれにかすかに混乱したが、結局のところ、プティングは食べられて花は食べられないからだ、という結論に達した。
生活環境とはそれほど人を変えるものだ。意地悪になったり、親切になったりする。


病室はいつにもまして静かだった。海の底に立てられた建物でも、こんなに静かではないと思う。
廊下をあるく僕の足音だけが、やけに甲高く響いた。途中すれちがう看護婦は、このまえと違って素足で歩いているかのように全く音がしなかった。
彼女達は無言で僕に会釈をすると、実態のない影のようにひっそりと引力にひかれるようにして、どこかに消えていった。
僕は、すぐにカミーユの病室の前に立った。扉の横には金属のプレートがあり、「105号室 カミーユ・ビダン」と丁寧に掘りこまれていた。
この一ヶ月の間に、カミーユの部屋は二階から一階に変更されていた。ノックをすると、女性の声の返事があった。僕はノブを捻って、中に入った。
まるで薄い淡い色のカーテンのような静かな膜が、部屋には存在していた。
全てのものがひそやかな沈黙の海の中に沈みこんでいた。まるで何千年も地中に眠っている化石のような沈黙だ。
「・・・ブライト艦長?」と、ファが驚きの声をあげた。
「大変だったね」と、僕はいった。ゆっくりとベッドに近寄ると、手に持っていた月見草を彼女に渡した。
「これは・・?」
「月見草。地味な花だけどね。好きなんだ」と、僕は言った。ファはそれを暫く見つめたあと、カミーユの枕元にある花瓶にさした。
彼女は一ヶ月まえと同じ女性とは思えないほど、憔悴しきっていた。目は赤く充血し、その下には深い隈が宿命的にできていた。
まるで三日間の間、一睡もせずに泣きつづけたようなひどい顔だ。そして、きっとそのとおりなんだろうと僕は思う。
カミーユのほうはこの前あったときとかわらないようにみえた。顔も綺麗なものだった。髪は幾分伸びていたが、つややかな青さを保っている。
ただ、彼の目はうつろで、どこもみていない。その耳にはなにも届かない。その喉から何も言葉を発しない。そこが違う点だ。
点滴の刺さった左腕だけが所在なげに膝の上に置かれていた。それは僕に捨てられる直前の旧式のモビルスーツを思い出させた。
「ひさしぶり、カミーユ」と、僕はいった。勿論、返事はない。言葉は宙に浮かんで、すぐに消え、どこにも届かない。
僕と彼女は彼の枕もとに座った。


「どうしてこんなことになったのか全くわからないんです」と、細く掠れた声でファはいった。
僕は黙って頷いた。僕もこんなことになるなんて露とも思わなかった。


96 名前:ブライト2/8 投稿日:03/11/04 03:19 ID:???
戦闘はいよいよ最終局面を迎えていた。
ついに地球への降下を始める寸でのところでアクシズが分断されたのだ。
僕たちの思惑道理にアクシズは内部で破壊されて、中央付近で綺麗に卵を割るように、裂けた。
「やりましたね!艦長!」とオペレーターの一人が声をあげた。「これで救われます!」ブリッジの中には安堵の雰囲気が広がった。
まるで戦争はもう終結したような言いぶりだった。確かに隕石がこれで地球に落ちなければ、彼らは降伏するだろう。目的がなくなるからだ。
僕も正直これで助かったと思った。地球にとってこれがいいかは別として少なくとも現時点で地球にいる人は助かったのだ。
ミライやチェーミンの顔が浮かんだ。この任務がおわったら久しぶりに家族水入らずで暫くどこかにいこうと思った。
こんな仕事をぶっつづけで何年もやっていたら頭がおかしくなってしまう。人の死をなんとも思わなくなってしまう。駒が減ったと思うだけだ。
戦争とはそういうものだとわかっていても、それが正常の人間の感覚だとは思いたくなかった。僕は、そこまでマシンじゃない。
軍隊を辞めようか、とも思う。けれど、僕は他に何のとりえもない。
僕だって生きている間ぐらいひとなみに上手に生きてみたいと思う。けど、不器用だから仕方がない。

そういえばハサウェイはどうしたのかな、と僕は思った。デッキにいなかったのだ。
ひょっとして対空放火の最中にでていった機体はあいつじゃないだろうな、と思いつつ僕は目のまえの光景をただ黙視していた。
もうこれはただの戦争ではなかった。正義とか悪じゃない。そんな言葉で形容できるものではない。
僕はもう視界一杯に広がる地球に目をやった。それは、ここで起きている光景などまるで関係ないかのように静かに廻りつづけていた。
アムロはどうなったんだろう、と僕は思った。ガンダムがどこにいるのか最早全くわからなかった。
落ちたのかもしれない。シャアと戦っているのかもしれない。いや、戦っているのだ。間違いなく。
僕にはそれがわかる。アムロとシャア、二人のことを僕は思う。彼らのこの結末について思う。もっと、別の可能性はなかったのだろうか?
わからない。隕石はゆっくりと分断されている。僕は其れをただみていた。



カミーユの顔に手をかざして二,三度振ってみた。何も反応はない。
彼の目は僕の手のひらをみずに、そのむこうにある天井をただ見つめていた。僕はあきらめて手を引っ込めた。
「詳しく説明してくれるかな?」と、僕はいった。「手紙じゃよくわからなかったんだ」ファは頷いた。
カミーユは、意識が無くなる前日までは普通どうりでした。朝7時には起きて、それから医療スタッフによる検査を開始したんです。
それが、昼食をはさんで大体夕方まで続きました。その後は、私と一緒に夕食を食べて、お風呂に。いつもどうりです。
少しの間テレビをみて、消灯の時間になったので、彼は寝て、私は帰りました。そして、翌朝きてみたらこんな風になってたんです」
「とつぜん?」と、僕は聞いた。ファは頷いた。
「はい」
「医者はなんていっていた?」と、僕は訊いた。
「それが・・まったく原因がわからないそうです。いろんな機械をつかってしらべたみたいなんですが、皆目・・
外傷はどこにも見当たらないということなので、内的な原因ではないか、っていってました。
ただ純粋に目を覚まさないんです。井戸の底から空をみているみたいに、ここではみえない何かをみているんじゃないかと」
僕はすこしだけその意味を考えた。何かをみている・・?よくわからない。
「植物人間状態・・っていうことじゃないんだね?」
ファは頷いた。「ただ、意識がないだけです。脳には異常はないとはいっていました」
「ねぇ、テレビをみたっていったね?どんな内容をしていたんだ?」
「ええと・・ニュースです。内容は・・なんだったかしら・・・」ファはいいよどんだ。
「ねぇ、しっかり思い出して。大事なことかもしれない」と、僕はいった。ファは少し顎を傾けて天井をみた。
「たしか・・ちょうどその日はクワトロ大尉・・・いえ、シャア・アズナブルのインタビューがTVで流れていたとおもいます」
「その番組をみて、寝た直後、彼は意識を覚まさなくなったんだね?」
「はい・・あのそれがなにか?」
「・・・・いや、何も?」と、僕は言った。そのインタビューがあったのは2月26日だからもう一週間以上経つ。
「なにかわかったんじゃありませんか?艦長、なんでもいいから教えてください」と、ファがいった。


97 名前:ブライト3/8 投稿日:03/11/04 03:23 ID:???

僕は、不安げな顔で僕をみつめるファの髪を優しく撫でた。そして、話題を逸らす。
「・・ねぇ、美味しいプティングを買ってきたんだ。一緒に食べよう。それから、君は少し休んだほうがいい。
ひどい顔をしている。まるでズゴックみたいだよ。そんな顔を年頃の子がするもんじゃない」と、僕は手に持った紙袋をみせた。


説得してファにプティングを食べさせた後、僕は看護婦に頼んで別室にベッドを用意してもらった。
そこに彼女をつれていき、休ませた。ファはつかれていたのだろう、すぐに眠った。僕は物音を立てないように静かに部屋をでた。
途中、廊下にあった自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。コーヒーはやけどするほど熱く、味がほとんどわからなかった。
木馬に似た看護婦がシーツを大量に持って、二階にあがっていった。僕はその後姿を眺めて、忙しそうだなと思った。
本来なら僕も艦に戻って色々することがあるのだ。アムロはそういえばまだハサウェイ達とドライブしているのだろうか。
僕は自動販売機の隣に設置されていた公衆電話をつかい、艦に連絡をとった。オペレーターがでて、さっき誰かが尋ねてきました、といった。
おそらくカムランじゃないかな、と僕は思った。まぁ、どちらにしてもまたせておけばいい。
あと20分は大丈夫だろう。それくらいはある筈だ。
そんなことを思いながら僕が部屋に戻ると、そこにはカミーユの他に誰かがいる気配がした。医者かもしれない。
僕は邪魔にならないようにそっと静かにドアを開け部屋に入ると、その人物を観察した。そして、誰かわかった瞬間に僕は息を呑んだ。


シャア・アズナブルだった。ネオジオン総裁にして、1年戦争時の赤い彗星

彼が、病室にいたのだ。間違いなく。




「艦長!アクシズの後部は地球の重力に引かれて地上に落ちます!」
クルーが絶叫した時、僕は最初それがどういうことか理解できなかった。アクシズが落ちる?地球に?
そんなことが起こるわけはない。僕は思った。

僕達の計算ではそうならない筈だった。火薬が強すぎた?そんなこともあるわけなかった。
こうなる可能性を恐れて僕は念入りにあらかじめ計算させていたのだ。にもかかわらずアクシズがおちる?
何かの冗談じゃあないのか。もしも現実だとするとお手上げだった。僕には隕石が落ちるのは必然で止められないのだと思った。
世の中にはそういうものがある。運命、と僕はいいたくないのだけど、レールがあるようにその上をきちんと走り抜けていくのだ。
アクシズが落ちるのは運命なのだ。僕は思う。止められない。アクシズを地球が呼んでいるのだ。おそらく。
けれど、そんなことを認める訳にはいかない。それはこの戦域で死んでいった仲間たちへの冒涜なのだ。地球は守られなければならない。
「ラーカイラムで押し出すんだ!」と僕は無意識のうちに叫んでいた。無理だとわかっていても運命を

打破したかった。
「無理です!」クルーが必死で僕を押しとどめる。


99 名前:ブライト4/8 投稿日:03/11/04 03:31 ID:???
僕は最初、それは自分の勘違いではないかと思った。シャアがこんなところにいるなんて、常識的にみて考えられない。
たが目の前にいるのはどう考えても、数日前にテレビでみたシャア・アズナブルそのものだった。ネオジオン総帥であり、かつての赤い彗星
彼は、僕が入ってきたのにも気がつかずに、こちらに背を向けて椅子に座っていた。カミーユをじっとみていた。
僕は静かに腰に手をやったが、そこに拳銃は無かった。うかつなことに僕は必要ないと思って、拳銃を艦内においてきていたのだ。
失態だった。以前の僕ならこんなことはしない。

「・・なにしにきたのかきいていいかな?」と、僕は諦めてドアにもたれると、その背中に問い掛けた。
ここで格闘をするわけにはいかないし、僕はきっとかなわない。それに僕は彼が何をしたいのか知りたかった。
シャアはその声に驚いた様子はなかった。きっと誰かが部屋に入ってきたのは気がついていたんだろう。
彼はゆっくりと振りかえり私の顔を見て、ほんのすこし表情を変えた。
「久しぶりだな。ブライト艦長」と、彼はいった。その声には人を惹きつける何かが含まれている。。
クワトロのころよりそれを強く感じられる。おそらく意識的にだしているのだ。そういったことができる人間というのが世の中には稀にいる。
ダカールの演説を僕は思い出した。そして、ギレンも。

僕は、扉を背にしたまま彼を注意深く観察した。彼は・・一人できているのか?この時勢に。軽率じゃないか?
窓が開いていて、木に馬がつなぎとめられていた。あれでここまできて、窓から入ってきたのだろう。

無論、あらかじめ下調べをしたうえで。
「クワトロ大尉。いや、シャア・アズナブル総帥とよんだほうがいいかな。こんなところであうなんて露とも思わなかったけど」と僕はいった。
「それは私だってそうさ。連邦がこんなに暇だとは思わなかったよ」シャアは笑った。「お子さんは元気かな?確か二人いたと記憶しているが」
「おかげさまで」と、僕は答えた。「男の子と女の子がお一人ずつだったな?」と、シャアは続けた。

僕は頷いた。
僕とシャアはかつて仲が良かった。わかりあえるまではいかないが、ともに戦場では心強い仲間だと感じていたものだ。五年も前の話だ。
「それで?なにしにきた?まさかカミーユの顔をみにきただけ?」と、僕は訊いた。
「わかっているのだろう?・・カミーユを引き取りにきたんだよ」
「引き取り?」
シャアは時計をちらり、とみた。そして、カミーユの左腕をみて、そのチューブの先の点滴をみてから、視線をこちらにもどした。
「私が何度も彼をネオジオンに誘っていたのは知っているのだろう?そのときカミーユはそれを渋った。
行きたいが、いくわけにはいかない。彼はいった。すぐに私はファのことが原因だと気がついたよ。
それで一旦は引いた。暫く考える時間をやった。私としても彼から自発的に来て欲しかったのでな。
それから暫く経って、この前、カミーユの意識がなくなったとの報告を受けた。驚いたよ。
私は彼が最後にはジオンに入隊すると信じていたし、そのために新型MAを開発中だった。カミーユは必須なのだ。
今更これません、というわけでは困る。だから私は原因を推察した。どうして再びこんな状態になったのだろうとな」
シャアはそこで一旦会話をとめて、カミーユに目をやった。相変わらずカミーユは何の反応もない。
シャアがきていても、喋っていてもそれは彼の耳には入らない。
「原因?」と、僕はいった。
「そうだ。これはカミーユの意識が考えることを放棄した結果起きた状態だ。
残るか、私とくるか。個人としての愛をとるか、ニュータイプとしての未来をとるか。どちらかなのだよ。
無論、ファと安息の生活をしたい気持ちはわからんではない。だが、カミーユにはそれはできないのだ。そういう青年なのだ。
カミーユのまだ修復しきっていない精神はその葛藤に耐えられなかった。彼は脆いのだよ。ブライト。脆弱だ。
だが、それだけに私は彼に人類の希望をみいだせる。彼は脆い、だが、立ち直る。それは希望であろう?
彼はいま悩んでいるが、私とネオジオンにくれば自分の運命を理解するだろう。
生きている間に、生きている人間のすることがある。それを行うことが死んだ者への手向けだ。逃げていてはなにもはじまらん」
「だけど」僕は反論する。

100 名前:ブライト5/8 投稿日:03/11/04 03:35 ID:???
「だからといって、勝手につれていっていいとは思えない」と、僕はいった。
確かに彼のいうとうりだろう、と僕は思った。さっきファの説明をきいて、そうではないかと思ったのだ。
彼の心はくさびをうたれてファから動けないが、一方で自分は戦わなくてはいけないという強迫観念的な思いがあった。
その葛藤がシャアの宣戦布告を聞いたときにピークに達して、電気のヒューズが飛ぶように、考えを放棄したのだ。また錯乱する前に。

なぜだかこうして会話してると不思議に違和感を感じなかった。敵だという感覚がない。
僕はラーカイラムの艦長じゃなく、アーガマの艦長のままで、シャアはネオジオン総裁でなくクワトロ・バジーナのように思える。
あれから5年の月日が流れても僕らは何も変わっていないように思える。それがいいことなのか僕にはわからない。
僕は33歳になったけれど、何も変わったような気がしない。
僕らは同じ場所で踊りつづけているのだ。好むと好まざるとにかかわらず。踊りつづけているだけなのだ。

「時間がない。彼の意識はここにいては確実になおらん。カミーユは私とくるべきなのだ。
それにな、ブライト。連邦がカミーユ君にしている非人間的な扱いをみると、私は彼らを一層粛清せねばならんと思うのだよ。」
「だが!」と、僕はいった。納得できなかった。彼は彼の意思で、ここに残ったのだ。
彼が精神を再び自らの手で井戸の底に閉じ込めたのだとしたら、誰にそれをひらく権利があるだろう?

そんなのはありはしないのだ。
「相変わらず独善的だ」と、僕はいった。「それはカミーユが決めることだ。時間をかけてゆっくりね」
シャアは笑った。
「それじゃあ、間に合わないんだよ。カミーユは今すぐ決めなくては」
「やめろ!」と、僕は詰めよった。が、瞬間にシャアの右手が動いた。腹に重いものを感じてうずくまる。呼吸が止まる。
「邪魔はしないでもらおう。まだ君はしらんだろうが、形の上とは言え、現在我々は停戦状態なのだよ。ブライト」と、シャアは僕を見下ろした。
「なにを・・ばかな・・」と、僕はいおうとしたが、声にならなかった。普段の不摂生が祟ったかもしれない。人に殴られたのは数年振りだった。
目の前が霞む。歪んでいく。視界が隅のほうからぼんやりと灰色に滲んでいく。シャアがカミーユの点滴をはずそうと手を伸ばす。
僕はなにもできない。


「そんなことさせない!」
シャアの動きを止めたのは、その一言だった。僕は床にうずくまりながらも声のした方をみた。
ファがいた。震える手で拳銃を握り締めて、シャアに向けていた。
「彼をどこにもつれていかないでください!クワトロ大尉!」
「ファくん・・」
シャアはあきらかに狼狽した。彼女に見つかる前に連れていくつもりだったのだろう。相変わらず女には甘い。
「・・・すまんがそれはできんのだよ。彼は、ネオジオンの一員として私と共にきてもらう。私の跡をつげるのは彼しかいないのだ」
私のあと?僕はその言葉がきになったが、痛みがひどくて何も考えられなかった。
シャアがカミーユの点滴をはずすためにベッドの脇にかがんだ。「大尉!」ファが、叫んだ。拳銃をもったまま、あわてて彼女は近寄る。
そこをシャアは見逃さなかった。無防備に近寄ってきたファの右手をあっさりと捻りあげた。拳銃がぽとり、と床に落ちる。
「あきらめてくれ。ファ」と、シャアはいった。だが、ファはシャアに右手を捕まれたまま、左手でシャアの身体を叩く。
「イヤァ!どうしてっ!アナタ達は自分の都合でしか物事を考えないの!わたしや!カミーユの気持ちは!どうでもいいのッ!」
「人が何かをなすときには、犠牲が必要なのだよ・・子供たちのためなのだ」
「そんな理屈・・ッ・・犠牲に・・なれっていうの・・ねぇ・・わたしたちに・・あなたたちの身勝手な・・戦争のための犠牲に!
どうしてそんなことがいえるの?私達はただ、静かに暮らしたいだけなのに・・ねぇ、どうしてそんなことをするの!」

ファの顔は泣いていた。
僕は胸が痛くなる。彼女はシャアを叩く、何度も何度も。それがたとえシャアには届かないとわかっていても、彼女はそうするしかない。
無力なのだ。連邦の僕、ネオジオンのシャア、そういった背景をもたない一市民のファは叩いて抵抗することしかできない。無駄だとわかっていても。


101 名前:ブライト5/8 投稿日:03/11/04 03:48 ID:???
ファの手は止まらない。シャアを叩きつづける。
僕は彼女のあの頃より幾分長い髪が、ふり乱れる様をただみていた。彼女は、高まる感情をそのままに、言葉を途切れさせながら喋る。
「ねぇ・・あのとき・・アナタはにげたじゃない・・カミーユを置いて・・にげたじゃない・・壊れちゃったカミーユ・・を・・おいて・・にげたじゃない・・」
その言葉にシャアの表情が変わる。僕もハッと息を呑む。あのとき。それはもう僕らにとって五年もまえのことだった。
僕はそのとき26だった。あの戦争の最後、カミーユは発狂し、シャアはいなくなった。エゥーゴのリーダーの地位と、カミーユという彼の希望を捨てて。

───艦長、ブライト艦長カミーユ・ビダンが・・・。聞こえますか。アーガマ

僕はあのときの彼女の本当に、消え入りそうな、数秒後に、泣きはじめたあの時の声を覚えている。
聞こえている、と僕は思う。あのときから、彼女は僕に呼びかけていたのかも知れない。いや、きっとシャアに呼びかけていたのだ。
彼女はシャアに聞いて欲しかったのだ。そして、カミーユも。おそらく。

カミーユを壊したのは・・あなたなのに・・彼が戦争したのは・・あなたのためだったのにっ・・あなたはカミーユをおいて・・逃げた・・」
「それは違う。私は逃げたんじゃあない」と、シャアは確固たる口調で言った。だけど、そのトーンは弱い。
「うそっ・・!逃げたじゃあない!生きてたなら・・どうして・・あのときのカミーユを・・ねぇ、大尉っ・・カミーユは・・きっと・・貴方がいてくれれば・・・」
ファは純粋だ。シャアの矛盾を見逃しはしない。
「それなのに今更どうしてくるの・・?ねぇ・・大尉・・もうそっとしておいて・・お願い・・私達は、アナタたちの道具じゃない・・ん・・です」
「・・・ファくん・・」
ブライト艦長がコロニーにきて・・カミーユがみにいって・・そしたら、大尉がきて・・カミーユをつれていって・・ねぇ!あなた達は・・どうして・・!」
僕が彼を呼んで、シャアが彼を連れていった。グリーンノア。僕は思い出す。あの頃、僕はまだテンプテーションの艦長だった。
そのとき、僕はあんなことになるなんて思っていなかった。ただ自分は一生閑職にやられるのだろうか、と漠然と思っていただけだ。
そういえばあの時と同じ人間がいるんだな、と僕は思った。僕らはどこにもすすんでないのかもしれない。足踏みしているだけだ。

 ファはシャアにしがみついて涙を流している。シャアはなんていったらいいのかわからないといった表情をしていた。
僕はファの気持ちがいたいほどわかった。誰もがカミーユをまるでレンタルビデオのように遠慮なく借りていくのだ。代価をなにもはらうことなく。
そして、カミーユはそのたびに少しずつ何かを損なっていっていたのだ。そして、あのとき、最後にシャアは彼を捨てたのだ。

「なおったから・・またかりていくの?ねぇ・・・死ぬかもしれない戦いに・・彼をつれていくの・・?大尉・・・そんなのって・・ない・・」


ピピピ、と僕の時計が静かに鳴った。
そろそろ帰らなければならない時間だった。だけど、当然のことだけどこの状況で部屋を後になんてできない。


『・・・ファ・・』
突然、声がした。本当に小さな声だった。すぐに空気に混じって消えてしまう細い声だった。それが部屋の沈黙の糸を少し緩ませた。
誰かが会話をしていたなら聞き逃していそうな程、それは本当に小さく弱い呟きだった。少年が母親に秘密を打ち明けるようなささやかさだ。
「え・・?カ・・カミーユ・・?」ファがシャアの胸から、はじかれたように顔をあげた。僕もそれで、いまのがカミーユだと気がつく。
「ファ・・・・」
今度はさっきよりはっきりと聞こえた。確かにカミーユの声だ。カミーユが言葉を発しているのだ。僕は立ち上がりながら思う。
低いような高いような独特の不思議な声だ。そういえば彼の声色はあの頃とほとんど変わっていない。
「あぁ・・カミーユ!」
ファはカミーユの胸にすがりつくように抱きついた。「ファ・・」カミーユは抱きしめられながらまた

呟いた。
カミーユ・・」ファは幸せそうに目を閉じる


102 名前:ブライト7/8 投稿日:03/11/04 04:02 ID:???

「意識が・・・戻ったのか?」とシャアは呆然と呟いた。
「いや、多分・・違う」と僕は言った。意識が戻ったわけじゃない。ただ無意識に彼はファの哀しみを感じているのだ。
まるで赤子が母親の気持ちを敏感にさとって泣くように。その証拠にカミーユの目はまだうつろで、僕らを映していない。ファだけだ。
井戸の底から彼はファだけを叫んでいるのだ。求めているのだ。おそらく。彼女だけを。そして、僕はそれが答えだとおもう。
「彼は、残る道を選んだんだよ。戦いじゃなくね。そして、そっちのほうがネオジオンに参加するより辛い道かもしれない」と僕は言った。
「動かないほうが怖いな」と暫くの沈黙の後にシャアがいった。「私には真似できない」
ファがカミーユを愛しそうに抱擁しているのを僕らはただみていた。それはもう僕らにはできない若さと希望の1枚絵のようだった。
シャアは時計をみて時間を確かめると、ゆっくりと部屋の窓際に移動した。そして、足を窓枠にかけた。
カミーユ」と、最後にシャアはいった。今まで僕が聞いたなかで一番優しいトーンだった。カミーユ。僕も口の中で発音してみる。
シャアは、そこで一旦口を切ったかと思うと、
「・・・今の私はシャア・アズナブルだ。それ以外の何物でもない。」といった。「無論、クワトロでも」
その言葉は当たり前のことのように思える。どうして今そんなこと言う必要があるんだろう、、とその時の僕は思った。

だけど、今では僕はその言葉の意味を理解することができる。
それは彼のカミーユへの別れの言葉だったのだ。つまり、彼はシャアだ。クワトロではない。
エウーゴの時には、シャアは公式にシャアと名乗らなかった。演説のときもシャアと呼ばれたことがある、といっただけだ。
出撃の時も「クワトロ・バジーナ出る」だ。カミーユと意志を共にしたのはクワトロ大尉である。シャアではない。
一方、今の彼は純粋にシャア・アズナブルである。クワトロ大尉ではない。となるとカミーユは面識もないただの他人だ。シャアは暗にそういったのだ。
無論、これにはネオジオンカミーユは一切無関係だと連邦の軍人である僕に通告する意味も含まれている。
だけどどちらかといえばこれは矢張りカミーユに対する別れの言葉と考えていいだろう。彼らは奇妙な師弟関係だったのだから。

シャアは窓から外の芝生に降り、繋いであった馬に乗った。馬は久しぶりに動けることを喜ぶように鳴いた。
ジーク・ジオン」最後にシャアはそう言った。けれど、それはどこか自嘲的な言い方だった。少なくとも僕はそう感じた。


シャアが消えてしまったあともファは動かなかった。彼女はカミーユの首の辺りに顔を埋めたままだった。
僕は窓を閉め、濃いクリーム色のカーテンをひいた。部屋にさしこむ光が、淡い灰色になる。空気が少し柔らかくなった。
振り向いて、カミーユをみる。そして、僕は息を呑む。カミーユの目から涙が一筋だけこぼれていた。

間違いなく、涙を流している。
「たい・・い・・・」 カミーユの掠れるような声が聞こえた。だけど、これは気のせいかもしれない。彼の意識はないのだから。
ただそう喋ったように聞こえただけだ。

時計がまた鳴った。いい加減に僕も艦に戻らなければならない。それにこの場にこれ以上僕がいることは意味がなさそうだった。
僕は、二人に何も声をかけず黙って静かに病室を後にした。ドアを閉めると、カチリと硬質な金属音が響いた。
耳の奥にその音が妙に残った。何かが閉じた、と僕は思った。
少し歩いて曲がり角を曲がった僕は、立ち止まると、廊下の壁に背をつけて、息を吐いた。そして、壁を手の裏で思いきり殴った。
はやけに高く響いた。すれ違った女性が、僕を怪訝な目でみて足早に去っていった。狂人をみるような目つきだった。僕は目を閉じる。
いいようのないやりきれなさだけが、いつまでも全身に留まっていた。


103 名前:ブライト8/8 投稿日:03/11/04 04:17 ID:???

 アクシズが地球から離れていった時のことを僕はここで詳しく述べるつもりはない。
あれを完全に説明することは不可能だし、完全に伝えられないならば何も説明しないほうがいいと僕は思うからだ。
ただ、あれは僕にとって本当に1年戦争が終わったのだと実感させるものだったということだ。
連邦とジオン、アムロ・レイシャア・アズナブル。1年戦争は実質には14年経ってようやく終局を迎えたのだと僕は思った。
アクシズから出る光の暖かさは、僕には14年越しの死者への鎮魂の光だと感じた。一体どれだけの人が死んだのだろう。
それは途方もない数だと思う。天文学的な人の数が死んだ。そして、アムロとシャアも『いま』死んだのだと僕は悟った。
1年戦争の二人の英雄は死んだのだ。アムロとシャアの踊りは、ダンスステップは、結局のところ何処にいきついたのだろう?
僕にはわからない。そして、語る資格もない。


 戦争が終わって、一段落したのをみはからってから再び僕はロンデニオンにいった。カミーユの病室を訪れるためだ。
だけど結論からいうと、彼らはいなかった。そこにいるべき彼らの姿は影も形もなく消失していた。
あるべき姿はそこにはなく、主人をなくした捨て犬のようにぽつんとベッドだけが同じ場所に置かれていた。彼らだけが喪失していた。
看護婦たちに聞いても誰一人として二人の行き場所を知るものはいなかった。話したがるものもいなかった。誰もが、人形みたいに無言で首を振った。
僕が聞いた7人目の看護婦は、彼らがいなくなってせいせいした、と吐き捨てた。それは僕が気に入っていた木馬みたいな看護婦の言葉だった。
僕は誰もいない、プレートさえかかっていないがらんとした病室に戻り、ベッドの下にあるスチール製の椅子をだして座った。
窓の外をみると、雨が静かに降り注ぎ、沈黙のままに地面に吸い込まれていた。それは平和を祈る少女のように脆く繊細な雨だった。

 僕は目を閉じて、肺の中に在る空気をゆっくりと吐き出した。全て吐き出してしまうと、身体の中が空っぽになってしまった気がした。
自分の存在がこの病室と交じり合って完全にきえてなくなっていくような気がした。がらんとした病室というのはどこかそんな感覚を与えてくれるものだ。
カミーユ達はいつもこんなところにいたのか、と僕は思った。ここは人がいるべき場所じゃない。少なくとも彼らがいるべき場所じゃなかったのだ。
この部屋には彼らの哀しみや沈黙が深く海の底のようにそっと沈殿していた。
 買ってきた月見草を花瓶にさした。そして、僕はふとフラワーショップと隣の菓子屋のお婆さんの差異について考えた。
環境が違えば、双子といってもあれだけ変わる。思想もかわる。僕はシャアとアムロはある意味ではいびつな双子だったんじゃないかとさえ思う。
そう考えると、何かがわかりそうな気がした。せめてカミーユが彼らの代わりに幸せになってほしいと僕は思う。
完全なニュータイプなんて存在しない、と僕はふと呟いた。けれど口出すと其れは自分の声には聞こえなかった。
言葉は小さな空白を作り出したかと思うと、小さな沈黙となって、そのまま部屋に沈み込んでいった。


 僕はそのままベッドを横切って、病室の窓をあげた。
依然として雨は静かに優しく降りそそぎ、この世界に存在する全てのものをそっとひそやかに濡らしていた。
窓枠においた僕の手に雫がかかった。それは僕にカミーユが流した涙を思い出させた。そして、その冷たさがアムロの死をリアルに感じさせた。
コロニーに降る雨は僕にいつも喪失を感じさせる。地球に降る雨とはそれは決定的に違う。
僕は宇宙にある全てのコロニーに雨が降っていることを想像した。宇宙に降る雨。それはあまりに哀しいことだと僕は思う。
やはり宇宙に雨は降るべきじゃない。雨というのは地球に降るべき類のものだと思う。箱庭に雨が降っても海はないし、ゆえにどこにも辿り着けないからだ。
ここで泣けたらいい、と思う。だけど、僕は泣くにはあまりにもつかれていた。それに33になると泣くことすらうまくできない。だから、僕は雨をみる。
雨はいつまでたってもやみそうになかった。まるでコロニーの天候制御が壊れたみたいだった。ほんとに壊れていたらいいな、と僕は思う。

海の底のような病室で僕はあきることなく雨ふりを見つづけていた。どこかで、小夜鳴き鳥が鳴いた気がした。
                                              

                                 了